2015年5月31日日曜日

2015.05.30 下川裕治・中田浩資 『週末アジアでちょっと幸せ』

書名 週末アジアでちょっと幸せ
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2012.08.30
価格(税別) 660円

● 下川さんの著書は『12万円で世界を行く』以来,ほぼすべてを読んでいる。旅から離れたノンフィクションもいくつかあるようだけれども,それは逆に大半,読んでいない。
 下川さんのすごみは,旅を取りあげられたら生きられない人ではないかと思わせるところにある。ギリギリのところで命をつないでいるという趣がある。

● したがって,彼の文章で表現される旅も,娯楽や遊びという範疇を自ずと超えて,ある種の香気を放つ。たくまずして紀行文学になるというか。上手に世渡りができる人,世間と苦もなく折り合える人には,まず書けない文章のように思われる。
 これを才能といってもいいけれども,その才能のために彼が払っている犠牲を思うと,自分はその才能を持たなくてよかったと思う。

● 金子光晴『マレー蘭印紀行』の跡を辿る章がある。このときの金子光晴もまた傷心を抱えていたというか,思い屈して光が見えない状態だったと思うんだけど,それをわざわざ辿ってみようと考える人はあまりいないように思う。
 ひょっとすると,編集側の企画だったのかもしれないけれども,どうしたって金子光晴と下川さんを重ねたくなってくるわけでね。

● 以下にいくつか転載。
 なぜ旅に出るのか。「人はなぜ山に登るのか」という問いかけの答に似た,含蓄のある言葉を期待する人には申し訳ないが,僕の答はいたって単純である。 逃げたいから。 ただそれだけである。仕事や知り合いや家族からの逃避である。(中略) しかし僕にはいくじがない。糸が切れた凧になる勇気がない。ぎりぎりまで行くのだが,引き返してくる。(p8)
 しかしいまになった気づくことがある。 原稿用紙に書き込んでいく僕の旅のエッセンスは,その二十七歳のときの一年にぎっしり詰まっているのだと・・・・・・。書く内容や国が違っても,そこに流れる旅は,あのときのものだったと・・・・・・。(p113)
 地名というものは,旅の目的地を決める動機になると思っている。こういう感覚は,目的地を決めず,さて,次はどの国に行こうか・・・・・・といった長い旅を経験すると身に付いてしまう。(中略) 長い旅を続けていると,旅の欲求のレベルがどんどん下がっていってしまう。「ソウルで参鶏湯が食べたい」「台北で足裏マッサージ」などと週末旅のプランを練る人には想像もつかないほど,密やかで控えめな,旅の目的で十分になってくる。(p149)
 中国人は列をつくることができず,声が大きい。世界のあちこちで,中国人観光客と接した人々が溜息まじりに呟く。しかし中国では,そうでもしなければ,ほしい物は手に入らず,切符も買うことができなかったのだ。それが彼らの行動に染みついてしまっている。(p158)
 新彊ウイグル自治区の,穏やかな人間関係のなかで育った彼らが,漢民族の世界に入っていく。(中略)いじめられることがわかっている世界が待っているのだ。 果てしない異国といわれたエリアから,星星峡を越え,東の厳しい社会に向かっていかなくてはならない。それが少数民族となってしまった人々の生き方だとしたら,少し切ない。(p185)

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