2017年11月16日木曜日

2017.11.16 番外:GOETHE 12月号-最上の生活必需品

編者 二本柳陵介
発行所 幻冬舎
発売年月日 2017.12.01
価格(税別) 741円

● 『GOETHE 12月号』では,メルセデス日本法人の社長やソニーの社長が,「最上の生活必需品」を紹介している。「自分の彼らが最上と認めるモノ,特に生活必需品ともなると,さらに愛用するモノに色濃く人生が映りこみ,無数の物語が生まれでる」と。なるほど。
 筆記具だとモンブランの149や,フランスのデュポンの製品が紹介されている。

● では,ぼくも同じように自分の生活品を紹介できるだろうか。
 ムリだね。たとえば,最も常用しているノートとペンは,ダイスキンとプラチナの千円万年筆。洋服はユニクロがメイン。いつも持ち歩いているバッグは,レスポのトート。これらを紹介できるだろうか。
 物語は高級品からしか生まれないかといえば,そんなことはないと思うんだよね。金額の多寡にかかわらないはずだ。

● でも,ダメだ。理由は2つ。ひとつは,そういうものを紹介するのは,この雑誌の主旨にはまるでそぐわない。
 もうひとつは,持ち主に魅力がないからだ。モノは物語を生みだすとしても,その物語の帰属者が平々凡々で,耳目を惹くような業績もなく,容姿もなく,お金もないのでは,物語自体が伝達性を持たない。

2017年10月29日日曜日

2017.10.29 清水玲奈 『世界の美しい本屋さん』

書名 世界の美しい本屋さん
著者 清水玲奈
発行所 エクスナレッジ
発行年月日 2015.04.17
価格(税別) 1,600円

● 「美しい本屋さん」の写真集。眺めて楽しむもの。想像力の豊かな人ならば,その書店に入っていけるかもしれない。

● 以下にいくつか転載。
 イギリスで過ごした10代の頃は演劇に夢中で,本屋の経営には興味がなかったのですが,パリに戻ってきたときに「この店はまるで劇場だ」と気がつきました。個性的な人物が次々と登場しては消えていき,日々ドラマが展開します。(シェイクスピア・アンド・カンパニー店長 シルヴィア・ウィットマン p83)
 プロのデザイナーであるスタッフの鑑識眼にかなった本だけを絞り込んで売るのがこの店のポリシーです。ジャンルはグラフィック,広告,ファッション,インテリア,写真の5つの分野のみ。(p107)
 これはアムステルダムの「メンド」のもの。銀座の蔦屋書店を連想した。

2017年10月28日土曜日

2017.10.28 漆原 宏 『ぼくは,やっぱり図書館がすき 漆原宏写真集』

書名 ぼくは,やっぱり図書館がすき 漆原宏写真集
著者 漆原 宏
発行所 日本図書館協会
発行年月日 2017.04.30
価格(税別) 2,500円

● 被写体のほとんどは子ども。1980年代の図書館内部の風景,つまり利用者が写っている。
 1980年代といういと,ぼくの20代と重なる。その頃はパソコンもインターネットもなかったけれども,自分のライフスタイルはそれほど変わっていないので,日本や世界が大きく変わったという実感は持てないでいた。

● しかし,変わったのだね。何が違うかというと,服装が違う。ダサいんですよ。
 首都圏の図書館が多いんだけど,写っている子どもやお母さんたちが田舎びているんですよね。今とぜんぜん違う。東京や神奈川でもこうだったのか,っていうね。
 ちょうど,高度経済成長以前の日本の報道写真集を見たときに感じるものと同じもの。その頃の日本はこうだったのかぁという驚き。

