2017年12月29日金曜日

2017.12.29 堀江貴文 外 『新世代CEOの本棚』

書名 新世代CEOの本棚
著者 堀江貴文 外
発行所 文藝春秋
発行年月日 2016.03.25
価格(税別) 1,400円

● 堀江貴文,森川亮,朝倉祐介,佐藤航陽,出雲充,迫俊亮,石川康晴,仲暁子,孫泰蔵,佐渡島庸平の10人が著者に名を連ねている。もちろん,ライターがインタビューして文章をまとめている。

● 最も意外だったのは,森川亮さんが『7つの習慣』を愛読書にあげて,フランクリン・プランナーを使っていること。できる人って,こういうものに目もくれないものだと思っていたので。
 もちろん,そのように思っていたことに,確たる根拠などはない。たぶん,そんなものなのだろうなぁと思っていただけ。

● 最も印象に残ったのは,佐藤航陽さんが,知りすぎるとすべてが相対的に見えてしまって,経営者としてはパッションを持ちにくくなる,と語っているところ。
 そういう人は学者になればいいのかもしれない。そうはいっても,経営者が知る努力をやめてしまってはいけないのではないかとも思うし。
 出口治明さんなんかは,どうやってパッションを維持してきたのだろう。

● 堀江貴文
 座右の書とか,人生で影響を受けた本というのはありません。本1回読んだら終わり。何度も読み返す人は,何のために読み返しているのか,逆に聞きたいくらいです。(p11)
 本を読んだら,読んだ感想をすぐにアウトプットする習慣をつけるといいと思います。ブログとかで簡潔にまとめる。簡潔というのがポイントで,読書感想文をだらだら書くとよくないんです。(中略)ネットは文字数制限がないから,自分で意識して短くまとめないと,ついだらだら文章を垂れ流すことになってしまう。140字のツイッターはすごく練習になります。本のキャッチコピーをつける気持ちで,短く言い切る。そういう練習を普段からしていれば,アウトプットの質は高まります。(p11)
 歴史を俯瞰すると,なるほど,これがこうなって,あっちにつながっていくんだということが見えてくる。この蛇口をひめるとドカンと来そう,という勘所がわかるんです。(p20)
● 森川亮
 僕はこれまでの起業家人生でたくさん失敗を経験してきたので,これ以上時間をムダにしたくないという気持ちが強くあります。失敗するのは仕方ないけれど,同じ失敗を繰り返してはいけない。(p34)
 日々,小さな改善をすること。細部にこだわるのは,高速で走っている新幹線はひと粒の石ころでも第事故につながるとの思いがあるからです。(p35)
 1日に意思決定できるボリュームが決っているとしたら,くだらない意思決定ばかりしていると,本当に大事な意思決定ができなくなる。(p37)
 一緒に働くなら相性が重要で,相性が悪い人と無理に仲良くしようとすると,時間がムダになってしまう。会社としては,モチベーションを上げてあげないと働けないような人より,最初からモチベーションがある人と仕事をしたほうが,お互いにハッピーです。(p37)
 いくら計画を立てても,必ずしも計画通りにいくわけではありません。だから,計画は一つ立てて終わりではなく,あらゆる事態を想定して100くらいパターンを用意しておきます。(p38)
 リーダーシップに決まったかたちはありませんが,自分本位だとうまくいきません。(p39)
 地方創生や地域の活性化というと,すぐに皆,よそのまちの取り組みをまねし始めるのですが,横並びでフラット化すると価値がなくなってしまうから,いかに多様性を生み出すか。(p41)
 起業の素晴らしさを述べた本はたくさんありますが,実態としてはむしろつらいことばかり。でも,そこから這い上がっていく中で,人間としても大きく成長できるのです。本当に大事なのは,スキルでも経験でもなく,精神的な粘り強さと誠実さ。(p45)
 みんなが共感する仕組みは何かと考えると,最終的には人間だけではなく,動物も自然も宇宙も共存できるような仕組みではないでしょうか。そういう気持ちでやらないと,世間から排除されてしまうのではないかと思います。(p46)
 大事なのは,本気か本気じゃないかです。自分が納得できないものは本気になれないし,それでは他人を説得することもできません。(p46)
● 朝倉祐介
 先行事例,特に先駆者たちの失敗体験を自分のものにしておくことに意味があります。ITベンチャーの世界でいうと,『社長失格』は最高の読み物です。(p60)
 経営者も人間なので,気を許すと,自然にゲマインシャフト寄りの発想に陥りがちです。目の前にいる従業員とは日々接しているわけですから,「社食がまずい」という声があがってきたら「なんとかしなきゃいけない」と思ってしまう。けれども,株主や投資家とは毎日顔を合わせるわけではありません。(p65)
 本は,読むタイミングが重要です。(中略)必要に迫られて読んだときのほうが迫力もあるし,得られることも多いのです。(p66)
 口にしたことは現実になってしまうという「言霊信仰」のせいか,起きてほしくないことを言葉にすること自体がタブーになってしまう。事業が衰退局面にあることは誰もが気づいているのに,口に出すことさえ許されない雰囲気が支配する。これでは時代の変化に対応できません。(p68)
 他人の話を真面目に聞く人というのはなかなかいません。たとえ相手が「わかった」と答えたとしても,離した通りに行動してもらえると期待するのがそもそもの間違いです。(p74)
● 佐藤航陽
 有名なグーグルの20%ルールも,創業者が意思決定を間違えたときのためのリスクヘッジとして,社員の創意工夫を引き出そうという仕組みです。(p97)
 人間は最も古くて実績のある選択肢を選びがちなので,経済にはどうしても「偏り」が生じる。その偏りをスピーディーに見つけることができれば,市場を押さえられる。(p87)
 ハンガリー生まれのユダヤ人であったソロスは,ナチスの支配下にあったブダペストで,同胞のユダヤ人を密告することで生き残り,そこで十字架を背負います。(p89)
 もともと哲学者になりたかったソロスは,再帰性という自分のロジックがこの世界に当てはまるか試してみようということで,自分の論理を実験する場として株式市場を選びます。だから,ソロスにとって投資はただの手段にすぎない。(p90)
 マネーの歴史を振り返ってみて気づいたのは,経済のスピードはリソースのよってまったく違うということです。人が異動したり転職したりするスピードを1とすると,その間に法人の取引は10回くらい進みます。同じ期間に,資本は100倍に拡大して,情報は1000倍くらい拡散する。(p93)
 ビジネスとうのは,そもそも99%の人が負ける世界です。上位1%が残り99%の利益を総取りする世界なので,他人と同じことをしている時点で勝ち目はありません。(p93)
 重要なのは,インターネットはもはやフロンティアではなくなってきているということです。そうなると,ゲノムや宇宙空間に行かざるを得ない。(p95)
 興味の赴くままにいろいろな本を読んでいますが,一つだけ懸念しているのは,知識量が増えすぎると,全部相対的に見えてしまって,経営者としてはパッションを持ちにくくなるという面があることです。(p97)
 何かを思い込んでいる人がすごい集中力を発揮する。その人の思い込みが強いほど,その熱が周りに伝わり,世の中が動いていきます。ところが,いろいろ考えて,この人の立場もわかるし,この人の立場もわかるとなると,動けない。(p98)
● 出雲充
 「本のキュレーター」でもっとも信頼しているのが,成毛眞さんです。(p111)
● 迫俊亮
 ギリシャ時代から,人間が考え,悩んでいることはだいたい同じです。どれだけ文明が発達しようが,人間そのものはたいして進歩していない。(p140)
 それまでの私はどこかで,「本に書かれていること=正しいこと」と考えていたのでしょう。(p143)
 人の思想や行動は,主体的に生きているつもりでも,知らず知らずのうちに社会構造によって規定されている。この考えがすべての社会学の基本となっています。(p144)
● 石川康晴
 大御所とされるような経営者の方と会食をすると,ほとんどが自慢話だったりする。でも,その話の中で,はっとするような言葉を1個,2個といただけるわけです。(中略)はじめから著者の経験や教えが整理して書かれているのが,本。学びの効率は本に軍配が上がるでしょう。(p160)
 現代アートとは,概念を見るものだと考えています。美しさではなく,裏側にあるクリエイターの「新しい概念」を期待するもの。もはや,哲学なんですね。(p169)
● 仲暁子
 意思決定というのは,最終的には思想の表れです。もっと言えば,経営者の「好き嫌い」でしょう。(p185)
 いまこの瞬間に向き合わなければ,未来計画を立てても意味がない(p193)
 人間はゴールを決めた瞬間がもっともやる気が高く,あとは落ちる一方だ(『スタンフォードの自分を変える教室』)(p193)
● 孫泰蔵
 先進国と発展途上国という区分けにしても,物差し自体がきわめて20世紀的であると言わざるを得ません。(o211)
 やはりアウトプットを意識して読んだほうが,内容をより深く理解できる(p212)
 この,愚直に努力し続けるという姿勢こそ,起業家に最も必要なものではないかと僕は思うのです。(p220)
● 佐渡島庸平
 僕はきれいな言葉をつむぐ人が好きなんです。こればっかりは育てようと思って育てられるものじゃないから,編集者として,その部分は手伝えない。(p234)
 クリエイターの才能を見極めるポイントは観察力だと思います。(中略)伸びる人は,同じものを見ていても,人とは違うところまで見えています。(p234)
 ストーリーづくりの要は想像力だと思っている人が多いかもしれませんが,僕はそうは思いません。実際,ほとんどの物語は,過去の記憶を再編して,そこに10%くらい新しい要素を加えてできています。想像力の果たす役割は1割くらいしかないんです。(p235)
 自分というのは一つではなくて,相手によって違った自分が引き出される(中略)。今,目の前にいる人は,僕が引き出したその人の一面にすぎないわけです。(中略)相手からよりよいパフォーマンスを引き出したいなら,自分が先に変わらなければ,と素直に思えるようになりました(p241)
 今,僕が思っているのは,インターネットの中で先に話題をつくってから,その後のマネタイズの手段の一つとして本があると,成立しやすいということです。(p244)

2017年12月27日水曜日

2017.12.27 髙村 薫 『空海』

書名 空海
著者 髙村 薫
発行所 新潮社
発行年月日 2015.09.30
価格(税別) 1,800円

● 空海については,先月,松岡正剛『空海の夢』を読んで,疲労困憊したというか,何を読んでももう仕方がないかもしれないな,と思ったというか。
 が,気を取り直して,今回は髙村薫さんのこの本を。

● 著者が女性だと,女性ならではの視点でという言い方をされがちなものだろうか。文章に柔らかさは感じたけれども,女性の視点というのは,たとえあったにしても,ぼくにはわからないだろう。
 が,文章を書くことを業とする人ならではの視点というのはあるかもしれない。空海の言語感覚への言及と,恵果の空海への賛辞の捉え方にそれを感じたのだが。

● 以下にいくつか転載。
 坂上田村麻呂の蝦夷征伐後,東北の土着の祈りを教化してきたはずの仏教は,神々や祖霊たちとともに生きる民衆の祈りに,いつの間にか逆に吸収されていたのである。(p13)
 三一歳の山内のある住職は,修行より人間関係の難しさに苦労したとさらりと語り,二〇一三年三月に専修学院を出たばかりの二十代の青年僧も,学院で一番きつかったのは寮生活の人間関係ということだった。どちらも実に好青年であり,密教の神秘体験は自分にはないと話す。(p19)
 自身の役割についてのこの平明な確信こそ彼らを明るくしている当のものだとすれば,彼らにこうした確信をもたらす真言宗もまた,平成のいま,とにかく明るく風通しのよい相貌をしているということになろう。(p22)
 千二百年という年月は,私たちがふつうに想像をめぐらせることのできる範囲をはるかに超えている(中略)千二百年前の日本人は,一言で言えば今日とはかけ離れた常識や価値観,世界観をもって暮らしていたのであり,私たちのものの見方では測れないと考えたほうがよい。(p26)
 歴代天皇たちの、仏教へのこの認識の高さはどうだろう。(p31)
 これ(空海と恵果の劇的な出会い)については,(中略)中国人らしい歓待の世辞であった可能性もないことはない。空海が記した恵果とのやり取りには,後者(世辞)ではないかと思われれる言辞が随所に見られる(p55)
 つながるはずのないものをつなげるためには,本来の意味を不断に読み替え,最後は論理を超えてゆかねばならない。(p70)
 それにしても空海は強運の持ち主である。そこに並外れた情熱と行動力,気配り,積極性,筆まめ,文才が加わればもはや無敵だろう。(p72)
 宗教的確信は,論理を超越する。信心に無縁の人間が宗教者の著作に触れるときに感じる違和感がそれである。空海の,言葉への並外れた執着と独創的な言語感覚は,同時代のほかの仏教者には見られないものである。いわば言葉で世界を言い表すというより,ことばで世界を強引に創造してしまうと言おうか。(p74)
 文字へのこの特別な傾倒は,空海を同時代に屹立させている最大のものだと私は思う。(p79)
 仏陀の死以来,人びとが追い求めてきたのは仏舎利や仏像といった目に見える信仰の対象であり,そうした具体的な対象があったからこそ仏教が営々と永らえてきたことを思うとき,目に見えるものとしての曼荼羅への空海の直観的な傾倒は,よく理解できるような気がする。(p94)
 唐から請来したすべての経巻や法具や仏画を,金剛峯寺ではなく東寺に納めたことを見ても,空海が東寺を日本の青龍寺とみなし,真言密教の根本道場にせんとしていたのは明らかである。(p107)
 近年の研究では,空海が没して以降,数百年にわたってその著作が宗派内でひもとかれた形跡がない,というのである。にわかには信じがたい話であるが,それが事実なら,祖師空海の眠る御廟はともかく,その生前の偉業はすっかり軽んじられ,あるいは忘れられていったことになる。(p111)
 日本仏教を底辺で支えた高野聖は,高野山と弘法大師を千二百年生き延びさせた最大の功労者であることに疑いはない。(p128)
 お遍路たちの気分を一言で言えば,高揚と多幸感であろう。そしてその高揚こそが,ときにお大師さんを出現させる当のものだと思う。(p139)
 この空気は地元の人びとにも伝染する。(中略)お遍路の姿を見ると自然にありがたい気持ちが湧き,お接待に走る。四国遍路に特有のお接待は,大師への喜捨という側面もさることながら,地元の人びともまたある種の高揚感に包まれていると考えるほうが分かりやすい。(p142)
 最澄は晩年,東国の法相宗の学僧徳一と法華経の解釈をめぐる論争に明け暮れたことが知られているが,教相判釈への徹底したこだわりは,すべての顕教を呑み込んで障りなしとした空海と大きな対照を為す。(中略)すべてを包含してみせた真言密教はそれゆえに大胆な進化を停止し,ぐずぐずと論争の続いた天台教学は,それゆえ進化もあったのだろう。(中略)論理を超越したものは論理によって批判されることもない代わりに,大きな変化や革新からは孤絶するのである。(p177)
 恵果をして「相待つこと久し」と言わしめた空海の名声とは,その博識や学習への情熱といった抽象的なものではなく,誰もが眼で見て分かるものから来ていたはずである。そう,空海はその全身から菩薩のようなオーラを発していたのではないだろうか。(中略)入滅後,急速にその名声が退いていったのも,眼に見えるオーラがなくなったためだと考えれば,一層分かりやすい。(p184)

2017年12月23日土曜日

2017.12.23 リーアンダー・ケイニー 『ジョナサン・アイブ 偉大な製品を生み出すアップルの天才デザイナー』

書名 ジョナサン・アイブ 偉大な製品を生み出すアップルの天才デザイナー
著者 リーアンダー・ケイニー
訳者 関 美和
発行所 日経BP社
発行年月日 2015.01.13
価格(税別) 1,800円

● ジョナサン・アイブといえば,もはや知らぬ人はいないであろう,アップルの立役者。
 本書は彼の自伝であり,アップルの解体新書でもあり,工業デザインの入門(あるいは紹介)書でもある。

● 面白くなるのは,ジョナサン・アイブがアップルに入社してからで,著者もそこからの力の入れ方が違ってくる。とりわけ,スティーブ・ジョブズが復帰してから。
 取材対象が多くて,書きやすくもあるだろうし,読者が読みたいのもそこからだとわかっているからでもあるだろう。

