2014年11月30日日曜日

2014.11.28 ロデリック・ダネット 『ドビュッシー』

書名 ドビュッシー
著者 ロデリック・ダネット
訳者 橘高弓枝
発行所 偕成社
発行年月日 1998.04.01
価格(税別) 2,000円

● 昔,吉行淳之介さんの小説やエッセイや対談が好きで,読みあさった時期がある。その吉行さんのエッセイにドビュッシーは何度か登場する(ほかに,絵画のパウル・クレーも)。
 戦時中の空襲で逃げまどっているときに,どれかひとつを持ちだそうとして,それがドビュッシーのレコードだった。エボナイトのずっしりとした重さが・・・・・・,と書かれていたのを記憶している。

● 吉行さんがそうならと思って,ぼくが初めて買ったクラシック音楽のCDはドビュッシーだった。牧神の午後への前奏曲と,ほかにいくつかが収録されていたと思う。
 が,ぼくにはまるでピンと来なかった。どこがいいのかわからない,という。で,1枚のCDを最後まで聴きとおすことができなかった。

● 今でも,ドビュッシーは難解だと思っている。なぜそうなのか。本書を読むとその理由がスルスルとわかってきたような気がする。理由がわかれば対処の仕方もある。
 本当は,対処なしでスッと身体に入ってくるような感性が最初から自分にあってほしかったけど。
 何ていうのか,規則性とか体系とか整いとか,そういうものを好み,そこからはみ出たものを受け付けない,法律家的な体質があるんだろうなと自己分析。

● 巻末に,20世紀の作曲家でドビュッシーの影響を受けなかった人は一人もいないはずだとある。必ず,ドビュッシーを勉強している。
 学術的にはシェーンベルクの無調音楽なんかが注目を集めているんだろうけど,実作者に与えた影響という点では,ひとつの画期を作った人なんですかね。

2014年11月29日土曜日

2014.11.28 パム・ブラウン 『ショパン』

書名 ショパン
著者 パム・ブラウン
訳者 秋山いつき
発行所 偕成社
発行年月日 1998.04.01
価格(税別) 2,000円

● 「ショパンの曲『ポロネーズ(第十一番)ト短調』がはじめて出版されたのはまだ七歳のときだった」(p18)。
 天才はかくのごとし。モーツァルトだけじゃない。

● かといって。
 3歳や4歳でピアノを相当なレベルで弾きこなしたり,就学前に微積分の問題をスラスラ解いたりする少年が,ときどき現れる。テレビが取りあげて,話題になったりする。すげえなー,天才現るだな,と思うんだけど,こういう子が大成したという話はあまり聞かない。
 早熟ならばいいというわけでもないようだ。

● この偕成社の子ども向けの「伝記 世界の作曲家」シリーズ。ぼくにはとても手頃な読みものだ。作曲家たちの生涯や転機となったできごとがおお掴みにわかるのでありがたい。
 作品解説としても読めるのではないかと思う。

2014.11.27 石 寒太編 『宮沢賢治のことば 雨ニモマケズ風ニモマケズ』

書名 宮沢賢治のことば 雨ニモマケズ風ニモマケズ
編者 石 寒太
発行所 求龍堂
発行年月日 2011.09.01
価格(税別) 1,200円

● 宮沢賢治のアンソロジーをもう1冊。昨日読んだ『かなしみはちからに 心にしみる宮沢賢治のことば』と重複しているものがけっこうある。人口に膾炙しているものっていうか,これははずせないよなっていう決定版的なものがあるんでしょうね。

● いずれはアンソロジーではなくて,まとまった1冊を読むことになると思う。
 が,宮沢賢治ってわりと難解じゃないですか。旧仮名づかいだからとかじゃなくて。
 印象派的というか,あんまり文字の直接的意味にとらわれていてはいけないような。

2014年11月26日水曜日

2014.11.26 齋藤 孝監修 『かなしみはちからに 心にしみる宮沢賢治のことば』

書名 かなしみはちからに 心にしみる宮沢賢治のことば
監修者 齋藤 孝
写真 奥山淳志
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2011.06.30
価格(税別) 1,000円

● 東日本大震災が現在進行形だった時期の出版。ともあれ。名前はよく知っているのに作品を読んだことがないという作家,詩人は何人もいるけれど,宮沢賢治もその一人。っていうか,典型的な一人。
 全集が文庫にもなっているのに,手が出ない。

● 高校の現代国語の教科書に「永訣の朝」が載っていたけれども,それが唯一,ぼくが読んだ宮沢賢治の作品だ。
 そういうことではいけないとまでは思わない。縁があって読むときがくれば読むだろう。

● 今回,手に取ったのはアンソロジーであって,彼の作品ではない。が,次のような詩を読むと,圧倒されて呆然とする。宮沢賢治,享年37。
  そこらは青くしんしんとして
  どうも間もなく死にそうです
  けれどもなんといゝ風でせう

● 「監修者あとがき」によると,「賢治は大股でぐんぐんと風を切るように歩」く人だったらしい。腺病質なところがあったのかと思いがちだが,そうではなかった。

2014.11.25 網野善彦 『日本社会の歴史・下』

書名 日本社会の歴史・下
著者 網野善彦
発行所 岩波新書
発行年月日 1997.12.22
価格(税別) 640円

● 江戸末期まで。明治以降はほんとの駆け足。
 あとがきを読むと,本書は相当な難産のすえに生まれたもので,その分,著者としても思い入れの強い著作になったのではないかと思われる。

● いくつか転載。
 この時期に出現し,のちに「東山文化」として結実したいわゆる伝統的芸能は,ほとんどがこれらの被差別民と何らかのかかわりをもっていたということができる。ここにこの時期の文化を考える上での大きな問題の一つがあるといえよう。(p50)
 この時期(16世紀)には,商工業にプラス価値をおき,「農人」の営む農業を苦しみの多い生業として低く見る見方も,社会の一部にかなりの力をもつようになってきた。これは,従来の,日本国の統治者の支配を支えてきた「農本主義」的な思想とは明らかに異質であるが,真宗,日蓮宗,さらにキリスト教はこうした「重商主義」的な思想に対して肯定的で,それを支える役割を果たしていた。(p85)
 このころのポルトガル人は戦争による物の掠奪とも関連して,日本人奴隷の売買を行っており,秀吉は国内の戦争での人の掠奪・売買を禁ずるとともに,ポルトガル人による日本人売買を禁じたのである。(p106)
 禁じて,それを実効あらしめることができたのだから,当時の日本の軍事力は世界屈指のものであったはずだ。そうでなければ,ポルトガルの宣教師がおとなしく引っこむはずがない。

● 明治以降のいうなら国家の歴史観について,著者は相当な批判,不満を持っている。このあたりが網野史観の真骨頂になるのかもしれない。
 日本列島はアジア大陸の北と南を結ぶ懸橋であり,こうした列島の社会を「孤立した島国」などと見るのは,その実態を誤認させる,事実に反し,大きな偏りをもった見方であるが,明治国家のつくり出したこの虚像は,最近にいたるまで研究者をふくむ圧倒的に多くの日本人をとらえつづけ,いまもなおかなりの力を持つほどの影響力を及ぼしつづけているのである。(p153)
 海,川,山における生業や小規模な商工業はすべて切り落とされ,いちじるしく農業に偏った社会の「虚像」がつくり出されていくことになった(p154)
 日本人は,すでに北海道のアイヌの世界や「ウタキ」を信仰する沖縄に対してもそうしてきたように,水田を開拓するとともに,そこに必ず鳥居を持つ「神社」を建て,その地域の人びとにその信仰を強要したのである。 これはさきの「大和民族」の優越意識と結びついて,長い歴史と独自な文化をもつアイヌや琉球,さらに植民地とした台湾,南樺太,朝鮮半島等の人びとの固有の言語を否定して,日本語の使用を強制し,日本風の姓名を名のらせて戸籍にのせた上で,天皇への忠誠(皇民化),崇拝を強要して恬然たる驚くべき無神経な姿勢とまったく共通しており,それが第二次世界大戦-太平洋戦争を通じてはかり知れない苦痛をアジアの多くの人びとに与えた(p155)