2017年10月27日金曜日

2017.10.27 佐藤富雄 『90日間で細胞が元気になる』

書名 90日間で細胞が元気になる
著者 佐藤富雄
発行所 かんき出版
発行年月日 2004.06.14
価格(税別) 1,400円

● 最近,この人のものをいくつかまとめて読んでいるわけだが,さすがに同じことが書いてあると,もういいかと思う。本書は途中で読むのをやめてしまった。

● いくつか転載。
 つまりは私たちの考えることがホルモン系や,それと連動した神経系を支配し,ひいては健康状態とも密接にかかわってくるというわけです。そういうしくみがあるので,「自分は100歳まで元気に生きる」「自分は生涯現役でいるのだと強く信じていれば,行動がそれに沿ったものになるだけでなく,体自体もそれに応えようとします。信じていなければ,体は実現しようとはしません。(p48)
 不快な心の状態が続くと,人間は老化が進んでしまうようにできているのです。(p49)
 「私は悲観的に考えるタイプだから・・・・・・」という人でも,快のほうにハンドルを切り替える方法があります。それには,「良い口ぐせ」を身につけることです。(p50)
 人間の筋肉の約70%は,脚部と臀部に集中しています。よく「太モモは第2の心臓」といわれるのも,筋肉量のたいへん多い大腿筋を動かすことが血液の循環を促す強い力になるからです。(p65)
 動物実験の結果を見る限り,摂取カロリーを低く抑えることによって,60%程度の延命効果があるということが定説になっています。(p73)

2017年10月25日水曜日

2017.10.25 飯田史彦 『歩き続ける』

書名 歩き続ける
著者 飯田史彦
発行所 PHP
発行年月日 2014.08.05
価格(税別) 1,800円

● この人が書くものは眉唾だ,と思う人もいるはずだ。が,とことん落ちこんで,飲みに行くのも億劫,本を読む気にもならない,というときに,どうにか彼の本を読んでみたら救われた(気分になった)という人もいるはずだ。
 プラグマティズムというと大げさだけれど,本は自分の都合の良いように使えばいい。ぼくは飯田さんのものはだいたい読んでいると思う。

● あたりさわりのないところをいくつか転載。
 僕の長年のカウンセリング経験に基づいて分析すると,はっきりした原因が存在するかどうかに関係なく,「死にたい」と思ってしまうほどの悲観的思考の根底には,睡眠不足から来る脳の過度の疲労状態があるのです。(p106)
 あらゆる人の人生の目的は,わずか一言に要約できるからです。(中略)学ぶことです。(中略)人生で体験するすべての出来事を通じて,学び,成長するために,人間は,この物質世界に生まれてくるからです。(p195)
 僕も人間の端くれですから,面倒なことは大嫌いだし,安楽に,能天気に生きたいと,つい願ってしまいますよ。でも,それでも人間は,心の奥にある本当の自分,つまり,俗に言う「魂」の部分では「もっと学んで,どんどん成長したい」という,向上心に満ちているんです。(p196)
 大学レベルで研究者をやっていた人であれば,理屈っぽくない人なんか,いないはずですよ。研究者が理屈っぽくないのでは,仕事になりませんからね。(p207)