● ここを読んでいて,このときに全財産をはたいてアップル株を買っていればなぁと思わない人は,あまりいないだろう。
 ぼくもそうなんだけど,実際に買えた人は少ないだろうね。そういうもんだよね。過ぎてから,あのとき買っておけばと考えるのは,凡人のサガというもので,それ以上ではない。

● iPhoneやiPadを使っている人は,自分は素晴らしい製品のユーザーなのだと満足感を刺激してもらえるだろう。
 ぼくはWindowsとAndroidから出られない人間なんだけど,なるほどアップルはここまで作り込んでいるのかと感嘆の連続だった。特に部品を少なくするための執念というか,妥協のなさというか,捨てざるを得ないものを思い切りよく捨てる潔さというか,ただ圧倒された。

● 同時に,ジョナサン・アイブなきあとのアップルはどうなってしまうのかとも思った。いや,その前に,彼が打ちたてたデザイン言語も未来永劫ではないだろう。
 そのことは本書でも指摘されている。デザインの秀逸さを保つために,アップルはどんな手を打つのか。野次馬的な興味がある。

● 以下にいくつか転載。
 そぎ落としてシンプルにする。テクノロジーの業界では普通ありえない。新製品を発表するときには、たいていそぎ落とすのではなく,あれこれと機能を付け加えたくなるものだ。(p18)
 その教授は学生の作品に最大の敬意を払っていた。たとえひどい作品でも,かならずきれいに粉を払ってから,話を始めた。(p43)
 ほとんどの学生なら5,6個の模型で終わるところ,ジョニーは数百個の単位で模型を作っていた。「あれほどのものを見たことがなかった。とことん完璧を追求していたんだ」。(p55)
 CEOのスカリーはこれをPDAと呼んでいたが,ジョニーはわかりにくと思っていた。「日常生活の中でどう使ったらいいかわからないことが問題だった」とジョニーは言う。「具体的なストーリーを提示できていなかったんだ」。(p113)
 デザイナーの採用では,エンジニアリングとコンピュータのスキルはあればいいが,絶対に必要というわけではない。「人柄,圧倒的な才能,少人数のグループで働く能力を見ている。こちらが恐縮するほどの才能を見せつけてほしい」とデイ・ユーリスは言う。(p122)
 あらゆる段階で,彼らはエンジニアの抵抗にあった。「中間管理職の層は限りなく厚く,そのほとんどはデルかHPの出身で,デザイン主導のアプローチを理解できなかった」とブルーナーは言う。(p131)
 「経営側はだれにでも訴求するものを作りたがるが,それでは中途半端なものしか生まれない。出来上がったものは妥協の産物になる。だから天才の輝きが表に現れることはほとんどなかった」とブルーナーは言う。(p143)
 アメリオはデザインをほとんど解さなかった。「利益を追いかけるあまり,製品への思いやりが失われていた。デザイナーに外観を繕うことしか求めず,エンジニアは生産コストを下げることしか考えていなかった。僕は辞めるところだった」とジョニーは言う。(P145)
 「アップルのどこが悪いか教えてくれないか」とジョブズが問いかける。だれも返事をしないでいると,ジョブズは突然大声で怒鳴り始めた。「プロダクトだ! プロダクトが最悪じゃないか! セクシーさがどこにもない」(p147)
 ウィンドウズOSマシンが支配するコンピュータ市場での競争は避けたかった。コンピュータメーカーは機能や使いやすさではなく価格で勝負していたからだ。それは底辺へ向かう競争だとジョブズは考えていた。(中略)500ドルのマシンではなく3000ドルのマシンを作れば,少ない販売台数でも利益を出せる。だから,今までで最高の3000ドルのマシンに集中してみてはどうだろう?(p150)
 ジョブズにとって,デザインは見かけ以上のものだった。(中略)「みんなはデザインをお化粧だと思っている。ハコを渡して『見栄えをよくしてくれ』と言えばいいと思ってるんだ。それはデザインじゃない。外見と感覚だけじゃないんだ。デザインは,ものの働きなんだよ」(p152)
 工業デザイナーは,モノをデザインするんじゃない。僕らはユーザーが対象をどう受け止めるかをデザインする。その存在,機能,可能性が生み出す意味をデザインするんだ(p166)
 コンピュータ業界は,感情に訴えるような目にみえない特質を見過ごしてきた。だが,僕がはじめてアップルのコンピュータを買った理由はそれなんだ。(P166)
 精巧な模型を作ることがデザイン工程の核となる。ジョニーも大学でそれを経験していた。「抽象的なアイデアを素材で表現するとき,もっとも劇的な変化が現れる。たとえ粗い模型でも3Dモデルを作ることによって,ぼんやりとしたアイデアが形になる。プロセス全体が変化するんだ。それが刺激になり,集中できる。驚くほど変わるんだ」とジョニーは言う。(p169)
 ジョニーにとってこのハンドルは実際に持ち歩くためというよりは,触ってもらうことでマシンとユーザーの絆を築くためのものだった。(p176)
 ジョニー率いるIDgの未来志向と明るさはくせになる,とCAD専門家のマージ・アンドリーセンは言う。「エンジニアはだいたい今可能なことしか考えないの。だけど工業デザイナーは,明日や未来になにができるかを思い描くのよ」(p179)
 先に進もうとすれば,置いていくものが出る。だれがなんと言おうと,フロッピードライブは,古臭い技術だ。批判は承知しているが,前進に摩擦はつきものだし,進化が段階的に起きるとは限らない(p189)
 デザインを差別化の手段だと思っている人が多すぎる。全く嫌になるよ。それは企業側の見方だ。顧客や消費者の視点じゃない。僕たちの目標は差別化じゃなくて,これから先も人に愛される製品を創ることだとわかってほしい。差別化はその結果なんだ(p193)
 ひとつ残らず書きとめます。それが義務付けられています。(中略)アップルではすべてを体系的に記録しなければなりませんでした。エキサイトやヤフーといった別の会社で働いてみて,はじめてアップルのすごさがわかりました。他社には全くそういったものがなかったんです。なにも書き記さないんですから。プロセスってなに? 嘘でしょ? という感じで,仕事が終わるとなにも残りません(p201)
 iBookのアイデアは,はじめはてんでばらばらだった。彼らはフォーカスグループや市場調査を使わず,ブレインストーミングでアイデアを生み出していた。「フォーカスグループはやらない。アイデアを出すのはデザイナーの仕事だから」とジョニーは言う。「明日の可能性に触れる機会のない人たちに,未来のデザインについて聞くこと自体が的外れだよ」(p205)
 パワーブックの磁石ラッチは「いい製品」を「偉大な製品」に変えるディテールの代表例だった。(中略)そうした細かい職人芸こそが大切なのだ。ジョニーもそう思っていた。「目に見えない部分に異常なまでに気を配ることが決め手になる。その細部へのこだわりが見過ごされがちなんだ」とジョニーは言う。(p213)
 ジョニーはたくさんの部品をタワー型筐体に放り込むのは怠慢だと考えていた。エンジニアやデザイナーにとって一番簡単だからといって,大きな醜いタワーを消費者に売りつけていいのか?(p218)
 スケッチは工程に欠かせない。ストリンガーは言う。「僕はどこでもここでもスケッチしてしまうんだ・ルーズリーフにも,模型にも。周りにあるものに手当たり次第」(p233)
 ファデルはジョブズに会うのははじめてだったが,こちらが一番いいと思うデザインをジョブズに選ばせるコツを伝授されていた。選択肢を3つ準備して,最後に自分のいち押しを見せる。(p245)
 スティーブになにかひとつだけ見せると,絶対に気に入らないんだ。それがすばらしいものでもね。だから,いつもダミーが必要だった(p250)
 アップルの調査では,電池を交換すると答える人でさえ,実は誰も交換していないことがすでにわかっていた。ユーザー(とりわけ批評家)は交換可能な電池に慣れていたため,密閉バッテリーに抗議する人が出ることはもちろん予想できた。だが,それを削ることで,iPodの筐体は2枚のパーツのみで作ることが可能になった。(p252)
 ジョニーが発明した変速クラッチは,ふたをほぼ閉じた状態でも抵抗が少なく,片手で開けても本体が机から離れない。ユーザー・エクスペリエンスの向上に驚くほど細かい注意が払われているが,どれほどの努力がつぎ込まれているかに気づくユーザーはほとんどいない。(p276)
 アップルのデザイナーがいわゆる工業デザイン,つまりアイデア,ドローイング,模型作り,ブレインストーミングに使う時間は全体の一割ほどだ。残りの9割は,アイデアをどう実現するかを製造部門と一緒に模索している。(p279)
 スティーブはすぐに思いついたことを口にするので,ほかに人がいる場では新しいものを見せないようにしていた。「クソだ」とけなしてアイデアを殺してしまう可能性もあったから。アイデアというのは,とても壊れやすい。だから大事に育ててあげないといけない。(p294)
 もう少しで倒産という瀬戸際に立たされれば,少しはお金を儲けようと考えるのが普通でしょう。ですが,スティーブの頭にあったのは違うことでした。製品がよくなかった,だから「もっといい製品を作るんだ」というのが彼の答えでした。(p370)
 大量生産の準備中に,自分たちの中でいい面ばかりをあげつらっていることに気づくことが何度もありました。私にとって,それはいつも危険な兆候でした。自分がなにかを強く言い募っているとき,自分を納得させようとしているときはたいてい危険なのです(p371)
 アップルにとってはスティーブの死よりジョニーが辞めるほうが深刻だ。ジョニーは替えがきかないから。(p371)
 ジョニー・アイブにひとつだけ秘訣があるとすれば,それはシンプル化の哲学に奴隷のように従っていることだ。(中略)ジョニーの究極の目標は,デザインを消すことだ。(中略)「僕の目標は,シンプルなもの,持ち主が思い通りにできるものだ。デザイナーが正しい仕事をすれば,ユーザーは対象により近づき,より没頭するようになる。たとえば,新しいiPadのiPhotoアプリにユーザーは我を忘れて没頭し,iPadを使っていることなど忘れてしまうんだ」(p374)

2017年12月11日月曜日

2017.12.11 堀江貴文 『稼ぐが勝ち』

書名 稼ぐが勝ち
著者 堀江貴文
発行所 光文社
発行年月日 2004.08.10
価格(税別) 1,200円

● 続いて,堀江さんの昔の著書を。

● 以下にいくつか転載。
 この世においしいアルバイトはありません。アルバイトをはじめた時点で,必ず搾取の対象になるからです。(中略)月三〇万から四〇万円のバイト収入を得ていた僕はというと,これは大学生にとっては少なくない金額でしたから,そこで満足してしまっていたのです。しかし,実はそのとき僕がとるべき行動は,「会社側はなぜこんなに割のいい仕事をくれるのか」ということを考えることだったのです。(p41)
 僕は以前からコピーライターの糸井重里さんに注目しています。あの人は他人をうまく利用することで,成功を収めた人です。糸井さんが立ち上げているホームページの「ほぼ日刊イトイ新聞」はほんとうにすごい。そのコンテンツをつくるために,多くのボランティアを利用しているのです。(中略)自分に自信がある人ほど,自分だけでなんとかうまくやろうとするものです。しかし,それはムダが多い。(p52)
 これまで人類全体ががむしゃらに突っ走ってきて,ふと後ろをふり返ってしまったのですね。「はたしてこれでいいのだろうか」と。僕はいいと思います。後ろを振り返ってもなにもいいことはありません。(p63)
 ものごとを複雑に考えることは簡単なのです。いつまでも引き延ばしていればいいわけですから。世の中って,複雑に考えようとしたらいくらでも複雑に考えられるものなのです。(p81)
 なんでもやりたいときにやるのが一番なのです。(中略)いろいろ無駄なことを考えて悩むよりも,勝算がありそうだったら一回翔んでみればいいのです。(p82)
 多くの人は「基本に忠実」にやらないで失敗するのです。(中略)たとえば,資金繰りの大切さがわかっていない。(p84)
 そういう雑誌に成功例として登場する人たちって,「なんでこんな人が金持ちになれるんだ」という程度の人ばかりです。(p102)
 実は営業をしない人って多いのです。「良い商品を作りさえすれば,自然とお客さんが集まってくるだろう」と本気で思い込んでいる人が意外に多いのです。(p103)
 ビジネスはもともと泥臭いものです。難しく考えてはいけません。気合いと根性。それだけで十分なのです。(中略)気合いと根性でものを売る。それが成功体験につながる。そうするとどんどん気合いと根性がついていく。成功体験が積み重なると勇気がでてくる。(p107)
 取引先は知人に紹介してもらったほうがいい。これは(中略)街角でナンパするよりも,友人の紹介や合コンで知り合うほうが成功率が高いのと同じです。(p109)
 ボランティアは生ぬるいのでやめたほうがいいと思います。ボランティアで結ばれた関係というのは非常に脆いものです。お金が絡んでいない以上,そこには責任が発生しないからです。(p115)
 失敗しないと学べない人は凡人です。自分の身をもってでないと学習できないということは,他人の失敗から学ぶことができない人ということです。(p116)
 ネットワークだけで完結してしまう引きこもりの人向きの仕事ってあると思うのです。たとえば,「ネットナンパ代行」。(p132)
 実はプログラムをつくるのはすごく簡単な作業なのです。しかし,自分でプログラムをしない人たちからは難しいそうに見える。(p151)
 ゲームはすべてネットワークゲームになっていくはずです。理由は,相手が人だからです。人と人のコミュニケーションには,終わりがないのです。(p156)
 僕は無駄に敵をつくらないタイプです。相手に自分が見えていないのだったら,自分を相手を見なければいい。ただそれだけです。(p160)
 「自分の限界はこの程度のものだ」と悟ったときに,未来への道は断たれます。悟ってはだめなのです。僕に言わせれば悟りとは逃避に過ぎないからです。(p162)
 彼(高橋歩)に惹かれてフリースクールに集まってきている人たちというのは,少し怪しいのです。そこに行けばなんとかなるだろうと思ってしまっている。(p164)
 中途半端に祇園で芸者遊びをしても笑われるだけです。個人的なことをいえば,若い素人の女の子と遊んでいたほうが数倍楽しい。(p171)
 若者の夢がなくなることで経済は失速していくのです。僕たちが夢を見せることで,再び日本経済は活性化していくと思います。(p172)
 永遠に安定している世の中なんて存在するわけがありません。「生々流転で諸行無常。万物は常ならず」というのが現実の世界なのです。(p179)
 逆に考えればいいのです。世の中は「常ならず」なのだから,いま貧乏な自分も,数年後には大金持ちになっていると。(p180)
 多くの人がどんどんインターネットに流れて,テレビを見なくなる。実はすでにテレビは「ながら視聴」になってしまっています。(中略)大事なことは「ながら」ものに対しては,ビジネスは発生しにくくなるということです。(p196)

2017年12月7日木曜日

2017.12.07 堀江貴文 『ホリエモンの新資本主義!』

書名 ホリエモンの新資本主義!
著者 堀江貴文
発行所 光文社
発行年月日 2005.05.05
価格(税別) 1,200円

● 堀江さんが刑務所経験をする前の著書。最近の著書と読み比べてみても,堀江さんが言っていることは以前からブレていないことがわかる。
 こんなにブレなくていいのか。ブレていないというのは,成長していないということではないのか。若くして,完成型に至ってしまったのか? と言いたくなるくらいのものだ。

● っていうか,タイプの問題なんですかね。タイプは結局,変わりようがないってことなんでしょうね。
 変わりようがないから,自分もホリエモンになろうと頑張ってみても,十中八九はダメなんだよね。っていうか,十中十,ダメかもしれない。