2014.11.24 土屋賢二・森 博嗣 『人間は考えるFになる』

書名 人間は考えるFになる
著者 土屋賢二
   森 博嗣
発行所 講談社文庫
発行年月日 2007.03.15(単行本:2004.09)
価格(税別) 495円

● 男どおしの雑談。気楽で真面目な。
 電車の中で読んだ。本は家の中より外の方が読める。っていうか,家ではほとんど読む気にならない。

● 以下にいくつか転載。すべて森博嗣さんのもの。
 なにかにふれると自分でやってみたくなるという傾向があって,音楽もそうだと思うのですが,たくさん集めるよりも自分で描きたくなる。だから小説もそんなに読書家だったわけではなくて,ちょっと読んだら,書きたくなって(p24)
 サークルが必要なのは,初心者のときだけで,方向性が決まってくると不要ですね。(p117)
 他人から嫌われるのも平気ですし,あの人は僕のことを悪く思っているんじゃないかなと感じても,特に感想はない。それを正そうという気にはならない。そう思うなら離れてくれればいいやと思ってしまいます。(p129)
 人類が死滅してしまって街に自分一人になっても何十年も生きていけます。あちこちのスーパとか本屋さんに品物が残っててほしいですけれどね。そういう状況に憧れませんか?(p131)
 自分が好きになるのは良いのですけれど,好かれたいと思うのは非常に弱いとか醜いというイメージがありますね。(p140)
 学校って,片方では協調しなさいと教えて,もう片方では個性を出しなさいと無茶なことを言いますよね。その二つは反するところがある。しかし,世の中は,矛盾した両面を持っていないと成功できないようにも思います。(p145)
 日本もこれから個人的になってくるでしょう。基本的にそれは豊かだからできることだと思います。みんなが同じことをしなきゃいけないというのは,やっぱり社会が貧しくて,そうしないと不経済だったからです。(p146)
 みんなで力を合わせなきゃいけない場面になれば,人間は力を合わせますよ。(中略)明確な目的さえあれば,協力するように人間はできている。なにも目的がないときから,みんなで一致団結して声を揃えようという,今までのやり方の方がおかしかった。(p150)
 期待どおりの方が嬉しいですね。赤ちゃんにイナイイナイバァするみたいなもので,イナイイナイって言ってそのまま帰っていったら赤ちゃんは困る。イナイイナイだけでは終われないですよね。バァってあるからゲラゲラッと笑うわけです。(p157)

2014年11月25日火曜日

2014.11.23 番外:AERA '14.11.24号-整理こそ人生だ!

編者 浜田敬子
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2014.11.24
価格(税別) 361円

● 特集の巻頭を飾るのは佐藤可士和さんが率いる「サムライ」。この種の特集では,「サムライ」は第一ヒーローでしょうね。写真ばえするたたずまいなのがいい。
 整理をすることがまさに仕事なんです。忙しいから整理は後回し,ではない。仕事の効率を上げるために整理をするんです。(p12)
 佐藤さんは「打ち合わせ中にはほとんどメモをとらないという。その場で要不要を判断してしまうからだ」。
 記憶するのではなく,どう感じるかを大事にしています。真剣に話を聞き,観察する。強く感じたものが,プライオリティーが高いことのはずなんです。(p13)
● 成毛眞さんのインタビュー記事から。
 あらゆることのエンジンは好奇心だ。「いまやること」はひとつに絞り,おもしろいと思ったこと以外には手を出さない。飽きたらおしまいだ。(p20)
● 鈴木敏文氏の秘書,藤本圭子さんは「できない」とは絶対に言わないことを自分に課している。
 できないことをできるように知恵を出すのが仕事だと考えている鈴木に対して,口が裂けても「できない」とは言えません。(p22)
 いい秘書を持ってますよね。鈴木さんにとっても宝のはずだな。

2014.11.22 寺山修司 『両手いっぱいの言葉』

書名 両手いっぱいの言葉
著者 寺山修司
発行所 新潮文庫
発行年月日 1997.10.01(単行本:1982.12)
価格(税別) 514円

● 先日読んだ『ポケットに名言を』は著者が集めた言葉を編んだものなのに対して,この本は著者の言葉を抜粋して編んだもの。
 「413のアフォリズム」が副題。前世紀末,こういうのが流行ったことがあったのを思いだした。遠藤周作とか吉行淳之介の抜粋集を好んで読んだことも。

● こういうものからさらに抜き書きするのはいかがなものか。といいながら,いくつか転載。
 すべてのインテリは,東芝扇風機のプロペラのようなものだ。まわっているけど,前進しない(p27)
 ダ・ダ・ダ・ダーン。「このように運命は戸を叩く」とベートーベンはシントラーに語っている。だが,運命はノックしたりせずに入ってくるのではないか。と,私は思っているのだ。大仰な予告や前ぶれ,ダ・ダ・ダ・ダーンとやってくる運命のひびきは,運命そのものをつかまえた!と思いこむ傲岸さであって,ほんものの運命は正体をあらわすことなく,いつのまにか歴史を記述している。(p76)
 幸福は,デパートで売っている品物ではないから,かるがるしく大小を論じることができない。つまり,それは,「幸福の大小ではなくて,幸福について考える人間の大小」なのである。(p109)
 幸福と肉体との関係について考えることは,きわめて重要なことである。なぜなら,一冊の「幸福論」を読むときでさえ,問題になるのは,読者の肉体のコンディションということだからである。(p109)
 私は,現代人が失いかけているのは「話しあい」などではなくて,むしろ「黙りあい」だと思っている。(p117)
 私は化粧する女が好きです。そこには,虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーが感じられます。(p140)
 老人にも体躯はあるが,それは肉体とよぶほどまばゆいものではない(p172)
 書物はしばしば「偉大な小人物」を作るが,人生の方はしばしばもっと素晴らしい「俗悪な大人物」を作ってくれるのだ!(p197)
 読書家というのは結局,安静状態の長い人という意味ととれないこともない(p198)

2014年11月23日日曜日

2014.11.22 網野善彦 『日本社会の歴史・中』

書名 日本社会の歴史・中
著者 網野善彦
発行所 岩波新書
発行年月日 1997.07.22
価格(税別) 630円

● 10世紀から鎌倉幕府滅亡までを扱う。中学や高校で日本史を習ったときも,この頃になると動きがめまぐるしくなってきて,面白いと思った記憶がある。
 鎌倉幕府を東の王朝として,西の天皇家を中心とする朝廷と対比する。ここまで明解に言ってもらうと,それまでモヤモヤとしていたものが氷解していくような快感を覚えた。そうだったのか,そういうことだったのか。

● 列島の内発的な変化とアジア大陸から及んでくる外発的な動きの綾もわかりやすい。読み手であるぼくの錯覚かもしれないけれど。
 視座が広い。それが著者の史観の特徴。面白いから引きこまれる。グイグイ読んでいける。

● 信西(藤原道憲)は「宋人と中国語で話ができたといわれるほどの驚くべき博識と学才をもつ人物」(p83)で,保元の乱を後白河の勝利に導いた立役者であったらしい。
 こういうことも教えてもらえる。

● いくつか転載。
 列島の東西におこったこの反乱(天慶の乱)のなかで,短期間ではあれ,京都の天皇による日本国に対する支配が分断されて麻痺し,とくに東国に独自な国家がごく短期間ではあれ誕生した意義はきわめて大きかった。新皇将門,白馬に乗る英雄将門の記憶は長く東国人のなかに生き続け,東国が自立に向かって歩もうとするときにこの記憶は甦り,それを支える役割を果たすことになったのである。(p20)
 このこと(紫式部や清少納言らが輩出されたこと)は,宮廷という狭い世界ではあれ,自らの自由な目を失わず,人間の関係を批判的に見通し,それを女性独自の文字,平仮名によって文学として形象化する力量をこれらの女性たちがもっていたことを物語っており,おそらくこれは,人類社会の歴史のなかでもまれにみる現象といえるであろう。(p30)
 太政官の事務局-官務を小槻氏,外記局の実務-局務を中原氏が世襲独占したように,官司を特定の家が世襲的に請け負う体制も,鳥羽院政期にはほぼ固定化するようになった。おのずと官職の昇進コースは家格によって定まることになったので,貴族たちはそれぞれその家格に応じて官職を請け負い,それに応じた実務を行うことをいわば「芸能」とするようになったのである。(p61)