2017年10月21日土曜日

2017.10.21 外山滋比古 『20歳からの人生の考え方』

書名 20歳からの人生の考え方
著者 外山滋比古
発行所 海竜社
発行年月日 2013.05.29
価格(税別) 1,300円

● 外山人気は今も持続しているようだ。90歳を超えてなお,出版ペースが落ちない。それ自体が人気の理由のひとつなのだろう。

● 20歳にここまで求めるのは酷のように思う。それは20歳の自分を顧みて感じることで,普通に優秀な人は,このあたりのことには気づいているのかもしれないけれど。

● 以下にいくつか転載。っていうか,少し多すぎるかもしれない。
 本に書いてあったことを自分の考え,知識のようにふりまわすのは趣味がよくない。いわゆる知識人に反感をもつことが,年とともに多くなった。知識,教養を疑うようになった。(中略)ものまねはやめよう。自分の責任で新しいことを考え出そう。(中略)たとえ間違っていても自分の頭で考えたことは独創である。人間は独創によってのみ進化する。模倣では変化を起こすことはできても,創造はできないのではないか(p9)
 弱は能く強を制す,というが,そうではない。強は勝手に自滅するのである。(p15)
 失敗をおそれては逆上がりだってできない。失敗先行である。成功先行を望むのは人情かもしれないが,それでは何もできない。(中略)マイナスがあってプラスが続く。そのマイナスが大きいほどプラスも大きくなる。(p18)
 いけないのは三代目である。個人の問題ではない。その役まわりになったのはむしろ犠牲であった。だれがなっても三代目では勝ち目が少ない。(p24)
 思考力は困ったとき,苦しいときに働くもののようである。何不足ない状況では思考はしばしば,眠っている。(p31)
 思考を育てるにはあまりよけいな本など読まないことである。ことに,すぐれた本は敬遠するほうが賢明である。いささか困った矛盾である。(p33)
 勉強家,博学多識の人は概して模倣的になりやすいのは是非もない。(p35)
 発憤というのは,この内燃化した我慢をもとに大きなことを動かす心的活動だと考えることができると思われる。発憤には,内圧の高まった我慢の蓄積がないといけないのだが,そのストレスは多く,不幸,苦難によって生ずる。(中略)不幸(?)にして,恵まれた環境に育つものは,苦難,困窮にあうことも少なく,したがって,発憤のチャンスも少ない。恵まれた育ち方をした人間の背負っているハンディキャップである。(p42)
 ある有名な女性の作家が,「描写が大切である。比喩に逃げるのはいけない」と述べていると聞いてひどく反発を覚えた。比喩に逃げるのではなく,描写できないものは比喩を援用して表現するほかはない。新しい考えを伝えるには比喩はもっとも有効な手法である。小説家は勝手な作り話をするしか能がない。未知,抽象などを相手にしないから比喩をバカにできる。(p50)
 十九世紀までの歴史家は,歴史は過去を再現できると信じた。いまなお,そう考える歴史家がいるようだが,時というものの存在をよく考えないための錯覚である。歴史は過去のあるがままを再現することはできない。(中略)歴史は過去の現実,事実をそのものを表しているのではなく,時によって生まれたものだからである。(p64)
 事実ということから言えば,歴史はウソを含んでいるが,ウソが入らないところからは歴史は生まれない。(p65)
 富士山の近くに住む人は,そして遠望の富士を見たことのない人は,そもそも,富士が美しいなどと感ずることもない。(中略)遠くからやって来た人は,地元の人の知らなかった価値を苦もなく見つけることができる(p68)
 ヨーロッパに“名著を読んだら著者に会うな”ということわざがある。(中略)読んで感銘を受けるのは,どこにいるかわからない人の書いた本だからである。(p69)