● 以下にいくつか転載。
 僕の夢は,昔からまわりの人たちに宣言していた,宇宙開発と人間の生命の根源を解明すること。この事業のためには,熱意も時間も費やすけれど,なんといっても莫大な研究費が必要になるのですよ。(p24)
 東大に受かりたかったら,英語の単語帳を丸暗記するだけでいい。いろいろ難しいことは考えずに,体力勝負でシンプルにやる。そのかわり徹底的にやればいいのです。生半可な暗記ではなくて,用法も含めて,徹底的に暗記する。(p26)
 優秀な人材がそこらへんに転がっているはずがない。ほんとうに優秀な人は,必ず自分の力でお金を稼いでいます。(p28)
 就職とは他人のコントロールリスクの支配下に入ることです。どれだけ一生懸命やろうが,結局は搾取の対象になるだけです。(p32)
 企業社会でいちばん得をしているのは,仕事ができない社員です。彼らはできる社員が稼いだ金で食わせてもらっているのですから。(p32)
 僕はニートが増えた原因は,旧世代の産業構造と価値観が壊れてきたことにあると見ています。あらかじめ失われた未来が,彼らにはまざまざと見えているのです。(p36)
 苦労をしたって人間は成長しません。苦労をしないように,頭を使える人間が成功するのです。(p40)
 「自分のできる範囲で」なんて考えていたら,そこで終わってしまいますよね。少し,無理な仕事をこなしていくことで,会社は大きくなっていくのです。(p42)
 成功した人のやり方をマネしても,同じように成功できるとは限りませんが,失敗した人に学ぶと同じ失敗をしなくてすむようになる。(p44)
 「タイミングを読む」と言えば聞こえはいいですけど,要するにいつまでもタイミングを見計らっていて,時間をムダにしているだけなのです。(p64)
 僕の主張は「うまいものを安く」ではなく,「うまいものにお金を払え」。(p68)
 講演に行くくらいなら,講演者の著書を読んだほうがてっとり早いのです。つくづく不思議に思っているのですが,なぜわざわざ僕の講演を聞きに来るのか。(中略)僕が大学に行かなくなったのは,教授は自分の本の内容以上のことは話さないとわかったからです。本に書いてあることを水増しして講義でしゃべるだけ。僕だって同じようなものです。(p72)
 中心にいることで見えてくるものはたくさんあります。それがわかっているから,みんな六本木ヒルズに集まってくるのでしょう。(中略)六本木ヒルズ自体が,一種の広告塔なのです。言ってみれば賃貸料には広告費も含まれているのです。(p84)
 財務諸表を読むのはカンタンです。ほんの少しだけ勉強すればいい。でも多くの人が,このわずかな手間を厭い瑣末な情報ばかりありがたがるのはなぜなのでしょうか。(p88)
 僕はお金のことはすべて実戦で学んでいます。会社の経営というのは,まず実験をしてから理論がついてくる実験物理学みたいな世界です。「理論が先か実験が先か」はかなり曖昧で,理論に振り回されていたら,経営はおぼつかない。(p98)
 ベンツでゴルフにでかけるみたいな典型的な旧世代の「中小企業オヤジ」スタイルって,かっこ悪いでしょう。(p106)
 どんなに時代が変わっても,業種全体がゼロになることはほとんどありません。(中略)落ちめになってもファンがいるということは,非常に強い関係の顧客層がいると考えていいでしょう。(p118)
 なかなか決まらない商談というのは結局はお互いにメリットがないことが多いのですね。(p140)
 興味がないからと言って,食わず嫌いでは自分の目の前にやってきたお宝をみすみす逃すことになる。世の中には,自分の知らない楽しいこと,面白いことがたくさんあるはずです。自分が持っている知識なんて,たかが知れているということを,もっと認識すべきです。(p156)
 「変化に対応する」というと聞こえはいいけれど,要するに後手後手にまわっているということ。変化に対応するのではなく,自分で変化を起こせば,そこで最先端にいられるわけです。(p176)
 僕は伝統とは壊していくものだと思っています。(中略)歴史をきちんと学べば,変化こそが「伝統」をつくってきたことがわかるはずなのです。(p178)

2017年12月4日月曜日

2017.12.04 櫻井秀勲 『多才力』

書名 多才力
著者 櫻井秀勲
発行所 東京堂出版
発行年月日 2012.10.30
価格(税別) 1,400円

● 副題は「ひとつの才能では,もう伸びていけない」。と言われると,そのひとつの才能も持っていない人は途方に暮れるだろう。つまり,圧倒的多数が途方に暮れる。
 ぼくはもう長く生きる必要はない年齢になっているので,気楽といえば気楽なものだが,若い人たちは大変な時代を生きて行かなければならないのだなぁと思った。ため息が出そうだ。

● でもね,ぼく自身の経験からいうと,20歳まで無事に生き延びてきたのなら,おそらく何とかなるよ。社会人になってから,20歳になるまでに味わった苦悩に勝る体験をすることは,たぶんないんじゃないかなと思う。
 学校より職場の方が楽だ。ぼくはサラリーマンの世界しか知らないんだけど,あえてそう断言してしまおう。

● 理由は3つある。ひとつは,同級生かせいぜい前後2年の幅しかない世界から,数十年の幅がある世界に出るということ。後者の方が楽なのだ。
 もうひとつは,会社より学校の方が閉鎖性が高いことだ。会社の方が息抜きできる。最近はそれがしづらくなる傾向にあると思えるんだけど,それでも学校に比べれば自由がきく。
 そして最後に,学校(特に高校)に比べると,暇ができるということ。大学でも部活なんかやってた人は,サラリーマンになると暇ができたと思うだろう。意外に思われるかもしれないけれど,そうなのだ。ただし,結婚して子どもができると,状況は一変するんだけどね。

● だから,あまり怖れない方がいいのだ。仕事をするのに頭は要らないと思ってもらいたい。どんな仕事でも,仕事じたいは単純作業の組合せでできていると考えて,まず間違いはない。
 出世したいとか,人の上に立ちたいとか,仕事を生きがいにしたいというのであれば別だよ。たんに仕事をするだけなら頭は要らないんだよ。

● とはいっても,ぼくの過去の経験は,これからの役には立たないだろうな。本書の著者は80歳を越えている人だけれども,雑誌の鬼編集長を経てきている人で,大過なくというのとは対極にある密度の濃い人生を生きてきた人だ。しかも,80歳を越えてなお現役だ。
 本書から示唆されるところは多いと思う。どうやって仕事を見つけるか,会社でどう泳いでいくか,何が仕事の役に立つか,どうすれば異性にモテるか,上司の覚えをめでたくできるか・・・・・・などなど,多くの経験知に触れることができるだろう。

● 以下に多すぎる転載。
 私が信じられないのは,なぜ学生たちがそのとき絶好調の企業に就職したがるか,という点です。「上がれば下がる」という原則を考えれば,下手をすると,将来,自分が役員になる寸前に,潰れる危険性だってあるからです。それに,そういう企業,業種には最優秀のメンバーが行く可能性が高く,二流,三流校出身者では歯が立ちません。また,そんな簡単な原理がわからないようでは,どの道,成功するなど,不可能でしょう。(p17)
 それも日本だけでなく,外国の裏通りに,将来注目されるような事業が転がっている,ともいわれています。(p19)
 私の経験では,週刊誌が一週間に必要なテーマは,最低五〇本です。テーマの大小は問いません。(中略)これはどういうことかというと,現代人は普通ならば,それだけのジャンルの話題を必要としているのです。(p20)
 ここが重要なのですが,雑学は女性のほうが,はるかにたくさん持っている,ということです。(中略)その理由は,男は好きなタイプを決めているのに対し,女性は常に新しいタイプの男性から誘われるからです。(p35)
 人生で最も重要な点は,目標をはっきりさせることです。結婚してもいいし,しないでもいい,と思っていたら,最良の結婚相手を逃がすに決まっています。(中略)何事にも中途半端な人は,自分自身に自信がないのです。(p35)
 人にかわいがられるには,かわいがられるだけの理由が必要です。無芸大食,無芸多飲でかわいがられることはありません。(p45)
 私は東京下町で育ったことから,町の老人たちに将棋を仕込まれたことが,大きなプラスになりました。(中略)私の失敗は,茶の湯を学ばなかったことでした。もちろんいまからでもいいのですが,茶の湯を知っていたら,もっと人脈が広がったものをと,残念でなりません。(p45)
 いまの若い人たちは,先憂後楽型ではありません。「若いうちに苦労を体験するから,あとで安楽になれる」といったことをいっても,笑われるだけです。(中略)若いうちに,できるだけ先に楽しんでおこうというわけで,私はこの生き方に大賛成です。(p48)
 うまく若者を使えない人たちは,彼らの信頼をかち得られないのです。(中略)こちらが信頼しないことには,彼らも信頼してくれません。(p49)
 この先楽型の若い男女とつき合うからには,こちらも相当幅広い知識を知っていなくてはなりません。明石家さんまは現在五七歳です。それでいて若い芸能人たちを,自由自在に操る芸は,天才といっていいでしょう。私が驚くのは,その知識の豊富さです。実によく勉強しています。(p50)
 スペシャリストは女性が断然有利であって,もともと男には向きません。スペシャリストとは,基本的に守備型であって,それ以外に目を向ける必要がありません。(p55)
 大量入社させる仕事は,誰でもできるものであり,あなたでなくてもいいのです。ということは,入社一日目からリストラ候補だ,と思わなければなりません。中でも男女が交じっている職種は,男子が圧倒的に不利です。(p56)
 男はもともとサラリーマンになるのを当然と思っていますが,女は個人能力を優先します。(p57)
 女性には敵も味方もなく,華やかな能力の男に引き寄せられる習性があります。なぜなら自分を華やかにしてくれる実力があるからです。(p57)
 それは男という生きものが,大から小を考えるのに対し,女性は小から大に上がる種族だからです。これを総体(大)から主体(小)と考えてもいいでしょうし,理論と実際と分けてもいいでしょう。これをわかりやすくいうと,男は「会社へ出かけて行く」と考えるのに対し,女は「会社から帰る」ことを主眼として考えます。(p60)
 女性の活用法について,ときどき他人の講演を聞くことがあります。ところが(中略)女性の目を輝かせられません。その理由は,会社側にとってプラスの話ばかりであり,そんなことを毎日していたら,自分の家が崩壊してしまいます。そこで「ワーク・ライフ・バランス」の問題になるのですが,私にいわせると「ライフ・ワーク・バランス」でないと,女性は興味を持ってくれないのです。(p61)
 三〇分で少なくとも二,三回は女性を笑わせなければダメです。女性を笑わすことができる人は,どんな仕事でも上に立つことができます。(p61)
 いまの世の中,どんなに実力があっても,誰かの助けを借りなければ,なかなかうまくいきません。(中略)私は若い頃から「櫻井牧場」という名称で,八人の女性を身近に置いています。それぞれ仕事や職業,それに年齢が違いますが,彼女たちの知識力情報力によって,編集長生活を無事つとめることができました。学生,OL,主婦,デザイナー,海外航空CA,銀座ホステス,女優,それにもう一人は,その時代のトップ職業の女性を入れていましたが,これだけの女性たちから集まってくる最新情報は,私を大きく助けてくれただけでなく,トップ週刊誌の編集長にまでもち上げてくれたのです。(p62)
 女性にいわせると「男はなんでも広がりのあるほうがいい」ようです。人脈はもちろんですし,話題もそうです。食の趣味はなお一層,広い男性が歓迎されます。和食しか食べない,といった男たちは,必ず敬遠されます。(中略)私は自分でいうのも気が引けますが,高年齢になっても,女性にモテます。若い時期と同様,八〇歳を超えていても,モテ方は衰えていません。それはなぜでしょうか? すべてに広いからです。女性の希望であれば,自分の気に添わなくてもOKしますし,なんでも許容します。自分から「イヤだ」とは,まったくいいませんし,むしろ初体験を歓迎します。(p67)
 女性は経験しないものを経験したい,という生きものなのです。その点では,男と較べものにならないくらい大胆ですし,勇気があります。(p68)
 一カ国語に堪能になるよりは,ちょっぴりずつでもいいですから,三カ国語,四カ国語をしゃべれるほうがいいでしょう。(p79)
 私はどちらかといえば,(フェイスブックで)積極的に発信している一人です。その理由は,バーチャルであっても,多種多様な人たちと接触することで,新しい考えがわかりますし,ときに熱烈なファンになってくれる人たちもいるからです。またどのくらい私の原稿を読んでくれるのか,さまざまな実験を行うこともできます。(p87)
 私はこのフェイスブック上では,相当時間を費やしています。私自身の経歴,考え方,人脈を知っていただくために,毎日,書きつづけています。それが面白いと,大勢の固定ファンがついていますが,これがいわば名刺代わりになっています。(中略)それと同時に,息子や娘たちにも,父親の生きざまを知ってもらうことにもなるのです。(中略)また面白いことに,息子や娘の友人たちともつながることにもなり,異世代,異性という新しい人脈を広げることにもなるのです。(p150)
 私の長年の経験では,現実の世の中では,意外に臆病な人が多いのです。(中略)こういった人たちにとって,バーチャルな世界は,住み心地がいいはずです。(p88)
 ある投資家と話していたら「一〇年ほど前に郵便貯金の定期に預けていた人が,一番儲かっていた」と笑っていましたが,金儲け本の著者の現実は,それどころではありません。本は売れても,投資した金はスッカラカンになっている,という泣き笑い状態なのです。(p89)
 私は彼女(佐藤綾子)としばらくの間,一緒に仕事をしたことがありますが,いつも笑顔でいる点に感心しました。笑顔を絶やさないのです。これは日本人のように,顔の表情を動かさない民族にとって,とても大事なことだと私は思ったものです。(p92)
 「なんでもすぐやってみる」というスピード性は,あらゆる分野,あらゆる業種に通じます。答えが一日でも一時間でも早く出るほうが,失敗の確率が少なくなるからです。(p128)
 「流行の法則」には- 一年後-みずぼらしい 一〇年後-みにくい 二〇年後-こっけいだ 三〇年後-オモシロい 五〇年後-古風 一〇〇年後-ロマンチック 一五〇年後-ビューティフル という順序で評価されるようです。(中略)これは社会は循環していることを暗示しています。(p128)
 私としては,酒を飲んでムダなおしゃべりをするくらいなら,その分を読書に回すほうが,必ずプラスになると思うのです。いや,読まなくてもいいのです。不思議なことに,背表紙の題名を見ているだけで,情報が目から入っていきます。もしその上に帯の文字を読めば,半分くらい読んだつもりになれるかもしれません。それくらい有効です。(p132)
 作家で大成するには,主人公などの会話が面白くなくてはなりません。私は多くの作家を育て,付き合ってきましたが,例外なくそうです。その理由は,会話には雑学が入る率が高いからです。それが時代背景を表す場合もあり,作家本人の生活であることもあって,会話の面白さが,作家の教養や知性の深さを表すからです。(p137)
 勉強でも資格でも,できるだけ変わったものに挑むほうがいいように,私は思います。そもかく多くの人の視点とは異なる方向に,目を向けることです。(p141)
 なにか突出した力をつければ,人脈は大きく広がるでしょう。それによって,多彩な人々と交わる可能性が生まれてきます。(p145)
 「念ずれば花開く」という言葉がありますが,私はこれを「常念必現」という四文字にして,座右の銘にしています。思いつづけていれば必ず実現することは,私の六〇年間のビジネス人生が証明しています。(p147)
 「秘密を持つ」ということは,大人になるということであり,だからこそ,性格に深みが出てきます。(中略)私の経験では,妻に隠れて遊んでいる男には,それなりの魅力がついています。それは,女性心理,妻の心理を,しっかり陰で勉強しているからです。(中略)隠しごとを持たない生活は,きびしくいえば,人生をサボっているのです。浅い人間,話のつまらない男は,結局,淘汰されていくと,私は思っています。(p152)
 ズバリいうと,失敗談を堂々と話せる人ほど,いい人脈を持っています。ある年齢になると,失敗を隠して,成功談ばかり話す人は,信用されなくなります。なぜなら,そんな人生はあり得ないからです。(p153)
 以前,ある高僧に教えられた中に「姿勢が大事」という一項目がありました。やる気のある人は姿勢がいい,つまり姿の中に勢いがある,というのです。椅子の座り方にかぎらず,立つ姿勢も同じであって「勢いを感じさせなさい」という教えは,いまでも私の中に生きています。(p163)
 現在,女性たちの社会進出はまだまだ上昇中で,中でも三〇~三四歳は,きわ立って元気です。ところが女性たちの潜在能力は? というと,それほど高くありません。(中略)性差学的にいうと,守備型だからです。自分の主義範囲は完璧にこなしますが,範囲を超えたものには興味を示しません。実際には潜在能力はたくさんあるのですが,女性特有の「成功への恐れ」が出てしまうのです。(中略)あまり仕事ができてしまうと,男性からよく思われない,という恐れです。(p171)
 私には一つだけ,大げさにいうならば「人生哲学」というべきものがあります。それは「人間に備わっているものは,すべて死ぬまで使いつづける」という考え方です。足にしても,幸いにして二足揃っているならば,歩くべきであり,できれば走ることも厭ってはなりません。(p190)
 歯がなくなって,しゃべれないというなら,安い入れ歯にせよ,入れるのが人間の尊厳を守る義務だと私は思っています。(p190)
 照明が暗すぎるから,華やかな色彩が生きないのです。死ぬまで,自分に備わっているものを使い切るには,環境をにぎやかにしておく必要があります。(p192)