2014年11月21日金曜日

2014.11.20 矢野直美 『ダイヤに輝く鉄おとめ』

書名 ダイヤに輝く鉄おとめ
著者 矢野直美
発行所 JTBパブリッシング
発行年月日 2010.02.15
価格(税別) 1,580円

● 今でこそJR東日本でも“グリーンスタッフ”の採用もあって,女子社員があたりまえになっているし,女性の車掌さんも増えているけれども,本書の元になった連載が始まった2006年にはまだ珍しかったのでしょうね。
 著者はカメラマンで,メインは写真。颯爽とした女性の運転士や車掌や駅員が次々に登場する。
 本書の中にも,「ちっちゃな女の子が鉄道で働いている女性を見て,かっこいいな,私もなりたいな,そう憧れてくれるようになったらいいなと思います」(p103)という発言が出てくるけど。

● 大半は文字どおり“おとめ”の年齢の女性たち。つらつらおもんみるに,女性は一生の大半をオバサンとして過ごさなければならない。その後も,長い長いオバアサンの時代が待っている。
 “おとめ”とか娘と呼ばれる期間はほんとに短いのだ。その短い時期の目一杯の輝きが溢れているという印象。

● が,すでに“おとめ”期を脱した女性も数人登場する。花の命はけっこう以上に長いのだということもわかる。

2014.11.19 パム・ブラウン 『ベートーベン』

書名 ベートーベン
著者 パム・ブラウン
訳者 橘高弓枝
発行所 偕成社
発行年月日 1998.04.01
価格(税別) 2,000円

● ベートーヴェンがモーツァルトやバッハと大きく違ったのは,彼の葬儀だ。「葬式には2万人もの人びとが集まり、死者をいたんだ。人の列が教会までのわずかな距離をすすむのに,1時間半もかかったといわれる。ウィーンはじまっていらいの大がかりな葬式となった」というのだから,モーツァルトとは対照的だ。
 時代のわずかな違いが理由かもしれない。あるいは,彼の奇行奇癖が天才のそれと認められ,愛されていたのかもしれない。

● こんな男に身近にいられたらとてももたないと思うんだけど,それでも彼は生前から協力者が切れなかった。たくまざる愛嬌があったのは間違いないんだと思う。
 実力を認められていたというだけでは説明がつかない,ベートーヴェンの不思議さだ。

● モーツァルトとの共通点は引っ越し魔だったこと。ただし,半分は家主から追いだされての引っ越しだったらしい。
 水を使えば床中水浸しにする。その水が階下にまで落ちていく。これじゃ追いだされるな。
 整理整頓がまったくできなかった。今の言葉でいえば,アスペルガー症候群を抱えていたのではないかと思えるほど。

● ふたつほど転載。
 わずか十四歳で,ルートビヒの子ども時代は確実に終わりを告げた。家族をささえるという重圧が,彼の今後の人生にずっしりとのしかかってきた。(p37)
 テレーゼはこう書いている。 「指は曲げたまま鍵盤においておくこと--この指使いを,ベートーベンからくどいくらい教わりました。ほかの教師には,指をあげてまっすぐのばしておくように,と教えられていたのですが。」 ベートーベンが生徒たちに伝授したこの技法は,ピアノ演奏に,それまでは思いもよらなかったほどの,幅広さと奥深さをあたえることになった。(p82)

2014年11月20日木曜日

2014.11.18 マイケル・ホワイト 『モーツァルト』

書名 モーツァルト
著者 マイケル・ホワイト
訳者 松村佐知子
発行所 偕成社
発行年月日 1998.04.01
価格(税別) 2,000円

● モーツァルトもまた苦難の人生。自らの性癖をもてあましていたのかもしれない。一方で,茶目っ気があって人に愛される性格でもあったらしい。ベートーヴェンはなお顕著であったのかもしれないのだが。

● いかんせん生活力がない。稼ぐんだけど,稼ぎに合わせることができない。世俗的な欲望も旺盛で,足を知るということがない。
 けれども,もしモーツァルトがそうしたことができる人だったら,果たして今に残る作品群があったかどうか。

● 天才とは危ういバランスのうえに成りたつもので,わずかでも何かが欠けていたり過剰だったり満ちていたりすると,そっくり瓦解してしまうものなのかもしれないと思った。

● 多くの作品群の中で,ぼくが最も多く聴くのはクラリネット協奏曲だ。最晩年の作品。あくまで透明で,突き抜けた明るさがあり,曲のどこを切っても高貴なるものに満たされている。
 陽気ということではなくて,明るさを突き抜けた明るさっていうか。明るさだけをどれほど煮つめたところで,突き抜けることはできないのではないかと思う。突き抜けるためには,悲しみや諦めをブレンドして,相当な葛藤を経ないとたどり着けない境地なのではないかと思うのだけれども,モーツァルトがそうした葛藤を経たのかどうかはわからない。
 それなしでポンとそこに行けてしまうのが天才の天才たる所以かもしれないんだけど,たぶんそうではなくて,苦さをタップリと味わって呻吟する時期があったのだと思いたい。

● いくつか転載。
 モーツァルトの右に出る作曲家はいない。ベートーベンは,音楽を「生み出し」た。それに対して,モーツァルトの音楽はただそれが「見出され」たのかと思うほど,清らかで美しい。あたかも,天地万物の内部に眠っていた美の一部を,モーツァルトがはじめて明らかにしたように感じられる。(アインシュタイン p12)
 生まれてはじめて深い感動を覚えた音楽が,「ドン・ジョバンニ」だった。この,我を忘れるような体験は,のちに大きな実を結ぶことになる。この音楽との出会いにより,わたしは偉大な天才のみが住む芸術的美の世界へ一歩踏みいれた。一生を音楽にささげることになったのは,モーツァルトがいたからにほかならない。(チャイコフスキー p126)
 ボルフガングが生きている間に,モーツァルトの作品の真価を認めたのは,同じ音楽家で天才のヨゼフ・ハイドンや2,3人の人たちだけだった。(イアン・マクリーン p157)

2014.11.18 シャーロット・グレイ 『バッハ』

書名 バッハ
著者 シャーロット・グレイ
訳者 秋山いつき
発行所 偕成社
発行年月日 1998.04.01
価格(税別) 2,000円

● バッハもまた生きることに苦労した。何度も職を求めて引っ越している。子だくさんだったしね。
 同時に,上役と何度も衝突している。世俗的な意味で幸せな人生だったかといえば,疑問符がつくだろう。
 が,作曲家の中でそうした幸せな人生を送れた人がいるんだろうか。

● このあたりの見方については,現在の日本人の眼にかけられている色眼鏡のゆえかもしれない。こういう人生は作曲家に限らず,あるいはあたりまえに存在したのかもしれない。

● 天才の常として,仕事ぶりは凄まじい。安楽椅子に座って,スイスイと曲ができてしまうわけではない。

● 以下に2つほど転載。
 カルル・フィリップ・エマヌエルによれば,バッハが息子たちにまず教えたことは,「鍵盤に触れる特別な方法」だった。指の動きをなめらかにし,明瞭な音を出すことができるようになるまで,数か月が費やされる。(p90)
 バッハの死語、ライプチヒでは,彼の音楽はほとんどかえりみられることがなかった。死の直後に,カンタータの楽譜の束が二束三文で売り払われ,あるソロ・ソナタの手稿にいたっては,商店の包み紙としてつかわれたという。(p158)
 これは,いつの時代でもあるんだろうね。聴衆や評論家はいつだってそうなんでしょ。その弊はぼくらも免れていないと思っていた方がいいよね。