 カネを出すほうが,受け取るほうより強いのである。供給が需要に追いつかなかった長い間,人々は,この大原則に気づかなかった。供給過剰になって初めて消費者は選択肢が自分の側にあることに気づいて自覚・自立する。(p81)
 ことわざを読み解くのはへたな小説よりはるかにソフィスティケイション(洗練)のすすんだ思考を必要とする。(中略)正しい意味というのか,文字,文章ほどにはっきりしないことが多い。言い換えると誤解に寛大である。(p83)
 本の知識から新しい発見の生まれることは少ない。創造は多く生活の中にある。(p100)
 教育は小学校から大学まで,一貫して,目の勉強を強制する。知識は増えるけれども,自ら考える力は少しも伸びない。(中略)少し落ち着いたところで,そろそろ知力の枯渇を意識するようになったところで,あわてて耳で考える修行に入る。晩学は成り難し,と昔の人も言った。考えるのはものを知り,学ぶよりはるかに厄介である。(p101)
 傷のあるリンゴは甘い。それを知らないから傷のあるリンゴは安い。少し黒い斑点のできたバナナがうまい。しかし面くい消費者から見向きもされないから捨てられる。(p119)
 選ぶ人が賢くないと,選ばれる人も賢くなれないで,有権者のご機嫌をとるポピュリズムが流行する。弱者支援などと言って,バラマキを善政のように考える。心ある有権者はデモクラシーに懐疑的になるが,それを口にすることはタブーだから,口にするものは少ない。(p123)
 台所に立つようになってから,頭の働きがよくなったような気がする。それまで,浮世ばなれたことばかり考えていたのに,炊事をするようになって,足が地についたというか,具体的,実践的な考え方が,わずかだができるようになった。(p128)
 知識があれば,万事うまくいく,と思っていると,考えることの出番がなくなり,ひどいのになると,知識さえあれば考える必要はないと誤解するまでになる。(p140)
 少しくらい悪く言われても,考えを変えるほど意気地なしではない。(p154)
 あるとき,テキストを離れて,詩作について,ちょっと,おもしろそうな顔をされて,“かるたとり”方法という話をされた。ご自身(西脇順三郎),詩を創るときに試みられるものらしい。主題について頭に浮かぶことを,小さな紙片につぎつぎ書きとめる,ひとつひとつは短いフレーズである。出そろったら,しばらく風を入れる。寝させる。放っておく。そして,今度は,先の紙片を気の向くままに拾っていく。これが“かるたとり”である。全部拾ってしまったら,はじめから見直す。つながりがおもしろくないところは,前後の入れ替えをする。そしてまた分秒ながめる。これをくり返して,これでいい,となったら糊づけするなどして,順序が狂わないようにする。それが原型になる。それに基づいて詩を書いていくのだ,と言われた。(p183)
 (T・S・エリオットは)詩人は新しい詩情を自ら生み出すのではなく,化合によって新しい詩情の結合の仲立ちをするのだというのである。(p185)
 万物流転する中にあって,あえて,流れを否定,源泉を目指すのは誤った歴史的思考ではないだろうか。作品もほかのすべてのものごとと同じように時間の流れに沿って生きていくことができる。そういうように考えて,文献学の原理を批判し,文献学が,原稿,それにもっとも近いもののみをよしとし,他をすべて,乱れたテキスト,異本ときめつけるのに強い反感をもった。(p207)
 平安朝の名作で,いま原稿に近いテキストの残っているものはひとつもない。現存する最古のテキストは鎌倉期になってからのものである。長い空白がある。文学史は,京都の大火によって古稿本がいっせいに焼失したという説明をしていたが,とても信じられない。やはり,鎌倉期に現れたすぐれて強力な異本によって,それまでのもろもろのテキストをすべて消滅させたと考えるほうがずっと自然である。(p211)