2017年12月2日土曜日

2017.12.02 下野康史 『ポルシェより,フェラーリより,ロードバイクが好き』

書名 ポルシェより,フェラーリより,ロードバイクが好き
著者 下野康史
発行所 講談社文庫
発行年月日 2016.01.15
価格(税別) 630円

● 『ロードバイク熱中生活』に大幅に加筆し改題,とある。その『ロードバイク熱中生活』も読んでいるんだけども,大幅に加筆しているなら,これも読んでみなきゃな,と。
 解説を永江朗さんが書いている。

● 下野さんの本業は自動車評論家だ。なのに,「ポルシェより,フェラーリより,ロードバイク」なのだ。
 わが家の近く(といっても10数㎞は離れている)にホンダの工場や研究施設があるのだが,自転車で通勤する社員が多いらしい。以前,宇都宮の自転車店の店長に聞いた話だ。

● 以下にいくつか転載。
 イトイガワのルートは,砂漠でもジャングルでもない,普通の道である。でも,そこを自転車で一気に300km走ろうとすると,途端にアドベンチャーになる。距離の冒険。それがおもしろいと思った。(p38)
 クルマと伍して走るには,一瞬だってボーっとしていられない。なぜなら,クルマの多くはボーっとしているから。(p74)
 車道を走るのがうまい自転車乗りといえば,バイクメッセンジャーのライダーだろう。ドライバーのなかには悪く言う人もいるが,ぼくはいつも車内から感心して見ている。彼らの走りにヒヤっとさせられたことはないし,邪魔だと思ったこともない。うまい証拠なのだと思う。(p74)
 難読地名は秘境の証である。なぜなら,観光地化を目指すと,日本は地名を平易にしたり,ときにはオシャレに変えたりするからだ。南アルプス市なんていうのがいい例である。(p99)
 タイムアタックでもない限り,坂と戦おうなんて思っちゃいけない。むしろ,坂にバレないように,軽いギアでコソコソ上る感じがよろしい。(p133)
 自転車のスピードと安全性は車輪の大きさに比例する。タイヤが大きければ大きいほど速いし,安全になる。ツール・ド・フランスに小径車で出る人はいない。(p184)
 ぼくの足だと平坦路で24km/h以上をキープするのは無理だが,20km/hくらいでなら巡航できる。(p187)
 重力落下というエンジンが忽然と出現する下り坂では,サルでもスピードが出せる。その状況で,安全にハイスピードが出せるかどうか,今度は自転車次第である。つまりだれが乗っても,イイ自転車というのは,下りでイイのだ。(p200)

2017.12.02 茂木健一郎 『走り方で脳が変わる!』

書名 走り方で脳が変わる!
著者 茂木健一郎
発行所 講談社
発行年月日 2016.06.09
価格(税別) 1,300円

● タイトルは『走り方で脳が変わる!』だけれども,走り方なんかどうでもよくて,走れば脳は変わる,ということ。
 “走る”以外に“歩く”でもいい。要するに,体を動かすことなら何でもいい。それをタマにじゃなくて,習慣化すること。

● ぼくはこの数年間,自転車に乗っていたんだけども,ここ1年ほどはすっかり遠ざかっている。いかんなぁ,と思った。自転車に復帰しなきゃなぁ,と。
 なにせ,自転車もまた脳にいいのだろうから。アンチエイジングにも効果的だろう。惚けを防いでもくれるだろう。

● 以下にいくつか転載。
 走ることで,僕の脳は活性化されてきた。研究や執筆のアイデアは,走っているときに生まれることが多い。しかも,(中略)走っていると自分でも気づいていなかったストレスが解消されて,すっきりする。(p6)
 ランニングは,もしかしたら,人生を変えるもっとも簡単な方法かもしれない。(p6)
 脳と体は一体のものである。(中略)基本的に体の基礎体力と脳の基礎体力は同じものであり,体を思い通り動かすために筋肉を鍛えるように,脳だって鍛えることができる。(p16)
 脳のスイッチは体にあるのだ。脳の働きを向上させたければ,机の前でうんうん考えているよりも,まず立って体を動かしたほうがいい。(中略)そもそも脳には細かく血管が張りめぐらされており,運動によって血流量を上げること自体が直接,脳に作用する。(p18)
 快楽主義者といえば,夜遅くまでお酒を飲んだり,それこそ麻薬に手を出したりというイメージがあるかもしれない。しかし,僕に言わせればそれは真の快楽主義者ではない。自分の外の物質に依存しているだけだ。努力や苦痛を通して自分の中から快楽を得る。これこそが究極の快楽主義者だと思う。(p22)
 仕事熱心な人はランニングの時間を退屈に感じる,と聞いたことがある。でも,そこで英会話のテープなどを聞くことはやめて,あえてアイドリング・タイムをつくってみるのだ。そうするとデフォルト・モード・ネットワークが活動し,普段の仕事では鍛えられない想像力や発想力が身につくだろう。(p26)
 年をとることで,ニューロンの成長因子と脳の健康な働きを支える神経栄養因子,そして新しく生まれるニューロンは少なくなっていく。しかし,それらは運動によって増やすことができる。(中略)体を動かし続ける限り,脳も成長させることができるのだ。(p35)
 物事に対してどれだけ頑張れるかは「自分のスタミナの予算額」によって規定される。(中略)スタミナの予算が少ないと,人はいろいろなことに対して省エネモードになっていく。(p46)
 走るということは,自己肯定感を高めてくれる。(中略)そして,その自信は新しいことへのチャレンジを後押ししてくれる。(p47)
 ランニングは「日常から一歩外に出る」という感覚をもたらしてくれる。(中略)この「一歩外に出る」というのがとてもめんどうくさいことなのだ。(中略)ある状態から違う状態へ移行する。それはつまり,自分にキューを出す,ということである。この「キュー出し」は,さまざまな活動の中でも,もっとも脳のエネルギーを食うことのひとつだ。(中略)このキュー出しの昨日が衰えると,新しいことに取り組めなくなったり,だらだらしたまま次の行動に移れなかったりする。キュー出しさえしてしまえば,あとはオートパイロットで動ける。ランニングというのは,この「脳のキュー出し」の練習でもあるのだ。(p58)
 僕としては,「続けていること」そのものがとても大事だと思う。(中略)走りの質は問わなくていい。短い距離でも,遅くてもいいから毎日走っているという,そのことに価値があるのだ。(p62)
 ストレス耐性を上げる方法が一つある。自分にストレスをかけることだ。逆説的なようだが、これは正しい。(中略)ここで大事なのが,筋トレ的なストレスは,自分でコントロールできるものであることだ。そこでランニングが出てくる。(p75)
 習慣的に運動することで,脳のドーパミン貯蔵庫は増える。それだけでなく,ドーパミン受容体をつくる酵素が生成されて,脳の報酬系にある受容体そのものが多くなる。よって,何かを達成したときにより強い満足感を得られるようになるのだ。走れば走るほど,走ったことへの満足感は増していく。この循環に入れたら,走ることは習慣になるだろう。(p81)
 1日走れなかったからといって必要以上に落ち込まないことも大切だ。健康にいいことを習慣化できないのは,もしかしたら自分に厳しすぎるからかもしれない。(p83)
 自己啓発本を何冊も読むより,毎朝5分走るほうがよっぽど自分を変えることができる。(p84)
 デフォルト・モード・ネットワークを活動させるような状態に入るのにも,1人で走るというのは必須条件である。誰かと会話しながら脳のアイドリング状態をつくることはできない。(p106)
 生命の本質は即興にある,とも言えるだろう。普段の行動を規定する文脈は,予期せぬ出会いや突発的な事項によって変化する。そのときに,パッと適応できるかどうか。長期の計画や予測も必要だけれど,これまでの文脈をひきずって変化に対応できないと,人生の可能性は狭まってしまう。(p124)
 淡々と物事を片付けていく人よりも,先延ばしにしている人のほうが創造的だ,というデータが有る。僕がフルマラソンを「先延ばし」していた10年の歳月にも意味があったのだろう。(p129)
 高橋尚子さんは,あるインタビューで「万人に共通する正しいフォームなんてない」と言っていた。「そもそも同じ骨格の人はいないし,それぞれのくせがあるから」と。だからこそ自分の走りを見つけることが大事なのだ。(中略)ランニングというのは,自分の個性と向き合う良い機会でもある。個性に正解がないように,走りにも正解がない。(p138)
 自分自身と自分のまわりで起こっていることをありのままに受けいれられた30歳の頃,明らかに「自分の人生が変わった」と感じた。現代社会においてストレスから逃れ,自由に,創造的に生きるための鍵が,「今ここ」に集中することだとわかったのだ。(p141)
 コンピュータはノイズがあると誤作動を起こすが,脳は逆に,ノイズが入ることを前提に設計されている。まったく刺激がない状態だと脳はまともに動くことができない。(p151)
 走ることは,当事者にならざるをえない。(中略)走っているとき,人は批評家ではいられない。(p159)
 もともと幸福の設定値が高い人は,不運な事故にあったり災厄がふりかかったりしても,時間がたてば元の幸福と感じられる状態に戻れる。逆に,もともと幸福の設定値が低い人は,宝くじが当たろうが名誉ある賞を受賞しようが,しばらく経つと「そんなの幸せじゃない」という状態に戻ってしまう。(p162)
 歳を重ねても元気な人の共通点として「食欲が旺盛であること」が挙げられる。僕がケンブリッジ大学に留学していたときにお世話になった,ホラス・バーロー教授に昨年会ったとき,彼は分厚い肉を3枚も食べていたのだ。御年93歳。(p168)

2017年11月29日水曜日

2017.11.29 茂木健一郎 『もぎ塾 実況ライブ!』

書名 もぎ塾 実況ライブ!
著者 茂木健一郎
発行所 東京書籍
発行年月日 2015.07.04
価格(税別) 1,500円

● 著者がすでに何度も書いていることを聴衆相手に講義した。それを文字化したのが本書。
 内容をひと言でいうと,ドーパミンが出るような生き方をせよ,ということ。では,具体的にどうすればドーパミンが出るのか。それが本書で語られている。

● 以下にいくつか転載。
 脳の神経細胞がつなき変わることを「学び」といいます。(中略)生まれた時から死ぬ時まで学んでない瞬間なんてないんです。(p13)
 優等生だけで集まると,人間の幅が狭くなる。テロリストってインテリが多いんだよね。(中略)だから,優等生ばかりもあまりいい状況じゃない。(p19)
 ドーパミンというのは,初めてのことをしないと出ないんです。(中略)ドーパミンって挑戦しないと出ないんですよ。「うれしい」時に出るっていっても,「うれしい」だけではそんなに出ないんです,チャレンジしないと。(p28)
 新しいことに挑戦している時は時間が長く感じられるということは,実は脳科学で証明されているんです。(中略)ということは,最近,時間が速く経つと感じる人は,新しいことをやっていないっていうこと。(p30)
 自分の常に慣れ親しんだ領域で何かをやるんじゃなくて,アウェイでどうするか。これがですね,実は脳が生き生きとまなんでいくためにも,いちばん不可欠なことなんです。(中略)だから自分にとって,まだ知らない世界に挑戦し続けるということが,ね。一番のアンチエイジングなんだよ。(p31)
 脳は基本的に感覚と運動のループが成立しないと,本当にあるものをマスターしたとはいえません。(中略)「話す・書く」という運動性の学習と,「聞く・読む」という感覚性の学習とのループができて初めて,人間は,脳の中で,言葉というものを自分のものにすることができると思うんです。(p47)
 感覚的な学習は運動の学習に先行するということは事実なんです。(中略)側頭連合野というところに,素材が入らないとダメなんです。まずはインプットが大事なんです。(p55)
 本というのは,読んだ本が自分の足の下に積み重なって,その高さの分だけ世界が見える。広い世界が見えると,僕は思ってる。(中略)インプット,大事なんだよね。世界が広がる。やっぱり,どんどん読まないと。(p56)
 ある人について評論を書こうと思ったら,その人の全著作を繰り返し読まなければ書いちゃいけないというのが,小林秀雄さんの基本的なスタンスなんです。だから,大変なんですよ。本当にちゃんとした仕事をしようと思ったら。(p61)
 僕は車の免許をとるのがすごく遅くて,30才をすぎて取った。イギリスで取ったの。日本の教習所には,途中で行かなくなっちゃった。(p104)
 楽しいと感じられないことには,脳はなかなか本気にならないことが分かっています。(中略)それに,脳には,自分が得られる利益を最大にしようとするはたらきがあります。新しいことに挑戦しても,できない時は,脳が拒絶している可能性があるんです。努力しても無駄だと脳が判断してしまえば,やる気は起こらない。(p107)
 生まれもった脳の出来で,得意・不得意が決まっているわけじゃない。できる人も,苦手な人も,ドーパミンは出る。それにね,脳には可塑性というものがあって,いくれでも変えることができるんです。いくらでも,自分の努力で変えることができるんです。(p132)
 苦手意識をもっている人ほど,実は最初のひと回りが回ればチャンスなんです。(中略)英語が苦手な人ほど,それができるとドーパミンが出るわけだから。(p133)
 僕はたまたま勉強ができたけど,僕みたいに勉強ができる人のことを何て言うか知ってます? これ,意外と理解されていないんですけど,「オタク」っていうんです。(中略)僕は小学校の時から,講談社の『ブルーバックス』とか,そういう科学の本を読んでたんですよ。あと,『日経サイエンス』って『SCIENTIFIC AMERICAN』というアメリカの雑誌の日本版とか。僕は小学校の高学年でこういうのを読んでた。(p140)
 好きなことって,かたよっているかもしれない。でも,底がうんと深いと,他のことにもつながっていくわけ。広がっていくんです。(中略)だからね,これってすごく大事なポイントなんだけど,勉強できる子って,別に学校の勉強をやってるわけじゃないんだよ。何かのオタクで,すごく興味あることを勉強しているうちに何か地頭ができてきたとか。(p142)
 英単語10個,1分で覚えるのはきついと思う。普通に考えると,これ,つづりまで含めて,30分ぐらいって思っちゃうんじゃないかな。でも,あえて1分でやってみる。そうやってみると,勉強が極端に違ってくるわけ。人間って,無理だと思っても意外と(中略)プレッシャーをかけてやるとできるんだよ。(p148)
 集中するのに,静かな勉強部屋なんてなくてもいい。親父が隣でプロ野球見ながらビール飲んでても集中できる,本当の集中力を鍛えなくちゃ。(p152)
 自分のためにがんばるっていったって,そんなの1人分のエネルギーしか出ないんだけど,みんなが困っていることがあって,みんなのために何かしようってできたら,すごいエネルギーが出るわけ。百人分,千人分の。でもさ,みんなのためにがんばるためには,ものすごくいろんなことを勉強しないとがんばれない。(p162)
 いちばん肝心なことっていうのは,やっぱり「学びの喜び」っていうことなんですよね。(中略)東大に入ることを目的でやってきた受験秀才は,みんな失速してますから,ほんとに。そりゃそうだよ,東大ごときに入ることが人生の目標だったらさ。(p182)
 やっぱり,最初に感動がないと,子供の脳は勉強する気にならない。(中略)人間って,人を蹴落として自分だけ甘い汁を吸おうみたいな,そんなことじゃ勉強する気にならないよ。(p187)
 人生っていうのは,どうなるか分からない不安というのと楽しみっていうのがある。どっちが強いかでその人の脳の健康さが決まってくる。不安が強い人というのは安全基地が足りない。楽しいだけの人は大丈夫なの。(p194)
 自分の欠点とかダメなところをユーモアのセンスで笑える男はなぜモテるのかというと,そういう男性は逆境に強い。例えば,リストラされてもくじけない。(p201)
 劣等感って隠しちゃってると,こじれてきます。だから言っちゃえばいいのよ。(p208)
 自分の欠点のすぐそばに,最大の長所があるもんなんだよ。だからこそ欠点を冷静に見つめることが大事なんです。(p208)
 大人にとっての安全基地というのは(中略)友達との絆,他人との絆です。ホリエモンとか,ああいうベンチャー企業をやる人っていうのは,1人で全部やってると思われるけど,違うの。友達がたくさんいる人ほど,新しいことに挑戦できる。(p215)
 ある研究によると,人間の会話の7割は,うわさ話なんです。(中略)アベノミクスについて議論しても絆は深まらない。本当にどうでもいいこと,そういうのをしゃべることによって気持ちいい時間をもって,それで絆を深くする。(p219)
 だいたい「天才」っていわれている子供の中で英才教育を受けたケースは非常に稀といいますか。(中略)だいたいの子供の場合,天才的素質は偶然発見されています。才能ってそういうものなんですよ。(p249)
 理論物理って,最も専門性が高くて,学問的に狭いものだと思われているわけだけど,その分野でさえ,やっぱりいい仕事をしている人って幅広い教養があるってこと。(p250)
 結局どの時代でも,その時代で珍しいことができる人,貴重なことができる人が求められるので,今はもう,メモリの問題に関してはコンピュータに任せておこうっていう流れに時代が変わりつつあるんじゃないかな。(p255)
 (ボケないために)大事なのは,新しいことに挑戦することなんですけど,もうひとつすごく大事なことは,体を動かすことです。僕がお勧めしているのは,歩くこと。(p264)
 勉強の達成感ということでいえば,遊びのようにやれる勉強がいちばんよく学ぶことになるんですね。だから,仕事でも勉強でも,遊んでいるのと同じような脳の状態になればいちばんいいわけです。(中略)勉強と遊びは決して別々のものじゃなくて,遊びを通しても勉強できるし,勉強を通しても遊べるというのがいいと思います。(p265)
 集中って細切れでもいいんです。自分で時間を決めればいいんです。1時間とかまとめてやる必要はなくて,本当に1分でも2分でもいいから。(p267)