2014年11月17日月曜日

2014.11.16 網野善彦 『日本社会の歴史・上』

書名 日本社会の歴史・上
著者 網野善彦
発行所 岩波新書
発行年月日 1997.04.21
価格(税別) 630円

● 刊行されてすぐに買ったものの,読まないままで17年。やっと読むことができた。こういうツンドク本が呆れるほどにある。

● 「はじめに」に著者の問題意識が述べられている。
 これまでの「日本史」は,日本列島に生活をしてきた人類を最初から日本人の祖先ととらえ,ある場合にはこれを「原日本人」と表現していたこともあり,そこから「日本」の歴史を説きおこすのが普通だったと思う。いわば「はじめに日本人ありき」とでもいうべき思い込みがあり,それがわれわれ現代日本人の歴史像を大変あいまいなものにし,われわれ自身の自己認識を,非常に不鮮明なものにしてきたと考えられる。
 事実に即してみれば,「日本」や「日本人」が問題になりうるのは,列島西部,現在の近畿から北九州を基盤に確立されつつあった本格的な国家が,国号を「日本」と定めた七世紀以降のことである。それ以後,日本ははじめて歴史的な実在になるのであり,それ以前には「日本」も「日本人」も,存在していないのである。
● 本書は3巻で構成されているが,近現代史は含まれない。1巻目は武士の胎動が表面化するちょっと前までを扱う。
 日本列島の外との関連に目が配られている。歴史を扱った書物で面白いと感じるのは,まず宮崎市定さんの一連の中国物だけれども,これまた中国と他との関係に目配りが利いているところから独特の説得力が生じている(ように思う)。『アジア史概説』など,宮崎さんにしか書けなかったものだろう。
 同様に,これだけ面白い日本通史を読むのは,今まであったかどうか。古代史に関しては野放図ともいえるほどに想像力を駆使したものはいくつか読んだことがあるけれど(たとえば,聖徳太子はモンゴルから来た人だと主張しているのを読んだことがある)。

● 大宝律令に関して詳しく記述している。大宝律令って,日本の国情を考えずに中国の制度を真似たもので,作ったはいいけれどもすぐに骨抜きになってしまったものだと思っていた。
 それはそうなんだけれども,しかし,大宝律令が後の日本に与えた影響は相当なものだったようだ。
 この制度(大宝律令)は,それまで口頭でおこなわれてきた命令や報告を,すべて文書によって行うことを原則とする徹底した文書主義を採用した。そのため,国家の官人になるためには,後宮に組織された女性官人の場合を含めて,文字(漢字)・文章を学び,それを駆使できなければならなかったのである。しかし,各地域の人びとの律令を学ぼうとする意欲がいかに強かったかは,この国家の周縁部である秋田城から出土した,熱心に文字の学習をしたことを示す木簡によってよく知ることができる。(中略)このように統一的な文字・文書によって運営される,硬質な文明ともいうべき律令制が列島社会を広くおおったことが,この後ながく社会に大きな影響を与えていったことは間違いない。(p115)
 文書行政がさらに徹底した結果,天皇の立場にも変化があらわれてきた。天皇自身が政治を領導するのではなく,一個の権威として朝廷に臨むようになってきたのである。(p182)
 この国家は(中略)都や畿内の貴族・官人と各地域の首長とのあいだに著しい差別を設けた畿内中心の国家だったのであり,それは地域社会そのものの否応ない反発を内在させていた。(p133)
● 日本は古来から差別が少ない国で,特に女性の発言権を認めてきたと何ヶ所かで説かれている。あわせて,壬申の乱の意義について。
 「壬申の乱」はこのように,「東国」までを広く巻き込みつつ,大海人側の完勝に終わった。そしてこのとき「東国」ははじめて自発的に大王の支配下に入ったのであり,畿内の政権の「東国」に対する支配はここにようやく安定的になったということができよう。(p104)
 大陸の国家と違って,この社会が牧畜を欠き,去勢の技術がなかったことと関連して,この宮廷には大陸や半島の国家に見られた宦官は存在せず,後宮は女性自身によって統括されたのである。(p118)

2014.11.16 寺山修司 『ポケットに名言を』

書名 ポケットに名言を
著者 寺山修司
発行所 角川文庫
発行年月日 1977.08.20
価格(税別) 400円

● 名言集あるいは箴言集。「あとがき」で著者自身が次のように述べている。
 「名言」などは,所詮,シャツでも着るように軽く着こなしては脱ぎ捨てていく,といった態のものだということを知るべきだろう。(p174)
● 「アランの「幸福論」の中から,七つも八つもの「名言」をえらび出していた十年前の私は,どこかまちがった靴をはいていたとしか思えない」(p172)とも述懐している。
 多くの人が苦く思いあたるところだろう。

2014年11月14日金曜日

2014.11.14 パム・ブラウン 『ビバルディ』

書名 ビバルディ
著者 パム・ブラウン
訳者 橘高弓枝
発行所 偕成社
発行年月日 1998.04.01
価格(税別) 2,000円

● 偕成社の「伝記 世界の作曲家」シリーズの1巻目。「バロック音楽を代表するイタリアの作曲家」が副題。そのとおりの副題だ。
 児童向けの書籍だ。そういうものは子どもが読めばいいと考える輩は(もしいれば),片っ端から豚に喰われよ。

● これを読みこなせる子どもはたいしたものだ。挿絵や写真も大人が充分に楽しめるものだ。
 代表作「四季」の解説が115ページから118に掲載されている。そういうことだったのかと初めて知った。この部分を読めただけで,本書に費やした時間は報われたというものだ。

● マイケル・タルボットの著作から引用しているところを,以下に転載。
 ビバルディの音楽から感じられるはげしい情熱の奥には,規律づくめの仕事につくことを,幼いころから運命づけられていた男の不満がこもっている。そう判断するのは奇抜すぎるだろうか? 彼の音楽の,ゆるやかなテンポの楽章の中には,表面上は満足しているようでも,実際には悩みや不安をかかえていた男の胸の内が見えかくれしていると考えるのも,とっぴすぎるだろうか?(p71)
● ただ,付き合いたいと思わせる男じゃない。成りあがりたい欲望も相当なものだったらしい。
 そりゃそうだ。後世に残る作品を生みした人間が,付き合いやすい善人だったはずがない。

2014.11.13 玖保キリコ 『電脳繁盛記』

書名 電脳繁盛記
著者 玖保キリコ
発行所 毎日コミュニケーションズ
発行年月日 1996.03.29
価格(税別) 1,200円

● 「パソコンを駆使して執筆するデジタルマンガ」ということ。手で描くより時間がかかって大変だったようだ。
 パソコンはMacintosh Quadra950。メモリは64MBに拡張してあって,編集者とのデータの受け渡しはMO。アドビのフォトショップが15万円ほどしていた。懐かしさ,満載。

● といっても,メモリが64MBでスゲーと言ってたのは,ついこの間のことのような気がする。今はデフォルトで4GBとかになっている。とんでもないことだよな。
 生意気を言わせてもらうと,ハードの急激な進歩(低価格化)にソフトが追いついていないような気もする。たしかに動画が滑らかに再生できるようになったし,同時に複数のサイトに接続して表示できるようになった。その恩恵は確実に受けているんだけれども,パソコンでできることが画期的に変わったという実感はないな。

● ソフトがハードに追いついていないんじゃなくて,ぼく自身のパソコンの使い方が,機械のスペック向上に追いついていないだけなのかもしれないけどね。
 依然として,文字ベースだからね。ぼくが今やっていることは,10年前のパソコンでも充分にできたことばかりだ。

2014.11.12 パム・ポラック&メグ・ベルヴィソ 『スティーブ・ジョブズ』

書名 ヨーロッパ鉄道旅ってクセになる!
著者 パム・ポラック&メグ・ベルヴィソ
訳者 伊藤菜摘子
発行所 ポプラ社
発行年月日 2012.01.01
価格(税別) 1,200円