2017年10月19日木曜日

2017.10.19 永江 朗 『本の現場』

書名 本の現場
著者 永江 朗
発行所 ポット出版
発行年月日 2009.07.13
価格(税別) 1,800円

● 副題は「本はどう生まれ,だれに読まれているか」。
 本は売れなくなったのか,そうだすれば理由は何か。若者の活字離れというのは本当なのか。出版社-取次-書店という流通経路に問題はないのか,あるとすればそれは何か。
 そういったことを緻密に取材しながら,自身の考察を展開する。

● が,「本の現場」を素材にして,永江さんの世界観が述べられているものでもある。「本の現場」に興味がない人が読んでも面白いと思う。
 って,そういう人は本なんか読まないか。

● 以下にいくつか転載。
 なぜ90年代に本が売れなくなったのだろう。(中略)「若者の時代が終わったから」と佐々木(利春)さんは言う。(中略)バブルの頂点で若者が雑誌や書籍にそっぽを向き始めた。いや,若者の数そのものが減り始めたのだ。 「やっぱり本は若者のものなんです。誰だって若いときは読んだ。でも,年をとったら読まなくなる」(p12)
 中村(文隆:ジュンク堂書店)さんの実感でも,この十数年で新刊店数は倍以上,そして中村さん自身の作業量も倍以上に増えたという。(p16)
 「2匹目のドジョウとはよく言うけど,いまは平均すると4匹目,5匹目までは出る。最近の新書なんて,ほとんどが一昔前なら雑誌で16頁の特集を組めば済んじゃうようなものですよ」(p17)
 「共同出版」はお金の流れがブラックボックス化している。客(著者)は「出版社と著者が費用を折半している」と思っているが,現実には客が全額負担してさらに出版社にマージンを払っている。(p39)
 まったく無名のアマチュアが自身のWebサイトでコツコツと作品を発表しても,それが編集者に発見されてプロになる可能性はほとんどない。評論家の福田和也が(中略)「ネットの文章って,最初に編集者を『ダマす』という行為を通過してないでしょう。学生によく言うんだけど,編集者一人ダマせないのに,読者をダマせるわけがない。プロを目指すんなら,原稿料にならない文章をネットにだらだら書かないほうがいいね。ネット経由で一発当てる人もいるけど,長くやっていけるとは思えない」と発言している。私も含めて,出版界でこう考える人は多いだろう。(p49)
 ケータイ小説を読んでいると「こんな下らないもの!」と罵りたくなるが,しかしノベルス版で大量生産されるミステリーであるとか,文庫本の官能小説も似たようなものである。(p52)
 本が売れるためには,まず有名にならなければならないのだ。(p55)
 原稿料や印税率が低下する最大の理由は,出版不況が続いて出版社の経営が悪化しているからであるが,書き手の変化という要因も大きい。一言でいえば,書き手のアマチュア化である。たとえば大学の教員なり会社員なりが,自分の専門知識を生かした本を書く。本業ではないから,印税についてあまりうるさいことはいわない。(p59)
 取り換え可能なのはライターだけではない。小説家だって似たようなものだ。(中略)表現物の唯一性と代替不可能性は,作家だけが信じているにすぎない。(p66)
 「Webマガジンは選択したくなかった。志向性の強い読者しか来なくなりますから。偶然でも手にとってもらう機会がなくなるのは,雑誌にとってつらいことです(p88)
 「朝の読書」と「読書マラソン」を取材してみて,「若者の読書ばなれ」という紋切り型の言い方が,いかに表面的なものでしかないかを痛感した。(p105)
 むしろ大人の読書離れのほうが問題だと考える人が,最近は増えている。しかもそれは大人自身にとって問題であるだけでなく,子どもの読書環境としても問題である。(p106)
 世の中には何の抵抗もなく本を読んで意味をつかむことができる人と,本を読むこと自体にたいへんな労力を要するだけでなく意味をつかむのに苦労する人とがいる。(中略)読書あるいは文字文化との親和性に関連した格差は存在するのではないか。(中略)しかもその格差は親から子へと拡大再生産される。(p106)
 日常的に書店に足を運ぶ人は,世の中全体で見ると少数派なのかもしれない。もう何年も書店に行っていない,という人は意外と多い。いや,本を扱うことで生活しているはずの書店員・書店主のなかにも,ほとんど本を読まないという人がいるのだから。(p107)
 よく「電車の中で本を読む人も減りましたね」なんて言うけれども,それは思い込みにすぎない。「読書ばなれが進んでいる」と思って電車内を見るから,「本を読む人が減ったなあ」と感じるのである。これは「青少年の犯罪が増えた」というのと同じ。統計を見ると青少年の犯罪は激減しているのに,犯罪が増えているように思わされているだけだ。(P124)
 では,新書は誰が読んでいるのか。「学生か中年男性の二つですよね」と田口(久美子:ジュンク堂書店)さんは言う。学生は大学の授業で使う。(中略)「どうして女性は少ないんでしょうね。不思議よね」(p133)
 新書はどれだけロングセラーにできるかが重要だと思う。でもそれは本の力だけじゃないのよね。たとえば背にある整理番号のつけかた一つで,棚の補充のしやすさが変わるの。些細なことなんだけど,長い目で見ると,それがロングセラーになるかどうかを決めていたりするのよ。(p134)
 05年のベストセラー1位は『頭がいい人,悪い人の話し方』だった。06年の1位は『国家の品格』だった。07年の1位は『女性の品格』である。なんと3年連続で新書が首位だ。しかもこの3冊がそろいもそろってクズみないな内容である。(中略)クズ本の山に埋もれて,真っ当な本が見えなくなってしまっている。(p136)
 08年春から大学に勤務して驚いたが,いまどきの大学生はほんとうにお金を持っていない。(中略)だた,みんな身なりがこざっぱりしているので,ひどく貧乏そうに見えないだけで。(p164)
 文学賞に限らず,賞はどんな作品が選ばれるかでその後の性格が決まる。読ませ大賞も,第1回が『鏡の法則』でなければ,その後も続いていたかもしれない。(p165)
 かつて私は,リリー・フランキーを出版業界のリトマス試験紙と呼んでいた。イラストレーター,エッセイストとしては,以前から一部で人気が高かった。だがそれはあくまで「一部」だった。編集者の間でも評価は二分していた。好悪ではない。「わかる」「面白い」と言う人と,「わからない」「つまらない」と言う人のギャップが激しかった。リリー・フランキーがわからない編集者に未来はない,というのが私の考えだ。(p168)
 ベテランの書店員や編集者に聞くと,ベストセラーの「つくられかた」には変化があるようだ。誰もが指摘するのが「一極集中」である。売れるものはすごく売れるが,売れないものはぜんぜん売れない。だが,売れるものと売れないものの質的な差はそれほどでもない。(中略)消費者は売れているものに飛びつく。「売れている」という事実によって,さらに売れる,加速する。(p178)
 私の半径3メートル以内だけの印象かもしれませんが,自分も含めて最近急速にネットに対する関心が薄れてきているんですよ。この前会った雑誌の編集者はメールはチェックするけど情報の収集にネットを使うのはもうやめた,と言ってました。(中略)ネタ集めにはネットはほとんど使えないと実感したそうです。僕もよく大学での講義のとき,学生にアンケートを取るんですけど,彼らもネットに関心を持っていないですね。まあ,対象が早稲田の編集者志望の学生ばかり,という特殊性はありますが。(p218)