2017年11月24日金曜日

2017.11.24 中川淳一郎 『ウェブでメシを食うということ』

書名 ウェブでメシを食うということ
著者 中川淳一郎
発行所 毎日新聞出版
発行年月日 2016.06.30
価格(税別) 1,100円

● 「ウェブはバカと暇人のもの」と喝破した中川さんのエッセイというか,半生記。
 誠実にネットと向き合ってきて,「Web2.0」に期待感を抱いたものの,バカと暇人に振り回され,ネットで飯を喰っていくにはどうすればいいかを考えに考え,経験則として固めていく。
 本書にはその実践知が惜しみなく公開されている。

● ただし,知名度も富も名誉も役職も才能も持ち合わせていない,ぼくら一般人は,あまりこの実践知に囚われなくてもいいと思う。
 書きたいことを書いたところで,どうせ誰も読みはしない。ブログやSNSが普及するとはそういうことであって,流れゆく大河にコップ1杯の水を加えたところで,別に何も変わらないのと同じだ。
 感情的になって罵詈雑言を撒き散らすことは避けなければならないが,それ以外は好きにやればいいのじゃないか。
 つまり,ウェブは自分のために利用すればいいのだと思う。ネットに寄り添うのではなくて,ネットを自分に引きつけて,自分に役立つように使う。それが著者の提言でもあるようだ。

● SNSにしても,コミュニケーションという意識ははずした方がいいのではないかと思っている。公開日記のようなものだと考えたらどうか。どうせ誰も読まないのではあるけれども,ひょっとしたら読んでくれる人がいるかもしれない。それを頼みにして,自分のログを残すということだ。
 自分一個で完結する日記よりも,公開日記の方が継続するのは容易だろう。ひょっとしたらという頼みがあるからだ。

● 逆にいうと,Facebookを始めて友だちが増えないと悩んだり,Twitterでフォロワーが増えないと悩んだりするくらいなら,そんなものはやらない方が賢い。
 いわゆるオピニオンリーダーと目される人たちをフォローしたところで,さほどに益するところはないような気がする。彼(彼女)の著書を読んだ方がずっと効率がいい(ただし,何ごとにも例外はある。ぼくは成毛眞さんをフォローするためだけにFacebookを使っている)。

● 以下にいくつか転載。
 2000年10月,私は300時間の残業をし,もう耐えられなくなって会社を辞めることを決める。結局,サラリーマンの仕事というものは、自分より立場が上の人を出世させることにあるんだと悟り,そんな人生をこれから定年まで33年間も送りたくないと考えたのだ。(p63)
 この時私はネットを主戦場とする人々に対し,若干の違和感を抱いたことはここで告白しておく。というのも,ネットで活動する人は「身元バレ」を極端に恐れているからである。(p89)
 「ネットの側にすり寄る」姿勢を見せることで,支持を集められることはわかった。それは,「匿名容認」「マスコミ批判」「ネット・一般人の意見礼賛」という三つの軸を守るということである。ネットではこの三つを守っておけば批判はされない。(p126)
 元々アメーバニュースは過激でバカなネタを扱う方針だったのだが,この方針はあっけなく取り下げられることとなる。というのも,ネットという空間はあまりにも言論活動の場として不自由だからだ。何かを書けば何も関係のない人からクレームがやってくるし,エゴサーチにより,関係者に書いたことがすぐバレてしまうのである。(p131)
 カスタマーサポートは編集者である私の番号を問い合わせした人に伝えていた。だが,これは失敗だった・・・・・・。結局はヒマで罵倒をしたいだけのバカからの抗議だらけなのである。某航空会社のキャビンアテンダントの新しい制服を紹介したら,「私はこの会社に落ちたので,こんな記事を見せられて傷ついた」と言われたりする。(p132)
 そこで私は一つの定理を獲得する。それは「誰もが知っている『あの人は今』的な記事はアクセスを稼ぐ」ということである。(中略)要するに,最旬のネタを追うのではなく,今でこそマイナーではあるものの,多くの人が知っているような話題をひたすら出し続ければ,アクセスは稼げ,それで広告費をも稼げることを理解したのである。(p136)
 この時に感じたのは,結局組織力を持つ新聞社や通信社に敵うワケがないな,という無力感だった。というのも,ライターが書いたものを確認するのは私だけ。(中略)人手が足りないからである。(p152)
 私は再び若干の無力感を抱き始めていた。というのも,一応はニュースサイトを始めた時は「Web2.0」に期待をしていたわけだし,ついに一般の人々がマスメディアと対等にモノを言えると思っていたのに,結局圧倒的なアクセスを稼ぐブログはテレビ出身の有名人だらけなのだから。(p153)
 芸能人の参入により,「難しいことなんて考えたくないよぉ~」的な若者たちがネットの書き込みのかなりの部分を占めるようになっていくのである。(p155)
 「えっ? 編集長の許可とかはいらないんですか?」「僕が読みたい本が出版される本です。中川さんはもう書いてください」 当時柿内さんは28歳だったが,この年齢でここまで言えるとは徹底的にカッコイイではないか,この時私は35歳だった。(p171)
 ネットは便利なツールとして使用すべし。ネットに人生を引きずられるな,といった考えはこの頃すでに強固になっていた。(p185)
 この席で津田さんからは一つの提案があった。「中川君さぁ,ツイッターは実名でやった方がいいんじゃないの?」(p191)
 当時私はIT関連の本を読み,いかにその本が理想論だらけかといったことをブログに書いていた。実にアホである。なんでそんなことをやっていたのか,一言でいえば承認欲求が満たされていなかったため,突っ張って注目を浴びたかったのだと思う。(p209)
 (東日本大震災の際のTwitter礼賛について)個人的には「ネットがあったから庶民に力が与えられた」という結論ありきの美談を作り上げたい人がいて,そのストーリーに多くの人が酔いしれた,というのが現実主義者である私の見立てである。(p214)

2017年11月21日火曜日

2017.11.21 松岡正剛 『空海の夢〈新装増補〉』

書名 空海の夢〈新装増補〉
著者 松岡正剛
発行所 春秋社
発行年月日 1995.07.15
価格(税別) 2,000円

● 初版は1984年。著者に増補を付けさせたのは,オウム真理教のサリン事件であるらしい。

● しかし。この呆れるほどのパースペクティブの広さは何ごとであるか。一個人がここまで広い空間把握と時代把握ができるものなのか。
 そうするための要諦(の一部)は本書でも披瀝されるのであるけれども,こちらとすれば唖然とするしかない。

● 内田樹さんに対して「知の巨人」という言い方がされることがあるけれども,この称号は松岡さんにこそ相応しいのではないか。
 知といっても,無から有を生むわけではない。知を生産するとは,つまるところ,既存の知を編集することだとすれば,それは松岡さんの得意とするところかと思われる。

● 無類に面白い本であることはわかる。のだが,こちらの頭脳ではスイスイと読み進めることができない。日数をかけてしまった。こういう読み方では読んだことにならないのかもしれない。

● 以下に,多すぎる転載。
 いちばんつまらない議論もはびこっている。オウム事件は日本の社会的矛盾を反映した病理の露呈であるという、いわゆる社会病理説というものだ。この手の評論はその趣旨をどのように粉飾し,何を例証にもってこようと,つまらない。歴史上,病理のない社会などあったためしがないからだ。(pⅵ)
 そもそも仏教が,なぜ「意識の制御」(マインド・コントロール)を必要としたかということが,問題の大前提になっていなければならないだろう。密教というも空海というも,もともとはこの「意識の制御」を発端させた初期の思索や活動の様式に起源をもっているからだ。意識の制御をしたくなったということは,ほうっておけば辛くなるような意識の傾向が芽生えたということである。(中略)そこには,ヒンドゥー教や仏教が生まれた(中略)インドの気候風土が関与する。ともかく話はそこからだ。(pⅶ)
 言葉などというものは,たとえば「心を鎮めて欲を断ち」などという一フレーズの意味ですら,どんな解釈も可能であるのだから,ここに解釈の立場をめぐる論争と対立が次々におきていく。ヒンドゥー教から仏教が分かれ,その仏教が大乗と小乗に分かれていったのは,そこである。(pxⅰ)
 だいたい宗教的動向に変更が加わるときは,こうしたグローバリゼーションとローカリゼーションの正当性が正面からぶつかっている。(pxⅱ)
 そもそも宗教には二つの宿命があって,ひとつは限定した言語体系をつくってしまうこと,もうひとつは禅によくその特徴があらわれているのだが,本質的なことは言葉では言いあらわせない(不立文字)とすることだ。このふたつの宿命は大半の宗教のどこかに忍びこんでいるものだが,空海という人はこのあたりを自在に横断してみせた。(pxⅴ)
 もともと中国への文化文物の流入は,シルクロード型と南海型と北方ステップロードによる草原型の三種のコースによっていた。これをシルクロード型の一本にみてしまうのは,やがてそれが朝鮮半島を経て日本に入ってきたことに照らし合わせても,たいへんに日本文化とアジア文化の橋梁を狭いものにしかねない。(p9)
 社会にいて「我」をとりのぞくのはなかなか困難なことだった。「我」は生物界から離脱した人間が牙と毛皮のかわりにみがきあげた武器である。その武器を放棄するのは社会的生活の失敗を意味していた。(p23)
 仏教史とは,つねに生命と意識の対立をどのように解消するかという一点をめぐる世界最大の思想劇である。(p24)
 直立二足歩行がひきおこしたもうひとつの事態は,世の女性を震撼させる。子宮が陥没し出入口が狭くなったため,これによって出産が容易ならざることになったのである。出産率は低下し,種族によっては絶滅の危機にさえさらされた。のみならず,子宮陥没は胎児の時間をひきのばしてしまうことになった。俗に十月十日といわれるヒトの胎児状態は,あらゆる生物の中で一番に長い。それはメスの受胎能力の限界に近かった。わが女性たちの狩猟能力が一挙に衰えたのはこのためである。それまではメスこそが力強いハンターとして森林を疾駆していたものだった。(p29)
 大脳がほかの動物より大きくなってしまったのも,実は子宮の出入口が狭くなったためだった。生クリームをボール紙をまるめた口からしぼり出すように,われわれは“狭き門”を通過したがゆえに肥大した大脳にありついたのである。(p30)
 言語記憶の再生は大脳の皮質の上ではノン・ローカルでありながら,その再生のためにはあえてローカルな場所を設定したほうが有効だったということになる。つまり言語記憶とその再生にはつねに「場面」が必要だったのである。(p34)
 古代言語観念の世界においては,「お前は誰か」と問われて自身の名を言ってしまうことがそのまま服属を意味していた(p39)
 この国は,コトアゲ(言挙)せぬことをもって言語習俗としていたふしがある。いたずらに言葉をつかわないことがむしろ言葉の力を生かしているのだと考えられてきた。コトダマが信仰されたのはそのためである。(p41)
 空海にはそういうとことがあった。AとA',あるいはAとA''をも同定するところがあった。だからこそ,インド,中国,日本にまたがる思想の潮にも対応できた。(p49)
 それ(『大日経』)は言われるところの“事相テクスト・ブック”というよりも,むしろ魔法の羅列のような奇怪な印象だったのである。空海ならばただちに秘密の芳香を感得して,その独占のために入唐を決断しかねまいとおもわれた。(p69)
 空海の道教批判を一点にしぼれば,そこには自他救済の慈悲が説かれていないということだろう。つまり逆に言えば,それ以外の面では,空海はひそかにタオイズムに憧れていたということになる。(p72)
 空海の声は深かったと思う。ただ大きいのではなく,深く遠く響いたであろう。高くはなかったはずである。(p81)
 この少年(空海)は友人をつくる器量に欠けていた。寡黙であったせいばかりでない。周囲の者もなにかしら近づこうとはしなかった。少年の方もその壁をすこしずつでもくだこうとはしない。壁はしだいに高くなっていた。これを打破するには,よほどの飛躍を必要とするようになっていた。(p82)
 青年(空海)は,五経の奥に四書五経をあやつる一人の大指揮者の指揮棒があることを見ていた。大指揮者とは鄭玄である。(中略)それまで彼方の経学としかおもえなかった古典の世界に,鄭玄という具体的な人物がこれをあでやかに指揮するのを知って,いささか大唐という国に関心をもちはじめたのもこのころであったろう。(p83)
 ここでひとつの激突があれば,佐伯真魚は沙門空海とはならなかった。いまもなお高校や大学で日々くりかえされている自我の真空放電でおわったことだろう。それでも彼は一人の有能な官吏や卓越した文人になったかもしれない。彼はかれらとの論争に勝ってしまっただろうからだ。しかし,彼はきっと黙ってしまったのだ。そのあまりにもみずみずしい感受性が連中のニヒリズムにもペシミズムにも感応してしまったのである。宗教家の資質のある感受性とはそういうものである。いつかその内奥にたまるエネルギーが爆発することはあったとしても,ふだんはたいていの議論を呑みこむものだ。(p86)
 そうした山中では,四書五経が役に立つはずもなく,虚空蔵求聞持法のようなダラニのもつコトダマの力だけが空海を守ったにちがいない。そして,ただひとつの「求聞持法」のみに頼った空海は,修行の日々のうちにさらに強烈な呪法を渇望したにちがいない。その渇望こそが空海に密教をもたらすことになる。(p93)
 『三教指帰』を読んで驚かされるのは,その老成した主張の結構もさることながら,やはり厖大な漢籍を縦横無尽に駆使している「博学の技術」というものである。目がくらむとはこのことだ。(p97)
 空海が他の追随を許さないほどの「集めて一つに大成する綜合力」(福光光司)に長けていたことは,空海研究者の誰しもが認めている。私の言葉でいえば,これはエディトリアル・オーケストレーションの妙,すなわち編集構成力というものだ。(p99)
 エディトリアルの出発はAに見出したきらめきを別のBにも見出したいと願うことにある。そこが学問とは異なっている。Aをそのまま突っこんではしまわない。きらめきを多様の中に求めようとする。(p102)
 エディトリアルとは結集ではない。どちらかといえば結縁というものである。そこには一種の禅機がなければならず,また過剰な探求があってはならない。つねに眼を光らせていながらも,その質量の下に横たえて下敷になるようであってはならない。そういう意味では諸学に対するに遊撃性をもってあたらなければならなかった。それは思想の方位という相対性に向きあって,たえず自在な選択力をもつということでもある。(p106)
 善無畏がナーランダー寺院で学んだ師の達摩掬多から「中国を開教しなさい」と言われて,西域から天山北路を通って長安に入ったのはもう八十歳になんなんとする時だった。(p109)
 特筆すべきは新羅の恵日・悟真,ジャワの弁弘,日本の空海らの異邦僧にも好んで伝法していることである。門人一千人の中にはさらに多くの異邦僧がいたことだろう。私はこの点をいささか誇大に重視したいとおもう。そこに史料にあらわれぬ恵果の秘められたインターナショナリティを看取したいと思う。(p115)
 般若三蔵については,彼が日本に渡ろうとしていたという話もある。老齢の般若がこれを果たせなかったのはやむをえないところであろうが,その熱情がおそらくは空海を動かした。(中略)空海はぜいぜい日本語と唐語を知っていたにすぎなかったが,このカシミール出身の老僧は三ヶ国語,いやおそらくは西域諸国や南海諸国の言葉を加えた数ヶ国語に通暁していたと思われる。それが,いままた東海の波を越えて日本語にも関心を示している。空海はサンスクリットを学びつつ,この醴泉寺にたたずむ老僧の世界言語観念ともいうべきもののすさまじさに大いに共感したのではなかったか。(P124)
 空海が必ずしも時流に乗る人ではなかったことは強調してよいかもしれない。四十歳をこえてたしかにその勢いは天下に聞こえたが,それはむしろ晩成というにふさわしい。(p129)
 ちょっと意外かもしれないが,あるものの状態を構造として整えこれを維持しやすいようにしておくには多少ゆさぶっておくことが必要である。(p141)
 空海の密教構想が矛盾をもっているということは,同時代の得一や円珍も批判的に感じていたことだし,その後も今日にいたるまで指摘されつづけている。(中略)しかし,「宗教に矛盾がない」とはまたどういうことなのであろう。どの宗教に矛盾がないと言えるだろうか。宗教はもともと矛盾をエネルギー源として出発しているはずである。(p151)
 空海だけがとびぬけていた。そして,あまりにとびぬけているその構想は,平安王朝のみならず,ごく最近にいたるまでそれが日本思想に根をおろすものであるとはおもわれなかった。(p151)
 最澄がともすれば内なる憤懣を泰範や徳一などの-さすがに空海には正面切らなかったが-個人にむけて一挙に吐露せざるをえなかったのにくらべると,これはやはり空海の強靱であり,また,個人的発言ではなくつねに類的発言に徹する空海の普遍でもあった。(p165)
 よく「字面にとらわれる」と言うが,空海はその字面にこそ本意がはためいているとみえた。そういう“文字の人”だった。(p169)
 「書は散なり」とは,空海の書のみならず,その思想を知るうえでもすこぶる重要な指摘である。書を散らして書きなさいというのではない。書する心の方をあれこれ景色にあてがいなさいと言うのだ。景色とはまた気色であるが,ようするに対象に陥入してidentifyすることである。(p175)
 しばしば文字を見れば人がわかると言われる。そうだろうか。文字を見れば人がわかるとは,その人が自分にこだわっているさまがよくわかるという意味であろう。エゴイズムが見えてくるということにすぎない。空海の書は入唐後,そのエゴイズムをこそ脱しようとした。(p175)
 益田池碑銘は一字ずつ書体を変えている。単に篆隷真行草を変えているのではなく,その一字の背後に棲む景物気色に応じて,それぞれ恰好の象形を選んでいる。(中略)小野道風が空海の書は邪道だと批難するのもむりはない。これはとても道風の書美の知識ではわからない次元での天工開物である。空海はここにタオ・カリグラフィの生命力をこそもちこんでいたのであった。(p177)
 われわれはどうしても小さな写真図版でマンダラを見てしまいがちである。それでは全体の構成が先に眼に入ってきて,細部が見えにくい。ところが実物大の複製マンダラを眺めてみるとまったく印象がちがってくることを知る。(p195)
 われわれがいつかは考えなければならないもっとも怖るべき問題のひとつは,「生命は生命を食べて生きている」ということにある。この怖るべき事実から唯一のがれられるのはわずかに緑色植物の一群だけである。(p225)
 実は,そこにこそ最初にして最大の「生命の矛盾」が顕現するのであるが,藍藻の冒険は次の静物たちがこれと同じ方法で生きる可能性を奪ってしまったのである。つまり対応の紫外線エネルギーで自給自足のできる生命体をつくることは,もう次に生まれてくる生物にはできなくなっていたのであった。(p238)
 一般に発音や発語の問題-すなわちボーカリゼーションの問題は文化史では過小評価されているようだ。これはわれわれがあまりに放縦な発音世界や聴音世界にいるために,「音」と「義」と「字」をバラバラに切り離してしまっているからである。(p249)
 発話時には一分あたりの呼吸数が激減し,吸息作用はすこし増すものの呼息作用はいちじるしくゆるやかになり,全体としての呼吸は深くなる。(中略)十全な発語活動をしているときに呼吸が深くなるということは,声を出していても瞑想しうるという可能性を立証する。これがマントラやダラニの高次元性を支えるひとつの条件になる。(p256)
 むしろ全身に号令のかからない声などありえないと言ったほうが正確なほどである。したがって「声の文」とはいえ,そこには全身体的特徴が検出されるはずなのである。空海はその特徴をこそ「文の字」と言った。「六塵ことごとく文字なり」とはそういう意味だった。(p258)
 だいたいインターバルのあまりに長い呼吸はそれこそ筋肉内のATPをフルにつかうためよほど自覚的でなければできないことで,そうした強引な呼吸法と瞑想性は合致しない。(p261)
 しょせん空海には「国家」など仕掛けの多すぎる悲しき玩具であった。(p288)
 コンピュータがホロニックではなく,われわれの脳がホロニックである最大の差がここにある。たった一個の入力情報によって,その部分=全体系を組み替えることができること,それはまた生命だけがもつ神秘でもあったのである。(p334)
 それは「一個の有機体はそれが存在するためには全宇宙を必要とする」(ホワイトヘッド)という目のくらむような考え方である。われわれはたとえ一個の石塊すら全宇宙から放逐することが不可能であることをふだん忘れているものだが,そのわれわれ自身が存在するためにも全宇宙がいっさいを準備しているのだということをもっと忘れていたようにおもう。(p336)