● この本も再読。しかも,再読を終えてもなお,前に読んだことを思いだせない。こうした健忘症的な事象が増えているなぁ。

● 子ども向けのスティーブ・ジョブズの伝記。神は細部に宿るとすれば,当然,食い足りない。が,細部を捨てて骨格だけ残せば,この形でいいなと思う。

● 掲載されている写真が郷愁を誘うもの。昔,パソコン雑誌でみたよ,これ,っていうね。

2014年11月12日水曜日

2014.11.12 邱永漢 『鮮度のある人生』

書名 鮮度のある人生
著者 邱永漢
発行所 PHP
発行年月日 1997.03.07
価格(税別) 1,165円

● 邱永漢さんの著書は,すべて読んでいる(と思う)。小説や食味エッセイから,経済評論や利殖関係のものまで,書店の新刊コーナーで見かければ必ず買って,その日のうちに読む。ずっとそうだった。
 したがって,邱さんの本はだいぶ書棚に溜まっている。それら(邱さんの本に限らない)を処分する作業を進めている。基本,古紙回収の日にゴミステーションに持っていく。大量になる。一部は,こっそり地元図書館のリサイクルコーナーに置いてくる。

● 最近,その作業が加速している。躊躇なく捨てることができるようになった。本に投じた金額を考えない。
 よほどのことがなければ再読することはない。読んでいない本も大量にあるけれども,それらも含めて読みそうにないものはどんどん捨てよう。

● 自分が死んだあとのことも考えなくちゃいけない年齢になった。本など残されたら,遺族(=ヨメ)にとっては迷惑でしかない。人に迷惑をかけるくらいなら,自分で処分できるものは処分しておくべきだ。
 再読のための時間だってすでに限られていることを認識せざるを得ない。

● という次第でガンガン処分中。本書も捨てようとしたものなんだけど,背表紙のタイトルが目にとまった。捨てる前に読み返しておこうと思った。
 なぜ目にとまったかといえば,自分の年齢がそうさせたんでしょうね。歳をとったらどう生きるかという本だからね。

● 昔のように一気通貫では読めなくなっていた。何日間かかけてしまった。内容は明晰だし,歯に衣着せぬ潔さがあるし,読みやすい文章だから,そんなに時間がかかる理由はないんだけど。
 若い頃と違って,身に染みる度合いが大きくなっていたからかもしれない。

● まず,老いて気をつけなければいけないのは,惰性に身を任せないことだ。
 「馴れは好奇心の最大の敵」だから,日常生活の中に次々と新しい発見をするか,新しい物を探してそれを生活の中に取り入れるか,でなければ,新しい体験をするチャンスを自分でつくるかしなければすぐにも退屈してしまう。(p86)
 面倒臭がって同じことをくりかえすのが年寄りのおちいりがちな習性だが,それを意識的にやめなければ,毎日が新しい日にはならないのである。そのためには,お金を溜め込んでしまっては駄目で,毎日,努力してお金を使わなければならない。これが案外できそうでできないのである。(p213)
 その前に老年期がどういうものが,しっかりと認識しておくべきだ。
 人生は六十歳で終わりだったのが八十歳まで延長されたというが,最後の二十年を安逸に送れるという保証があるわけではない。それどころか,老後は心配事の多い,煩わしい,しかも故障続きのポンコツ人生が多いのである。(p176)
● 著者はかなり早熟の人だったようで,中学生のときにはホメロスの『オデュッセイア』やダンテの『神曲』など片っ端から読破する文学少年だったらしい。
 尋常科(七年制高等学校の中等部)の二年の時から文学書を読みはじめ,三年生の頃には,もう『文芸台湾』というオトナの雑誌の同人に名をつらね,新聞記者や学校の教師をしている連中と肩を並べて雑誌に寄稿をしていた。(p114)
 惰性に身を任せないためには,克己のほかに知性が必要だろう。その知性が老年期に突如としてわきでることはあるまいから,老年期に足を踏み入れたときには,もう勝負はついているのだろう。

● 他の職業に対する著者の味方も斬新というか,本質をついているというか,ウゥーンと唸らされる。
 著名なトーナメントには莫大な賞金がかかっているから,それに優勝するプロゴルファーを英雄みたいに扱う風潮があるが,棒で球を叩くことがどんなにうまくとも,人間として何ほどの事があろうか,と改めて考えさせられる。(p35)
 物書きは知的な作業を伴うから,頭脳の働きが鈍ると世間からお呼びがかからなくなって仕事がなくなってしまう。(中略)その点,画描きは死ぬまで絵筆を離さない人が多い。不思議と長生きするから,もしかしたら小手先の仕事ではないか,と憎まれ口の一つも叩きたくなる。(p139)
 芸術活動に従事している人でもほんの一握りの例外を除いては,ほとんどがあとに残らない仕事に一生を賭けているだけといってよい。(中略)生きている間が花で,自分の生命を賭けて仕事に打ち込むことができれば,それでよしとしなければならないのである。(p141)
● 健康に対する著者の提言。
 昔から中国では,九のつく年齢は転運,つまり運の変わる曲がり角でるといわれている。そういった意味では,四十九歳も,五十九歳も人生の曲がり角である。五十九歳の曲がり角を無事乗り切ることができたら,あと十年は健康で生きる確率が高いといわれている。(中略)六十九歳の坂はさらに一段と厳しい坂になっている。(中略)そこに至る坂がどのくらい険しいかについては実際に自分で登ってみなければわからないものである。(p155)
 「腹八分目は健康のもと」といわれているけれども,長生きをする人を見ていると,食欲旺盛で大食いの人が多い。少々くらいの暴飲暴食など気にするほどのことではないのである。つまり,丈夫な胃袋に恵まれた人のほうが小心翼々として健康に気をつけている人よりは健康に恵まれるものである。(p192)
● その他にもいくつか転載。
 自分のいままでのライフ・スタイルに限界を感じ,それを一新しようという時は,自分がこれだけは自分のものとして大事にとっておこうと思う物を真先に捨てなければならない。(p23)
 物書きにとっては異常体験が財産で,馴れ合いが一番禁物だと思ったので,文士の集まりにもほとんど顔を出さなかったし,趣味もなるべく同じでないように,と心がけた。(p29)
 人間の生きている時間は,医学の発展と共に延長されたのに,社会が人間を必要とする時間は逆に短縮されつつある。(p64)
 年をとったら,経験を積んだ分だけ賢くなるというのも嘘で,人間の才能には思い切って開花する年齢があるように思う。たとえば,先入観にとらわれず独創的なアイデアを生むのは,多分,三十歳になるまでの五年か十年くらいだろうし,経験を積んで賢くなった分だけ経験を事業や学問に生かせる年齢はせいぜい五十歳までであろう。(p118)
 うまい料理をつくったら,うまいと誉めてくれる人がいないと,料理の水準だって高くはならないのである。日本料理にしても,中華料理にしても,またフランス料理にしても,賞味してくれるそうしたパトロンがいるおかげで発達してきたものである。(p194)

2014年11月11日火曜日

2014.11.11 秋元 康 『秋元康アートのすすめ』

書名 秋元康アートのすすめ
著者 秋元 康
編者 美術手帖編集部
発行所 美術出版社
発行年月日 2012.02.15
価格(税別) 1,600円

● 月刊『美術手帖』の連載をまとめたもの。副題は「29人のゲストとめぐる美術館の楽しみ方」。その29人は次のとおり。
 高橋みなみ ヒロミ 彦摩呂 篠田麻里子 秋山成勲 大島優子
 リリー・フランキー 藤原ヒロシ 甘糟りり子 清川あさみ 岩崎夏海
 村上 隆 高岡早紀 勝間和代 藤井フミヤ 堤 幸彦 山口 晃
 サイトウ・マコト 宇津井 健 中井美穂 姿月あさと 伊藤英明 石橋貴明
 和田秀樹 藤岡藤巻 長島一茂 川島なお美 梅佳代 千住 明