2017年11月17日金曜日

2017.11.17 朝日新聞社編 『文士の肖像 一一〇人』

書名 文士の肖像 一一〇人
編者 朝日新聞社
発行所 朝日新聞社
発行年月日 1990.06.20
価格(税別) 4,757円

● カメラマンは木村伊兵衛,土門拳,濱谷浩,秋山庄太郎の4人。錚々たる大家。

● 最も面白いと思ったのは,土門さんが撮った土井晩翠と正宗白鳥の写真。下からアングルを取っていて,鼻毛まで写っている。

● 巻末で安岡章太郎さんによる「文士の顔」と題する本書の解説が載っている。
 四十過ぎたら,自分の顔に責任を問われるものだとしても,その顔は時代によって確かに違ってくるのである。 政治家や実業家とは明らかに異なった何かが,文士の風貌には共通してあるようだ。 それはみずからの人間としての弱さを,閉ざしも隠しもしていないということであろうか。
● とあるんだけれども,今となってはどうだろうか。いや,当時からどうだったろうか。
 職人は言うに及ばず,今なら,ホームレスの中にもこの種の風貌を見つけることができるのではないか。ホームレスと「文士」は意外に近しいのかもしれないが,職業が風貌を作るというのはあまりなくなっているように思う。

● 業界を通貫する一流の顔というのはあるのかもしれない。が,ぼくには見分けがつかない。
 ただ,おしなべていうと,異形の顔というか怪異な風貌というか,そういうものと一流は相性がいいんじゃないかと思っている。

2017.11.17 三好和義 『HOTEL楽園 オリエンタルリゾート』

書名 HOTEL楽園 オリエンタルリゾート
著者 三好和義
発行所 小学館
発行年月日 2000.11.20
価格(税別) 3,000円

● だいぶ前の刊行。なので,ここで紹介されているホテルの中で,今は消滅しているものもあるかもしれない。経営体が替わっているものは,もっとあるだろう。
 紹介されている国(地域)は次のとおり。インドネシアはそっくりアマンの紹介。
 セイシェル モルディブ タヒチ ハワイ フィジー ボルネオ インドネシア インド トルコ エジプト サハラ イスラエル シンガポール タイ ミャンマー マカオ ネパール チベット ブータン 日本

● ブータンやチベットなど山岳地域のホテルもあるけれども,多いのは海がらみだ。リゾートというときに,海が果たす役割は大きいのだろう。マリンスポーツもさることながら,風景としての海が持っている力。
 癒やしとか開放感の象徴だ。ぼくらは海に住んでいた生き物の子孫なのだ。太古の記憶がぼくらを海になびかせるのだと,安直に理解しておこう。

● 以前は,こうしたホテルの写真を見ると,行ってみたいものだと思ったものだ。が,今はあまりそそられなくなっている。惹かれなくなった。好奇心が枯渇したわけではないと思いたい。
 リゾート,行楽という言葉からぼくが連想するのは,南の島ではなくて,都市だ。自分が田舎生まれの田舎育ちだからだと思うんだけど,休日は都市で過ごすのが何より気分転換になる。アーバンリゾートというやつだ。

● 散歩や買い物もしなくはないけれど,基本的にホテルの中で過ごすことになる。で,一般論としていうと,ホテルのサービス水準はいわゆるリゾート地よりも都市の方が高い。日本ならやはり東京はすごい。
 もし,アメリカに行くんだったらカリブ海とかそっち方面じゃなくて,ニューヨークのホテルに泊まって,ホテルの窓からニューヨークの街並みを眺める快感を味わいたい。

2017年11月16日木曜日

2017.11.16 番外:GOETHE 12月号-最上の生活必需品

編者 二本柳陵介
発行所 幻冬舎
発売年月日 2017.12.01
価格(税別) 741円

● 『GOETHE 12月号』では,メルセデス日本法人の社長やソニーの社長が,「最上の生活必需品」を紹介している。「自分の彼らが最上と認めるモノ,特に生活必需品ともなると,さらに愛用するモノに色濃く人生が映りこみ,無数の物語が生まれでる」と。なるほど。
 筆記具だとモンブランの149や,フランスのデュポンの製品が紹介されている。

● では,ぼくも同じように自分の生活品を紹介できるだろうか。
 ムリだね。たとえば,最も常用しているノートとペンは,ダイスキンとプラチナの千円万年筆。洋服はユニクロがメイン。いつも持ち歩いているバッグは,レスポのトート。これらを紹介できるだろうか。
 物語は高級品からしか生まれないかといえば,そんなことはないと思うんだよね。金額の多寡にかかわらないはずだ。

● でも,ダメだ。理由は2つ。ひとつは,そういうものを紹介するのは,この雑誌の主旨にはまるでそぐわない。
 もうひとつは,持ち主に魅力がないからだ。モノは物語を生みだすとしても,その物語の帰属者が平々凡々で,耳目を惹くような業績もなく,容姿もなく,お金もないのでは,物語自体が伝達性を持たない。

2017.11.16 永江 朗 『新・批評の事情 不良のための論壇案内』

書名 新・批評の事情 不良のための論壇案内
著者 永江 朗
発行所 原書房
発行年月日 2007.06.05
価格(税別) 1,500円

● 次の批評家たちが俎上に乗っている。
 内田樹 小熊英二 藤原帰一 森達也
 姜尚中 北田暁大 鈴木謙介 酒井隆史

 三浦展 玄田有史 斎藤貴男 矢部史郎
 稲葉振一郎 野口旭 金子勝

 菊地成孔 陣野俊史 仲俣暁生 田中和生
 縄田一男 山下裕二 森川嘉一郎 ササキバラ・ゴウ
 本田透 荷宮和子 山崎まどか

 ドン小西 遠山周平 赤城耕一 福野礼一郎 山口淳
 松田忠徳 犬養裕美子

● このうち,ぼくが読んだことがあるのは,内田樹と三浦展だけ。あとは知らない。あ,温泉評論家の松田忠徳はNHKのEテレに出ていたのを見たことがある。だいぶ前のことだけど。
 すでに言論界から消えてしまった人もいるのかもしれない。が,元々知らないんだから,そういう人がいたとしても,ぼくにはわからない。