● 現代美術ってこういうものなのかと蒙を啓かれたが,読み終えるのに1週間かかった。小さな本だけれども,だいぶ手こずった。

● いくつか転載。
 秋元 こういうのを見ると,改めて考えさせられますよ。アートとそうでないものの境目はどこにあるんだろうと。 村上 それはコンテクスト(文脈)がつけられるかどうかでしょ。秋元さんはアイドルをプロデュースするとき,どこを見て「いけるな」と思いますか? 秋元 ストーリーを紡ぐことができるかどうかだね。その人からたくさんのイメージが湧けば,いろんなことを仕掛けられる。つまり,深読みできる要素を持っている人がいいと思う。 村上 すごい! アートもまさに同じ。深読みしてもらえなかったら終わりなんです。(p90)
 秋元 アートとデザイン,作品をどちらと呼ぶにせよ,クリエイターとは「俺の才能を見せつけたい!」っていう人なんだね。 サイトウ つまりはエゴの塊。モノを生み出す人間っていうのは,そういうものでなくちゃ。(p132)
 何かを信じている人たちの,迷いのなさと潔さ。それが大きなエネルギーを生む原動力になる。(中略)信じることは,極めて主観的な行為です。客観的な立場にいては,「信じて突き進む」という態度にはなりえません。(p158)

2014年11月10日月曜日

2014.11.10 松長有慶 『高野山』

書名 高野山
著者 松長有慶
発行所 岩波新書
発行年月日 2014.10.21
価格(税別) 880円

● 高野山の碩学が書いた高野山の案内書,といっていいものだと思う。興味深かったのは空海亡きあとの高野山の歴史。
 なかなか創業者の志は受け継がれないものだ。高野山に限らず,どの宗団でもそうだろうし,宗教に限らず,あらゆる組織体はそういうものだろう。
 ときどき,中興の祖と呼ばれる人物が出る。奇跡を見る思いがする。

● 比叡山との比較論も若干,展開される。比叡山は山頂から巷の様子を眼下にすることができるのに対して,盆地の高野山はそうではない。たしかに高度の高い位置にあるけれども,盆地なんだから地の底でもあるわけで。
 鎌倉時代に,この(比叡山の)山上で厳しい修行を積み重ねた僧たちが,やがて山を下り,斬新な宗教理想を掲げて宗派を立て,仏教を新しい形で発展させた。 それに対して八葉の峰に取り囲まれた高野山は,そこから新たな時代思想を生み出すことはほとんどなかった。それよりも戦いに敗れ,また生きることに希望を失った人々を,思想や宗教の差別を超えて受け入れ包み込む,癒しの場として民衆の間で受け入れられてきた。(p15)
● もうひとつ転載。最近は外国人の観光客が増えていると紹介しているところから。
 高野山ではじっくりこもって,むずかしい哲学的な思索を巡らし,独自の理論を構築するよりも,無心に五感を研ぎ澄まし,宇宙の果てから忍び寄る霊気の,声なき通信を体で受け止め,身につける。こういったことに時を過ごすのにふさわしい場所だということに,改めて気づかせてくれたのも海外からの旅行者だった。(p190)

2014年11月9日日曜日

2014.11.09 山田かまち 『17歳 かまち ザ・ベスト ぼくは12色』

書名 17歳 かまち ザ・ベスト ぼくは12色
著者 山田かまち
発行所 角川書店
発行年月日 2000.12.25
価格(税別) 1,300円

● 夭折した山田さんの詩と絵を収録。小さな本。だが,中身はすごいと思った。
 ぼくには絵はわからない。わからないことについて盤石の自信がある。しかし,この絵を17歳の少年が描いたのだとすると,これはひとつの奇跡ではないか。
 技術にとどまらない。器用だなという世界ではない。何者かが住んでいるというか,宿っているというか。

● 高崎に彼の作品を展示した美術館があるという。行かないわけにはいくまい。今年中には足を運んでみたい。

● 彼の詩の一部。
   物事は語るための材料じゃない。夢中になるものだ。
   何もしゃべるな。言葉なんていんちきだ。
   詩なんか書くな。字をかくな。

2014年11月8日土曜日

2014.11.08 原田宗典 『百人の王様 わがまま王』

書名 百人の王様 わがまま王
著者 原田宗典
発行所 岩波書店
発行年月日 19980306
価格(税別) 533円

● 2つの寓話。「百人の王様」は村人のすべてが王様である村へ,旅人がやってきた。助けてくれた王様にある言葉を囁いて去っていく。その言葉が村中に伝わると,威張りあっていた村人が助け合うようになった。その言葉とは“ありがとう”だった。

● 「わがまま王」は,空も太陽も独り占めにした王様の話。大臣はすべて処刑され,住民も自殺していなくなってしまう。その前に盲目の歌姫が現れるが,彼女だけは王様から歌えと所望されても断る。
 が,その彼女も牢屋で衰弱して死んでしまう。その間際に歌の神様が王様に乗り移る。その結果,王様は先年も万年も伝い続けなければならない仕儀となる。

● もちろん,子ども向けに書かれている。挿絵も著者が描いている。

2014.11.06 中谷彰宏 『一行日記』

書名 一行日記
プロデュース 中谷彰宏
発行所 三笠書房
発行年月日 2001.01.15
価格(税別) 800円

● 昔買った本をけっこう大量に処分中。この本もその中の1冊。本というんじゃないでしょうね。読むだけなら5分もかからないからね。
 なので,処分前に再読。

● 手帳にたとえば読んだ本のタイトルを書いておこうよ。読みたい本をメモしておこうよ。行ってみたいレストランがあったら書いておこうよ。そういう勧め。

● 今から14年前はこれで1冊の本に仕立てることが許されたんだな。まだバブルの残り香がかすかにあった頃かな。
 っていうか,この体裁の本って今でもあるか。

2014年11月6日木曜日

2014.11.06 夏野 剛 『1兆円を稼いだ男の仕事術』

書名 1兆円を稼いだ男の仕事術
著者 夏野 剛
発行所 講談社
発行年月日 2009.07.02
価格(税別) 1,500円

● 熱いビジネスマンが仕事について語る。この熱さは理屈抜きで魅力的。魅力的と感じるのは,それが自分にはないものだから。
 どうしたら熱くなれるのか。ほんと,誰か教えてくれないだろうか。って,そんなことを言ってるやつに通じる日本語はないよ,と言われるのが落ちか。

● 最も強調されているのは,企業ではなく,個人の思いを込めた商品でなければならないこと。個の主張があること。
 相手の興味を引き,広く受け入れられる商品,またはサービスを提供するためには,日本の企業にもっと必要な要素があります。 それが「個人の信念」です。信念とはつまり,商品を開発した人が,その商品に込めた「思い」「哲学」「魂」のことです。(p81)
 私は,熱意や執念というものは,その商品に乗り移ると考えています。そして,消費者もそれを敏感に感じ取るものだと。 これは芸術と同じだといえます。たとえば,ピカソが描いた絵には得体の知れないパワーが備わっています。(p82)
 私はiPhoneから,ジョブズ氏の強烈な思い入れを感じます。スティーブ・ジョブズという人間が持つ信念,熱意,哲学といったものが,すべて注ぎ込まれていると感じる。(p86)
 常識の範囲内で無難なアイデアを出す。ところがこれでは,「うちの会社なら,このレベルの商品が精一杯だ」と,自らレベルを落とすことと同じなのです。もうその時点で,信念は感じられません。(p103)
●  ほかにもいくつか転載。ほとんどのシチュエーションで通用する名語録になっているはずだ。
 失敗は成功のもととはいうものの,失敗から何かを学ぶためには,その失敗と積極的にかかわっていなければなりません。最善を尽くさずに会社を潰しても,そこからは何を得ることはできないと思っていました。(p31)
 必死で勉強に明け暮れた浪人生活でしたが,勉強以外に学んだこともたくさんありました。最大の収穫は,とにかく一つのことに没頭して,それを突きつめていくと,その先に別の世界が見えてくるという事実を発見したことです。(p50)
 私は,この「花の命はけっこう長い」という言葉は,ビジネスにも通ずるものがあると考えています。それは,つまり「大きく咲いた花は長持ちする」ということです。(p63)
 仕事を仕事と割り切り,つまらなそうに淡々と業務をこなす人間からは,ポジティブな意欲が感じられず,それが周りのメンバーにも伝わると,チーム全体の士気が下がる危険性もあります。(p115)
 情報が溢れる時代にあって,方向性を合議制で決めようとするとどうなるでしょうか。合議制で決めようとすると,「議論を尽くせば尽くすほど,何も決まらなくなる」という状況に陥りかねません。なぜならば,何か新規ビジネスを立ち上げようとすると,そのメリットのみならず,リスクやリターンに関する情報も多数集まってきて,議論が硬直化する可能性が高いからです。(p120)
 最新技術を駆使した商品でも,売れないものは売れないのです。なぜならば,消費者は技術を買うのではなく,新しい価値や新しい楽しみを提供してくれる商品を買うからです。(p172)

2014.11.04 佐々木正悟 『なぜ,仕事が予定どおりに終わらないのか?』

書名 なぜ,仕事が予定どおりに終わらないのか?
著者 佐々木正悟
発行所 技術評論社
発行年月日 2014.05.10
価格(税別) 1,580円

● 巷間,時間管理を説くビジネス書は読み切れないほどにある。一番多いのは“スキマ時間活用のすすめ”だろうか。あるいは手帳術の解説書。

● しかし,そんなことをいくらやったところで,何も解決しないと著者はいう。なぜなら,時間はもともと足りないのだから。
 自身の経験を通じて私が知った究極のポイントは,「時間はないのだ」という事実が「見える」ようになることの大切さでした。私たちは「時間が足りない」「時間がない」としょっちゅう口にしていますが,心のどこかでそれを疑っています。「うまくやれば時間が足りるはず」とか「ダラダラしなければ時間がないわけではない」と思い込んでいる,または思い込まされているところがあります。しかし,時間はもともと足りないのです。(p5)
● ぼくらの時間感覚に対して,著者は次のように言う。言われてみれば,いちいち納得する。
 明らかに愚かな,明らかにバカげた,明らかにムダな行動を,そうと知りつつ,わざわざやったりはしないものです。(中略)「ある時間の使い方がムダだった」とか「もっと効率よく動けたはずだ」というのは,後からでなければわからないのです。これは大事なことです。 要するに「ムダな時間を省きましょう」といったアドバイスは,意味がないのです。“ムダ”とわかっているくらいなら,もうとっくに省かれています。(p79)
 これが「空間と家具」だと,すぐ納得されます。しかし,「時間と仕事」になると,「本気でやればできる」とか「実行時間を明らかにすればできる」とか「手帳に書けばできる」といった,意味不明の言説がまかりとおるようになります。まったく信じがたいことです。「本気で入れれば,ベッドルームに入りきらないベッドでも入れられる」とは,だれも思わないでしょう。(p126)
● 「たとえば,通勤時間がちょうど1時間だとした場合,あっさりと「よし,この1時間をプログラミングの勉強に充てよう」などと」考える。けれども,実際にやってみれば,次のようなことが即座にわかる。
 そもそも1時間の通勤時間をまるまる何かに使えるわけではない
 立ったままでできることはとても少ない
 それでも勉強を強行すると,とても疲れる
 であれば,それは諦めないといけない。
 人はしばしば,諦めるべきところで「自分の意思の弱さ」などを嘆き出すのですが,それは時間管理ではありません。「現実的に不可能で諦めたほうがいい」という事実を認識するのが,時間管理です。(p105)
● 著者の警鐘はなおも続く。
 テレビにタンスをくっつけないように,部屋をものでぎっしり埋めたら,部屋は使えなくなります。同じように,1日を活動でぎっしり埋めたら,1日は使えなくなるのです。(中略)こう考えてみると,「スキマ時間の活用」といった話が,いかに無理をさせようとしているかも明らかになります。(p128)
 「休憩」を「バッファ」(予備時間)と書き換えることは容易なことです。これを繰り返していれば,やがて「空きのまったくない物置のような空間」と変わりのない時間の使い方になります。つまり,時間は使えなくなるのです。(p130)
 なぜこんなこと(完璧主義的な仕事のしかた)をやり出してしまうかというと,「根本的に対策を打てば,その後問題に見舞われずに済む」というイメージに惑わされるからです。(中略)しかし現実には,それがかえって生産性を落とす結果になります。(p140)
 自責の念に駆られると,記憶がウソをつきます。どんなウソかと言えば,「実際よりも時間的、リソース的な余裕があったはずだ」というウソです。(p204)
● では,どうすればいいのか。タスクシュート時間術というものを提唱する。要は,時間がないことを見えるようにするということのようだ。
 1分以上かかるすべての行動を見積もりをあらかじめ出します。なぜそのようなことをするのかというと,細かくても見積もり時間がないと,「12:05に昼食に行ける(それまではいけない)」という情報が正確でなくなるからです。「終了予定時刻が正確であること」がとても大切です。正確であることによって,「今,たとえ1分でもムダにすると何が起こるのか?」が目に見えてわかるようになり,だからこそ時間を節約できるようになるのです。(p64)
 1日の時間のシミュレーションをすることです。そして,そのシミュレーションの記録を残すことです。事前にできることといえば,それしかありません。(p81)
 ポイントは,記録をつけることです。記録について明らかに言えるのは,少なくとも「想像よりははるかに客観的な実像に近い」ということです。有り体に言えば,記録のほうが本当なのです。記憶の中の自分は,ハッキリ言って虚像です。そんな虚像をいじり回していたところで,仕事が「完璧にできる」などということは,永遠に達成されるはずがないのです。(p205)

2014年11月4日火曜日

2014.11.03 中谷彰宏 『「あと1年でどうにかしたい」と思ったら読む本』

書名 「あと1年でどうにかしたい」と思ったら読む本
著者 中谷彰宏
発行所 主婦の友社
発行年月日 2013.03.31
価格(税別) 1,300円

● もう1冊がこの本。前回読んだ記憶なんてカケラも残っていない。

● いいことを言っているんだけどね。なるほどと思うことがたくさんありましたよ。
 ひとつだけ転載。
 社会人になってからも,部下と上司の関係で,もう1回反抗期が来ます。大人の反抗期は,子どもに比べて年齢差が大きいのです。(中略)40代近くになって,まだ「上司が気に入らない」「上司がバカに見える」と言っている人もいます。 これは子どもが親に対して,「わかってくれない」「ほめてくれない」「クソジジイ」「クソババア」と言っているのと同じです。社会人の反抗期をいかに乗り越えるかです。反抗期を乗り越えなければ,成長できません。(p26)
 本当にそうだろうなと思う。しかし,なかなか難しいだろう。60歳や70歳のジイサンやバアサンの中にも,乗り越えている人を見るのは稀だものな。
 ぼくも乗り越えられていないですね。全然ね。

● まぁ,完璧に忘れていたのは,もう一度読めという神さまのお導きだと思うことにする。

2014.11.03 ジェームズ・アレン 『ジェームズ・アレンの法則』

書名 ジェームズ・アレンの法則
著者 ジェームズ・アレン
訳者 ピータ・セツ
発行所 イーハトーヴフロンティア
発行年月日 2004.06.24
価格(税別) 953円

● 先月27日に読んだ『ジョブズ・ウェイ』と同じ経験を二度続けてすることになった。つまり,すでに読んでいる本をそうと知らず読み始めて,読み終えたあとでもなお,一度読んだ記憶が一片たりとも甦ってこないという経験。

● その1冊目がこの本。ジェームス・アレンの“AS A MAN THINKETH”の訳書。原文も掲載した対訳になっている。

● たぶん,アレンあたりが“引き寄せの法則”の元祖ってことになるんですかね。先日読んだ斎藤一人『神さまに上手にお願いする方法』ともかなりの程度,内容が重なる。こういうことって,洋の東西を問わず,考える人は考えるんだな。
 違いはというと,斎藤一人さんの本は小学生が読んでもわかるように,口語調というか噛み砕いているのに対して,アレンは少々ペダンチックな感じがすることくらい。どちらが難しいかといえば,噛み砕く方が難しいだろう。