● 以下にいくつか転載。
 誰だって知っているような細部をつなぎあわせて全体を俯瞰してみると,誰もが知っているはずだけどよくは自覚していなかったことが顕在化してくる,というのが小熊の仕事の本質ではないだろうか。(p26)
 小熊が本当にすごいのは,大量に資料を読んだことでも,厚い本を書いたことでもなく,大量の資料の中から的確にテキストを抜き出し,それを再編集・再構成したところにある。小熊の本当の才能は編集者としてのそれである。(p29)
 「余裕」とは過剰に熱狂しないことであり,条件反射的に物事を考えないことである。(p33)
 重要なのは,何が正しいかではなく,なぜ(それらを主張する人びとにとっては)正しいのかなのだ,と藤原は言っているように私には思われる。つまり,絶対的な正しさを発見してそれに合致しないものを否定するような態度からは,何も生まれないと藤原は考えているのではないか。(p34)
 姜尚中は小さな声でゆっくりと話す。だから,彼といると,つい全身の注意を彼に向けることになる。彼がゆっくりと話すのは,たぶん幼いことに吃音癖があったことと関係しているのだろう。(p55)
 知識人とは,常に自分を括弧に入れて,物事を観察し,分析する人のことである(中略) いくら「生活者」を名乗ったところで,抽象的論理的思考のなかでは自分を括弧に入れて考えざるをえない。対象化とはそういうことなんだから。(p61)
 面と向かって相対する場合ならば,顔の表情や声の様子などから,その文脈を類推することができる。しかし,文字だけの情報のとき,この文脈は教養に置き換えられる。教養は経験と洞察力に左右されるので,階層化が不可癖だ。(p62)
 基本的に同意せざるを得ないのは,格差の拡大はコミュニケーション能力においても深刻であり,不平等化・格差拡大を批判する者がいずれも「勝ち組」の側に属しているという矛盾についでである。(p63)
 書籍の出版点数が年々増えても,メガヒットに集中する「一人勝ち」現象が起きるのは,コンピュータによるデータ管理が進んだことも一因だ。(p67)
 宮台の女子高生分析が,一〇年経って見るといくつかの誤りがあったように(結局,茶髪も援交も,ただの流行現象でしかなく,その意味ではかつて朝シャンを「みそぎ」になぞらえた大塚英志と同じく,深読みというか意味付与しすぎていた),対象との距離の近さが情報の誤読を招く可能性は否定できない。(p68)
 人工知能の研究では,身体を持たない意識だけの人工知能には限界があることがわかっている。(中略)身体がなければ,意識は自己と他者,内と外といった概念が理解できない。外界を理解するモノサシがないのである。(p71)
 言葉は存在を規定する。フリーターという言葉はまたたく間に認知され,一般用語となった。(中略)言葉ができたことで,フリーターになること,フリーターであることの後ろめたさは減った。(p94)
 企業は役に立たない人材,給料に見合った働きをしていない人材から首を切るわけではない。首を切りやすい社員から手をつける。中間管理職が狙われやすいのは,彼らの多くが労働組合に加入しておらず,また,彼らがちょっとでも有能だと経営者は自分の立場を脅かすと感じるからだ。(p96)
 一介の労働者が改札窓口に座るだけで鉄道経営者を代弁する気持ちになってしまう。支配は権力機関が強権を発動して行われるわけではない。「みんな」が自動改札を使っているのだから一人の例外もなく自動改札を使うべきだ,などと根拠もなく考えるこの駅員のような,支配されたがる人びと,支配の道具になりたがる人びとによって権力の支配は完遂される。(p105)
 資本家は労働者を安くこきつかって商品を作り,それを売って利益を得る。(中略)労働者は自分が作ったものを自分で買う。しかも,安く作って高く買う。資本家は作ったときと売ったときの二回,労働者=消費者から収奪するのである。(p111)
 私は,批評家とは皮肉屋でなければならないと考えている。(p150)
 情報誌の編集部というのはポップカルチャーに関する情報が大量に集まってくる。(中略)集まってくる情報の全体を肌で感じることができる。担当以外のこともなんとなく分かる。(p163)
 たとえば文学賞でも,選考委員に評論家が加わっているもののほうがおもしろい。芥川賞や直木賞がつまらないのは,選考委員が作家ばかりだからだ。作家は小説を書くプロではあるけれども,一部の例外を除いてあまり小説を読まない。(中略)選評などを読むと,自分とは違う種類の才能は認めたくないのだなと感じることが多い。新人に賞を与えない理由としてよく使われる「人間が描けていない」だの「小説になっていない」だのという言葉はその最たるものだろう。(p169)
 評論には切り口が必要で,たいていの評論家は得意技というかオリジナルな武器というか,そういうものを持っている。(p171)
 人生は短く,芸術は永遠である。文学の,少なくとも純文学の書き手には,そうしたロマンチックな幻想がある。だが田中はその甘い幻想を冷たく突き放す。(p174)
 いま考えると,固有名詞を閉じた内輪の言語であるとして批判した富岡多恵子の議論は,最初から無理目のものだった。固有名詞に限らず,あらゆる言語は内輪の言語であるしかないのだから。それが開かれているか閉じているかは,程度の差でしかない。(p174)
 セックスがあるからこそ,多くのおたくも非おたくもアニメに惹かれるのであり,それは成功したキャラクターの魅力なのだ。(p205)
 一五歳の少年がほしのあきに夢中になるとは考えにくい。ほしのあきがグラビアアイドルとしてブームになったのは,グラビアアイドルを支えるファンの年齢が上がったことを示している。(中略)「萌え」がブームとなった背景には,こうした変化-三〇年前なら一〇代の若者が夢中になったものに,現在は三〇代,四〇代の大人が夢中になり,しかもそれを隠そうとはしない-があることを押さえておく必要がある。(p208)
 それにしても,本田をはじめオタクたちはなぜ自分を被害者として措定して語りたがるのだろう。何かを好きになるのに理由はいらない。たしかに世間の偏見はあるが,好きだから好きだ,と言わないところに,なんとも窮屈なものを感じてしまう。(p213)
 市場原理主義は強者の論理だ。郵政などの民営化にしても,市場解放論にしても,誰もが強者の立場で発言したがる。(中略)勝者よりも敗者のほうが圧倒的に多いということが分かりきっているのに,あたかも自分は関係ない,もしくは自分は敗者にならないという前提でそれらに賛成する人がほとんどだった。(p218)
 なぜネットの中では弱いものがより弱いものを叩く構造になるのか,までは充分に説明しきれていない(p219)
 セレクトショップ系の古書店では,センスに合わないものを受け入れない。「何を集めるか」だけでなく,「何を排除するか」でこれらの店の品ぞろえは行われている。(p224)
 かつては実売九〇万部を誇った『暮しの手帖』が,いま往時ほどの輝きがないとすれば,それは同誌によって商品の質が向上し,消費者の生活もよくなったからである。(p254)
 雑誌の役割が,一般読者にはなかなか体験できないことを,代わって体験して報告することにあるとするなら,豊かになった日本人にとって,代行はもはや必要なくなった。ただし,だからといってモノについて語ることが不要になったわけではない。(中略)逆に,誰もが鑑賞できるからこそ,批評家の言葉が求められる。(p263)
 分析して批評するためには,その対象を大量に調べなければならない。批評家には何よりもまず量が必要なのだ。音楽評論家は大量に音楽を聴いていなければならないし,文芸評論家は大量に文芸作品を読んでいなければならない。(中略)だが松田自身が言うように,重要なのは短期間にこの調査が行われたことだ。同時にたくさんの対象を調べることによって見えてくるものがある。(p269)

2017年11月11日土曜日

2017.11.11 角幡唯介 『探検家の日々本本』

書名 探検家の日々本本
著者 角幡唯介
発行所 幻冬舎
発行年月日 2015.02.10
価格(税別) 1,400円

● 著者の角幡さんをひと言でいえば,おそろしく文才のある探検家,ということになろうか。内省する探検家といってもいい。内省しないで探検家が務まるとも思えないが。
 内省を言葉に翻訳するのが巧みなのだろう。この文才は新聞記者を経たことによって鍛えられたものではない(たぶん)。持って生まれたものだろう。

● 探検家であることがまずある。その上での文才だ。探検家の心性は,自らを危険にさらすことを厭わないどころか,ジリジリとそっちに近づこうとする心の構えだ。
 著者にいわせれば,それが「表現」だからであり,「生き死ににかかわるような緊張感に触れなければ」調子が出ないからというのだけれども。
 つまり,ぼく(ら)には理解できないもの。というか,頭の表面では理解できても,それ以上には行かないように,たぶん無意識にストッパーを掛けているものだ。そのストッパーが壊れている人を探検家というのかもしれない。

● 「サードマン現象」の話が面白かった。「極限状況に直面した時,自分とは別の人間がそばにいて,助けてくれるという不思議な体験」をする人がいるらしい。
 もちろん,その人の脳の仕業に違いないのだが,言われてみればあっても不思議はないように思えてくる。もっとも,著者はその体験をしたことはないそうだ。

● 以下にいくつかを転載。
 こと本を読むことに関する限り,私は誤読を恐れない。たとえ著者の意図とはことなるものであっても,読み手の感性と共鳴するものがあれば,それは読書としては成功だからである。(p8)
 読書には未消化だった経験に適切な言葉を与えてくれるという効能があり,言葉が与えられることでかたちの曖昧だった経験は明確な輪郭を伴った思想に昇華されるのである。(p8)
 本を読んだほうが人生は格段に面白くなる。読書は読み手に取り返しのつかない衝撃を与えることがあり,その衝撃が生き方という船の舳先をさずかにずらし,人生に想定もしていなかった新しい展開と方向性をもたらすのだ。(p9)
 どうやら子供というのは自然そのものであるらしい。自然というのは人間には制御できないもの,どうしようもないものと私は理解している。(中略)そう考えると子供というのは雄大な自然そのものだ。(中略)つまり,子供を育てるということは自然を相手に格闘するのに等しいわけで,やっていることは山登りと同じなのだ。(中略)男は子供のような大自然を胎内に宿すという経験を永遠に持てないため,女のように自分の独立した身体で自然を理解することができないのである。(p18)
 少なくとも学生なら私は就職に対して抵抗感を持つべきだと思う。なぜならそれは社会に対して安易に迎合しないという,若者だからこそ許される反逆の精神の表れだからだ。(p27)
 フェイスブックに象徴されることだが,お互いに誉めそやしたり,いいね!と励まし合ったりするあの雰囲気は一体何なのだろう。(中略)およそ他人にとってはどうでもよい話にしか思えない日常の話題を写真付きで公開し,おまけに喜び合って,気持ちよくなれそうな相手に一方的に友達リクエストなるものを送って交際を求めるという,あのわけの分からない空間の魅力が私にはさっぱり理解できないのだが,あれなどは典型的な優しさ,気持ちよさ蔓延ツールであろう。(p31)
 ネットやメールというのは,実名で書く表向きの部分は優しさと思いやりであふれており,(中略)一方,そこからハミ出した悪口や露骨な本音や誰かを傷つけるような言動をする時,(中略)匿名で散々やるという,裏表がきっちり分かれた情報世界なのだと私は認識している。(p32)
 読書強制的状況は探検でフィールドに出た時に最大限に達する。行動中は動くのに忙しいし疲労も蓄積するので,本を読む暇などないのではないかと思われるかもしれないが,案外そうでもない。(p37)
 何かを表現することには狂気が宿る。ひとつのころを徹底的に肯定するためには,他のすべてのことを切り捨てなければいけないのだ。(p43)
 クライマーが山に命を賭けることができるのは,それが表現だから以外の何物でもない。(p44)
 表現することにはどうしても他者と相いれない部分が出てくる。作品を作ることの本質は他者と何かを共有することではなく,むしろ自己と他者を区別し,独自の世界を構築することにある。(p44)
 出発する前は死ぬ確率が三割ぐらいあると冷静に考えていたが,だからといってそれが私の行動を妨げる要因にはならなかった。たとえそれをやることによって好きな女から振られ,家族から勘当され,友人も離れ,全財産を失い(全然なかったけど),路頭に迷うことになったとしても,ツアンポー峡谷を探検しない人生よりはマシだった。(p45)
 雪崩に遭って分かったことは,状況が危険な局面に突入しようとしているまさにその瞬間に,当人がその状況を的確に捉えることはできないということである。いい換えると決定的な一線を越えるその瞬間,本人は一線を越えたことを自覚できない。(p54)
 それにしてもなぜみんな同じところに行くのだろう?(中略)登山は本来自由を目指す行為のはずなのに,今では多くの人が同じ山を目指し,そして同じことをやろうとする。(p103)
 誰もやったことがない旅。昔から私はいつかそういう旅をしてみたかったのだ。それこそまさにイグジュガルジュクの言う,「人類から遠く離れたところ,はるか遠くの大いなる孤独のなか」であろう。たった一度の人生,そこを目指さずに一体どこに行こうというのか。(p121)
 探検というのは別に地理的な探検だけに限定されているわけではない。自分たちの世界の枠組みや常識の外側に飛び出てしまうこと,それこそが探検行為の本質である。(p127)
 ヒマラヤや極地や大海原に挑んだ探検家や冒険家の中には極限状況に直面した時,自分とは別の人間がそばにいて,助けてくれる「サードマン現象」という不思議な体験をする人がいるという。(p137)
 登山のルポは難しい。確固たる視点を持たずに山に行っても,そこには基本的に自然しかなく,対自然は対人間と違い会話などのやりとりがないため,文章にメリハリをつけるのが難しいのである。服部(文祥)さんの山岳ルポが面白いのは,自然と対話し,そこから読者を唸らせる発想を得ているからだ。(p141)
 カルトや狂信的テロ集団が生じるのは別に珍しいことではない。カリスマ性のあるリーダーと,閉鎖的な空間があれば,それはいつでも現れ得る。(p145)
 森達也の本は,常にシーンの連続だ。新聞記者はデータとして有用な内容ばかり重宝するから,シーンは不必要な情報として切り捨ててしまう。しかし映像を撮っている人はシーンの中に本質が表れることを知っている。(p146)
 山や北極に比べると都会での生活はどこかフワフワしていて生きていることの臨場感に欠けるので,定期的に自然の中で,多少大げさにいうと生き死ににかかわるような緊張感に触れなければ日々での生活でも調子が失われてしまうのだ。(p172)
 ノンフィクションを書く時に最も難しい問題のひとつに,予断にどのように対処するかということがある。(中略)ノンフィクションを書く場合は,この予断がないと取材に取りかかることは絶対にできない。(中略)その一方で予断が予断通りのまま進んでも,決して面白い本にはならないということもいえる。(中略)つまりそこには新しい発見が何もない。(中略)予断が崩壊する時は作品にとってピンチでもあるが,新しい物語が広がるチャンスでもある。予断が崩壊した時にこど作り手の感性は試される。(中略)ノンフィクションが作品として成功するかどうかは,予断が覆された時に生じる自分の感情のぶれをどのように描き出すかという,ただその一点にかかっているとさえいえる。(p191)
 記者というのは視点が内向きで,他社の知らない特ダネ(あくまで重視されるのは他社が知らないかどうかであり,社会的に有用かどうかという観点は新聞記者の価値判断にはふくまれない)をいかにすっぱ抜くかしか考えてないので,事件の場合は各社の記者が警察幹部から情報を取ろうと血眼になって競争し,特ダネを聞いたら,それが本当に事実かどうかなど二の次で,警察が認めたからというだけの理由で正真正銘の事実であるかのように報道する。(中略)極端な言い方をすると,新聞記者は事実に関心がない。新聞記者が関心があるのは,それが事実かどうかではなく,それが事実として書ける素材であるかどうかであり,より正確にいえば,それが書けるということが誰によって認定されているかどうかである。そもそも本当に事実かどうかなど,誰に分かるというのだろう? 新聞は独自で事実認定する努力を事実上放棄しているのだ。(p210)
 事実というと硬い石のようにカチッと確固として存在しているように思えるが,実際にはそうではなく,実は非常に曖昧で捉えどころがない。(中略)さらに事実というものを深く考察すると,ひとつひとつの事実そのものにはさほど意味はないことに気がついていく。(中略)事実に意味を持たせているのは,その事実を事実として成り立たせている事実性のようなものである。(中略)事実というのは事実性にまで到達しないと精確に書くことはできない。いくら表面的には正しく書いたとしても,背後にある事実性を認識した上でそれを書いたのでなければ,本当に事実を書いたことにはならない(p213)
 ノンフィクションを書くには,たとえそれがどのようなテーマであれ,絶対に皮膚感覚レベルの実感が必要なのだ。(p217)
 自然は死を基調とした恐ろしい世界であり,その奥深くに入れば入るほど人は死に近づくことになる。しかし,というか,だからこそ,というか,とにかく冒険者は自然が与える死の匂いの中で生きることで,その奥底にある,自分たちの命を律動させている何かと触れ合っているような気になるのである。(中略)千日回峰行もまた冒険と同様,自然の中で抽象的で観念的な何かを掴み取ろうとする行為である。回峰行は台風でも豪雨でもとにかく千日間続行しなければならないという人為的な制約を課すことで,本来北極やヒマラヤに比べたら穏当な大峰山を,それらと同じレベルの過酷な自然環境に変成させる。(p264)

2017年11月8日水曜日

2017.11.08 樺沢紫苑 『読んだら忘れない読書術』

書名 読んだら忘れない読書術
著者 樺沢紫苑
発行所 サンマーク出版
発行年月日 2015.04.20
価格(税別) 1,500円

● 「読んだら忘れない読書術」なんてない。本書にも色々説かれているけれども,それを全部実行しても忘れないなんてことはないでしょ。実行しないでこう言うのは申しわけないんだけど。
 こうして読んだ本について記録を残していても,1ヶ月前に読んだ本なんて,タイトルすら忘れている。ぼくが特に頭が悪いからじゃなくて,そんなもんだと思うんですよ。

● 忘れないでいるって,不毛なことかもしれないんだよね。読んだら忘れていいと思うんだけどね。受験勉強してるんじゃないんだから。
 ぼくらがしている読書は,消費(=娯楽)としての読書だもんね。けっこう固い内容の本を読んでいる場合でも,何かに役立てようと思って読むことは,ぼくの場合は,ほとんどないな。