● 唐突なんだけど,1997年にappleが行った“Think different”キャンペーン。この考え方もアレンが説くところに繋がるような気がする。

2014年11月3日月曜日

2014.11.01 斎藤一人 『神様に上手にお願いする方法』

書名 神様に上手にお願いする方法
著者 斎藤一人
発行所 KKロングセラーズ
発行年月日 2014.11.01
価格(税別) 1,200円

● “15分間シリーズ”と銘打たれている。文字どおり15分間で読める。

● 斎藤さん,2,3年前からけっこうきわどいことを書くようになっている。ある種の覚悟を決めたんだろうね。

● いかにいくつか転載。
 「内神さま」(一人ひとりに神が付いている)にお願いするときには,ちょっとしたコツがあります。それは・・・・・・,「なりたい状態になったつもりで感謝する」ということです。カンタンに言うと,幸せになりたい人は,「私はとっても幸せです。感謝しています」と願うのがコツなのです。いまあなたが不幸だろうが,大変な状態だろうが,そんなことは関係ありません。(p28)
 さらに,とっておきのコツをお話しましょう。「お願いする言葉は,最後に言ったことが大事」なのです。(p31)
 「自分だけが“神”だ」と思っちゃダメですよ。(中略)人は全員が“神”なんです。そこに到達すれば,あなたの人生は劇的に変わっていきます。(p55)
 神さまは,本人がやるべき「修行」を,他の人がジャマすることを嫌います。(中略)お姉さんは,弟が「借金取り」に追われていたとしても,手出しをしてはいけません。「弟は,自分がやったことに対して,ちゃんと責任を果たせる人間だ」と信じて,「弟はいい修行をしているなあ・・・・・・」と気長に見守ることです。そして,弟さんが「修行」の結果,どんな状態になったとしても・・・・・・,お姉さんは自分が幸せになることをやめてはいけません。(p65)
 親は子どもより「経験」があるので,「そんなことをすると失敗する!」とか,「そんなことをすると苦労する!」というのがわかるんですね。でも,子どもは,それをしたいのです。失敗したとしても,苦労したとしても,それを経験したいのです。(p68)

2014年11月1日土曜日

2014.11.01 内藤在正 『ThinkPadはこうして生まれた』

書名 ThinkPadはこうして生まれた
著者 内藤在正
発行所 幻冬舎
発行年月日 2011.10.27
価格(税別) 1,500円

● ぼくはThinkPadユーザーだ。何台か続けて使っているし,これいいから使ってみなよと,知人に1台あげたこともある。
 もちろん,たいした使い方はしていない。ごく平凡だと思う。ネットを見るのと文字を書くことくらい。時々,音楽も聴く。
 だから,パソコンは何だっていいんだと思う。にもかかわらず,ThinkPadを使っているのは,キータッチが気に入っていることと,デザインに惹かれていることが理由ですかね。デザインっていうか,黒一色にトラックポイントの赤の組み合わせですね。
 おそらく,パソコンに関しては,これから先もThinkPadしか使わないんじゃないかと思う。

● 最初の4台はThinkPadじゃないのを使っていた。ThinkPadって個人ユーザーではなく,法人需要を想定して生産されたようだから,わりとショップでも見かけることは少なかった。
 でも,ずっと憧れていましたよ。MacintoshのPowerBookとIBMのThinkPadには。
 それに,ThinkPadって高かったからね。フラッグシップモデルは100万を超えていたんじゃなかったか。ちょっと手が出ませんでしたよね。

● 著者によると,最初は白を考えていたらしい。「そんなとき,IBMのデザイン顧問を務めていたリチャード・サッパー氏と,コーポレートIDチームが私のもとへやってきて,「色は黒」だと言いました。色だけならまだしも,現在の角張ったデザインへの変更も求められました」(p33)ということ。
 それで良かったんでしょうね。黒と角張ったデザイン。そうじゃないThinkPadなんて,今じゃ想像できないもんね。

● パソコンの諸々の解説書や啓蒙書はだいぶ読んだ。100冊になるか,200冊になるか。その大半は処分してしまったけれども,『All about ThinkPad 1991-1998』(ソフトバンク 1998年)は手元に残してある。
 この本を見て,ThinkPadへの憧れをかきたてたんでした。あるいは,かきたてられたんでした。

● 本書は,ThinkPadの生みと育ての親とでもいうべき著者が,ThinkPadと大和研究所の舞台裏を語る的なものだけれども,外部の読者にではなく,研究所のメンバーに語っているような趣がある。これだけは言っておきたいぞ,と。

● 著者が強調しているのは2点ある。ひとつは,働いた時間の長さではなく,生産性(プロダクティビティ)を重視せよということ。ThinkPadはそのために作っているんだよ,と。
 もうひとつは,したがって,パソコンの命はあくまでスピードにあること。
 このあたりの発言を以下に転載。
 確かに日本人はよく働きます。勉強もします。夜遅くまで頑張る国民です。優秀であることも間違いありません。しかし,世界にはもっと頑張っている人たちがたくさんいて,しかももっと上手に頑張っている人たちもたくさんいます。私の心配は,いつの間にか,日本人が世界を舞台とした競争の中から脱落し始めてしまっているのではないかということです。(p5)
 たしかにそう思えましたよね。民主党政権の時代。今は,アベノミクスが功を奏してかどうか,円安株高で再び,日本人が活気づいてきた気がする。行けるんじゃないかって。
 ノートPCにはさまざまな機能が求められます。私たちがThinkPadで重視する機能も,たくさんあります。その中で,最も大切な機能は,常に「スピード」だと思っています。処理スピードはもちろん,通信のスピードも含めてのスピードです。 私がThinkPadの開発に携わってきた18年以上の歳月の間にも,何度となく「スピードはもう十分だ」という声を聞きました。私はそのたびに,こう思ってきました。「そんなわけはない」(p58)
 コモディティなパソコンによって行える仕事や作業は,やはりコモディティなレベルになってしまうということではないでしょうか。仕事がコモディティだから,パソコンに求める機能も少ないし,スピードや容量もそれほど必要ないということです。(p60)
 これは,正直,耳が痛い。ぼくの場合は,まったくそのとおり。最新型のパソコンは要らないなと思っているんだけど,自分がパソコンでやっている作業がコモディティなレベルだからだと言われれば,反論の余地はないな。
 長く働くことが偉ければ,人はプロダクティビティを気にしなくなります。これでは,国際競争に負けてしまいます。プロダクティビティを重視する人間は,早く帰りたいから,パソコンに対してもさらにスピードを要求します。(中略)ウェブのブラウズで10秒も15秒も待たされるマシンでは困ってしまうわけです。(p82)
 ある日,乗ったタクシーが別のタクシーにぶつかりそうになったのです。間一髪で避けることができて事なきを得た,その時です。二人が異口同音に同じことを呟いてしまったのです。「どうせなら,ぶつかればよかったのに。そうすれば病院で寝られた」(中略) その時は本当に疲れていたので,つかの間の世迷言だったとはいえ,それは本音だったのです。 そんな働き方は全く自慢にもならないし,よくない話です。そんな時代があったことも,自分がいわゆるワーカホリックと呼ばれる企業戦士の一人だったことも否定はしませんが,そうした働き方をもはや是認することはできません。それでは日本は決して再生などできるわけがないと思います。(p193)
 しかし。たとえばThinkPadというブランドの製品を立ちあげ,それを市場に認知させようとすれば,ITがいかに発達していようと,ぶつかれば病院で寝られたのにと呟くような,過激な(密度の濃い)長時間労働が否応なく求められる過程は避けられないんじゃないかとも思うんですけどね。

● ほかにもひとつ。
 実は私は,長年にわたって一つの間違いをしてきました。自分の後継者をつくるということは,自分をたくさんつくることだと考えていたのです。(p133)
● ところで。この本,前から読みたいと思っていて,東京に出向いた折りに,いくつかの書店を覗いて探したんだけど,全然見つからなかった。
 灯台もと暗し。宇都宮の喜久屋書店にありましたよ。