● 以下にいくつか転載。
 圧倒的な量の情報を日々自分の頭に入力しているからこそ,毎日原稿用紙で10~20枚程度,多い日で約30枚ものアウトプットが可能になるのです。「圧倒的なインプット」があって,はじめて「圧倒的なアウトプット」ができるということです。そのインプットの軸になるものが「読書」です。(p4)
 「読書の習慣のない人」は,読書の本当のメリットを知らないはずです。(p22)
 ほとんどの人の仕事,生活は,無駄だらけです。無駄なことをやり,無駄なことをして疲れ,無駄なストレスを抱えて病気になる。そういう「無駄」を避け,膨大な時間を節約する方法がたった1500円の「本」に書かれています。それを知るのか,知らないのか。本を読めば,大幅な時間短縮が可能です。(p31)
 「文章力」というのは,実はインターネットの時代となった現在,極めて重要になっています。(中略)「文章力」を鍛えるほとんど唯一の方法は,(中略)「たくさん読んでたくさん書く」ことしかないのです。(p38)
 自分の経験・体験からしか判断できない人は,今,自分が走っているレールをそのまま走り続けるしかないのです。自分がいる井戸の外側の情報がまったくないのに,その井戸から出ていこう,というアイデアが浮かぶはずはありません。(p60)
 私がこれほどたくさん読書する理由は,「楽しいから」です。これがまず基本です。(中略)本を読む動機は「楽しいから」であって,「自己成長のため」であってはいけないのです。(p69)
 人間の脳は,入力された情報のほとんどを忘れるように作られています。正確にいうと「重要な情報」以外は,全て忘れるようにできているのです。脳が「重要な情報」と判断する基準は2つです。「何度も利用される情報」と「心が動いた出来事」です。(p80)
 私は電車の中でスマホを見るのは,最大の時間の無駄だと思います。なぜならば,1日10回もメールやメッセージをチェックする必要はないし,スマホでメッセージを返信するよりも,パソコンで返信したほうが,何倍も早いからです。(p86)
 私が,スキマ時間を使って1日1冊読み切ることができるのは,ちょっとしたコツがあります。それは,その日の外出前に「今日は,帰宅までにこの本を読み終える!」と決めることです。(p90)
 読書において読むスピードは,あまり意味がないのです。(中略)「読んだつもり」になっているだけ,ただの「自己満足」のための読書になっている人が多いのです。特に,「速読しています」という人ほどその傾向にある。(p93)
 私は本を読んだら,その日かその翌日に,Facebookに感想をアップするように心がけています。10行を超えるような長文の感想を投稿する場合もありますが,数行の感想でもいいと思います。たったそれだけのことですが,それをやるだけで,本の内容が,やらない場合に比べて何倍も記憶に残りやすくなるのです。(中略)SNS上に感想を書く。それは,あなたの体験を共有する,つまり「シェアする」ということです。自分しか読まない手帳やノートに書くのと,第三者に見られることを前提とした「シェア」には,大きな違いがあります。(p107)
 そうなのか。Facebookでは10行を超えるような文章は,長文の範疇に入るのか。憶えておこう。
 「Facebookの上級者向けノウハウが学べます!」と強調すると,たくさん人が集まります。しかし,そこに参加する人の7~8がFacebook初心者なのです。(中略)初心者の人に限って,基本的な使い方すら知らないのに,なぜか「上級のノウハウ」を知りたがるのです。(p153)
 ネットやスマホで情報チェックするのももちろんいいのですが,スマホ,つまりインターネットで得られるものの大部分は「情報」です。熱心なスマホユーザーのほとんどは「情報過多」で「知識不足」に陥っているはずです。(p192)

2017年11月5日日曜日

2017.11.05 関本紀美子 『手帳スケッチ』

書名 手帳スケッチ
著者 関本紀美子
発行所 ソフトバンククリエイティブ
発行年月日 2011.12.07
価格(税別) 1,300円

● スケッチの描き方,イラストの描き方の手引書。別に手帳に描くのでなくてもかまわない。

● なるほどと思ったところがあるんだけど,それだけでは畳上の水練にもならないね。実際に描いてみないとね。
 自分に絵心はないことはわかっている。一方で,ひょっとしたらあるのかもしれないぞ,とも思っている。

● それでこういう本を読んでみたりするんだけど,その結果,描き始めたということはないから,それ自体が絵心がないことの証明なんでしょうね。

2017.11.05 藍玉 『まずは,書いてみる』

書名 まずは,書いてみる
著者 藍玉
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2017.01.12
価格(税別) 1,200円

● 副題は「〔時間〕〔アイデア〕〔やりたいこと〕がどんどん湧き出すメモの習慣」。メモの勧めであるわけだ。
 メモ魔になれとはよく言われることで,そのことを知らない人はいない。けれども,メモを取る人は少ない。面倒だ。取らなくても致命的に困ったことはない。その他,いくつかの理由があるんだろうけど,とにかくメモを取る人は少ない。

● だから,メモの勧め本が途切れずに出版される。問題は,メモを取らない人はその種の本も読まないこと。こうしたものを読むのは,すでにメモを取ることが習慣になっている人だろう。
 自分がやっていることは正しいのだと背中を押してもらいたくて読む,という場合がほとんどではないだろうか。

● ただし,昔に比べれば今を生きる人は書くようになっている。インターネット(ブログ,SNS)の影響だ。Twitterをメモ代わり,ログを残す手段として使っている人は,けっこう以上に多いのではないか。
 そうと意識はしていなくても,結果的にそうなっているという場合を含めて。

● 参考になったのは「ふせんのサイズでタスクの需要度,緊急度を視覚化する方法」(p39),「誰に何を頼まれたかが明確に」わかるメモの仕方(p105)。これは特に新人には役に立つかもしれない。
 ただ,じゃあ自分もやるかといえば,たぶん(いや,確実に)やらないんだな。

● いくつか転載。
 ミスをすると少なからず落ち込んでしまいますし,そのような出来事から早く逃れたい心理になります。ですが,そこは勇気を出してミスを分析します。これもまた,ノートに書き出します。(p112)
 「やること」は小さな目標でもあります。できた喜びから「もう一つやろう!」を意欲が湧いてくるのです。(p117)
 メモをアップデートする裏技は縦のノートを横にして使うこと(p120)
 長年叶えられないものは自分にとって必要ないことだ(p134)
 最近,マンスリーのフォーマットに可能性を感じています。アイデアしだいでいろいろと面白い使い方ができるのです。(p149)

2017年11月4日土曜日

2017.11.04 茂木健一郎 『東京藝大物語』

書名 東京藝大物語
著者 茂木健一郎
発行所 講談社文庫
発行年月日 2017.03.15(単行本:2015.05)
価格(税別) 590円

● 東京藝術大学がどんなところなのか。二宮敦人『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社)を面白く読んだ。音校(音楽学部)より美校(美術学部)の方が破天荒のようだ。
 著者はその美校で授業を持った。数年間続けたらしい。そのときのあれやこれやを小説仕立てにしている。

● ジャガー,杉ちゃん,ハト沼といった「永遠の幼児たち」が織りなすエピソードの数々は,それだけで面白い。キャラクターが魅力的だ。
 彼らにしてみれば,世の中に折り合いを付けていくのにひと苦労もふた苦労もしなければならず,厄介な才能,厄介な嗜好を持ってしまったものだと嘆くときもあるのかもしれないけれど。
 町田康さんが解説を寄せている。

● 以下にいくつか転載。
 「確かに,ぼくたちは,絵さえ描いていればいい,本なんか読まなくていい,とにかく描け,という教育を受けますからねぇ。」 (中略)難しい本を読むよりは,実技を大切にするという校風なのだと,ジャガーは言う。(p30)
 芸術は,結局,自分の手を動かして,何が描けるかだ。 「狩野派の画家たちは,一日何千本も,線を引く練習をしていたそうですね。村上隆さんのカイカイキキも,そこを目指していて。」(p31)
 何しろ,何十倍という入試をくぐり抜けて,東京藝術大学に合格した彼らではあるが,その中で,作品を売って食えるアーティストになるのは,ほんの一握り。一説には,十年に一度出れば良い,とも言う。(中略)下手をすれば,東京藝術大学に合格した時が,人生の頂点だった,ということになりかねない。イヤ,実際,大抵はそうなんだろう。(p37)
 「人生,基本,不穏」とでもいうような藝大生たちを組み伏せて,彼らに感銘を与える講義をするのは,全くもって並大抵のことではない。 その点,三木茂夫さんは,伝説的な,藝大の先生だ。「うんちを握れ!」と叫ぶなど,とてもユニークだったと今日に伝えられる三木茂夫さんの講義。 そして,藝大生の不穏な個性の持つ勢いと言えば,本当に,うんちを握りかねないほどなのだ。(p53)
 東京藝大の入試,つまり,デッサンや油絵といった実技の巧みさで受験生を選別するシステムは,結果として,アーティストとしてのすぐれた資質を見分ける機能を果たしていないのかもしれない。(p63)
 表現者が持つべき資質の第一は,飽くなき継続だろう。(中略)これでもかっ,これでもかっ! そんなエネルギーを持って継続できるということが,結局は最大の才能である。(p125)
 「浪人してまで東京藝大に入るようなやつは,その時点でもうダメだっ!」 大竹伸さんご自身は,現役の時に東京藝術大学を受けて落ち,武蔵野美術大学に入った。そして,すぐに休学して,北海道の別海町の牧場に住み込みで働き始めたのだという。そんな大竹さんから見れば,ジャガーやハト沼は,所詮ぬるま湯なのだろう。(p127)
 科学とは,実は,他人の心を思いやることに似ている。科学の正反対は,「無関心」である。(p136)
 アートというものは個の思いが結実したものであり,最大公約数を求めるものではありません。それに対して,東京や,東京藝大のようなところは,最初から中心や,最大公約数を求めすぎるんじゃないのかな。(p143)
 大衆を鼓舞し,先導し,この素晴らしい国を創るために,アートは存在するんだっ! 下手くそな画学生よ,君たちの芸術には,本当は,世の中を変える力がある。それほどアートは人を扇動する,そして洗脳する。そんな力がある。君らは,アーティストになりたいのか,それとも,作品を通して,世の中を変えたいのか。(p145)
 アーティストにとって,美術大学なんて,意味がないんだ。ましてや,こんな,東京藝術大学なんて,通ってもしょうがない学校に,お前ら,よく頼まれもしないのに来ているな! 今すぐ,この校舎,自分たちの手で爆破しちまえ!(p151)
 アーティストは,良い絵を描くためには,不道徳なことさえやりかねない。凡庸な作品をつくるいい人であることと,悪い人でも傑作を描くことのどちらかを選べと言われれば,芸術家の答えは決まっている。問題は,選ぼうとしても,心と体の自由が,案外利かないことだ。(p200)

2017年11月3日金曜日

2017.11.03 茂木健一郎 『やり抜く脳の鍛え方』

書名 やり抜く脳の鍛え方
著者 茂木健一郎
発行所 学研プラス
発行年月日 2017.05.02
価格(税別) 1,300円

● 本書の主旨は「はじめに」の次の文章に要約されている。
 そもそも「生まれ持った才能がすべてを決める」とか「天才なら何をやっても成功できる」といった考え方には“才能さえあれば,特別な努力などしなくても,何かを成し遂げられるはず”という都合のいい願望が隠れています。(p3)
 「真の才能とは,結果が出るまでやり抜く努力ができる“脳の筋力”である」 この結論を脳科学的に説明すると,脳の神経回路というのは,何かしらの活動によって負荷をかけ続けなければ,その回路は強化されないということです。(中略)結果が出るまであきらめず,創意工夫をこらしながら,やり抜くための努力ができること。それも,イヤイヤではなく,毎日を楽しみながら。(p4)
 もうひとつ,「おわりに」から。
 物事のスピードが速く,多様化したいまの時代において“やり抜く”というテーマを考えた時,ただひとつのことを黙々とやり抜くという感覚では物足りない感覚があります。むしろ「自分が変わることを楽しみ抜く!」という表現が一番しっくりくるのではないでしょうか。(p209)
● ほかに,いくつか転載。
 自分が社会に出てからほとんど使わない能力に,限られた時間とエネルギーを注ぐよりも,得意なことに集中し,それを個性として磨きをかけたほうが,人生は開けていくのではないでしょうか?(p27)
 この井戸を掘ることは,アルファベットの「I」の字のように,垂直に掘り進むだけの行為に思われるかもしれませんが,実は違います。物事を深く考え,掘り下げていく行為の裏には,思考の力だけではなく,幅広い知識や見識が求められるものです。ちょうど画びょうのように,垂直に降りていく思考という一本の針があり,そこを支える広い平面が知識見識という具合です。(p61)
 人間の脳は,「勝つ」という行為に反応してドーパミンが分泌するようにできています。(p75)
 「自分が思っているほど他人は自分のことを気にしていないのだ」ということを肝に銘じてくださ。重要なのは他人の目ではなく,必要以上に背伸びせず,ありのままの自分でいることなのです。(p90)
 多くの日本人は,いったんやめると戻ってこれません。なぜなら,「一度やると決めたらやめてはダメ」と強烈な決意を持つ人たちほど,やめてしまった後に罪悪感を持ってしまい,自信喪失のあきらめ状態に陥ってしまうのです。(p93)
 「頑張ったらこの先,どんなに素晴らしいものが手に入るか」と考えるのではなく,「いま,ここで頑張っているこの瞬間こそが,かけがえのないもの」と考えたほうが,意外なことに努力というものは続く。(p101)
 脳というのは飽きっぽい性質を持っているということです。(中略)さらに付け加えると,飽きるということを動物行動学的に分析した結果,エネルギーが有り余っている動物によく見られる状態であることがわかっています。(p119)
 スポーツにしても,現代のスポーツ科学の見地から,練習のし過ぎによる問題点を検討する時代に入っています。(p123)
 目標を公言してしまうと,その公言自体が脳の報酬となってしまうため,それ以上成長を望むことができない場合があります。(p126)
 私は常々,努力は他人に見せないほうがうまくいくと考えています。なぜなら人は努力を公表した時点で満足してしまうのです。(p136)
 プロのアスリートが小さな子どもたち向けに,自分の専門種目でコーチングイベントを開催します。(中略)これほどまでに彼ら,彼女らが情熱を持って取り組む理由として,原点回帰で自分自身にエネルギーがもらえることがあるのは間違いないと思います。(p142)
 ビジネスの世界でも,芸術の世界でも,やり抜いた人はみんな,思い込みの強い人だという感覚を私は持っています。(p162)
 ずるずると「凹みの谷」が続いている人と,そこから抜け出せる人には,ある違いがあります。(中略)それは「やるべきことを,いろいろつくってみる」ということです。実際,「凹みの谷」をすぐに抜け出せる人は,常に動き回っているという特徴があります。忙しいので落ち込んだままではいられない,というわけです。(p189)
 昨年,私がケンブリッジ大学での恩師に当たる教授の95歳の誕生パーティーに出席した時の話ですが,そこには世界各国で研究者として成功を収めている豪華なメンバーが揃っていました。そして,その場のみんなが口を揃えていっていたことが,驚くべきことに,彼らの毎日が「雑用だらけ」ということだったのです。(p197)
 本当のところをいうと,物事の成果と,向き・不向きには因果関係がないというのが私の結論です。なぜなら,自己評価とは,あまり当てにならないものだからです。(p199)
 勉強や仕事といっても,ただひとつのことだけに専念していることは,いまの時代においては非常にリスクが高いといわざるを得ません。(中略)私自身もいま,さまざまな大学から「専任教員になってください」というお話しをいただくことがあるのですが,それらはすべてお断りしています。なぜなら,大学の授業や研究だけをやる人生というのは,私にとってはリスクが高過ぎますし,何より刺激的な毎日が送れないからです。(p205)

2017年11月1日水曜日

2017.11.01 茂木健一郎 『いつもパフォーマンスが高い人の脳を自在に操る習慣』

書名 いつもパフォーマンスが高い人の脳を自在に操る習慣
著者 茂木健一郎
発行所 日本実業出版社
発行年月日 2016.09.10
価格(税別) 1,300円

● 脳を自在に操る習慣といっても,なかなかね。本書で説かれているのは,自分に無茶ぶりをしろとか,リミッターをはずせとか,行動の基準を他に求めるなとか,集中しろとか,そういうことだ。
 それをできる人とできない人がいる。できない人は縁なき衆生かなぁ。もちろん,著者は誰にでもできることだと言うわけだ。

● 以下にいくつか転載。
 私たちの脳のパフォーマンスというものは,日々の習慣によって成り立っているので,やる気という特別な感情は脳自体が必要としていないのです。(中略)やる気というのは“雨上がりに見る虹”のような幻覚でしかありません。(p13)
 日本人が陥りがちなもののひとつに,「客観性の病」というべきものがあるような気がしてなりません。(中略)自分がどう感じているか,どう判断しているかではなく,外部の基準にその根拠を求めることで,自分で判断しなくてもよくなってしまう。一種の思考停止状態です。(p16)
 このメタ認知を利用するポイントとして,「本番中はメタ認知を外して集中し,それが終わったときにメタ認知を起動する」というのが正しい方法だということを知っておいてください。(p29)
 世界のトップクラスが実践している,本物のパフォーマンスの基準を上げていく方法とは何でしょうか。それは,「真に良質なものに触れてセンスを磨く」ということに尽きます。東大卒にしても,意識高い系にしても,私が一緒に話をしていて「こいつ,なかなか感性がいいな」と思う人は99%いないと断言できます。(p43)
 芸術大学や美大などに行くと,「あ,こいつはセンスがいい」と思える学生が意外にも多いのです。(中略)なにも単純にアートなどに多く触れているから,芸術的センスが磨かれているという意味ではありません。芸術大学や美大に進んだほとんどの学生は,「アートでは食えないでしょ?」と周囲から一度は反対をされた人間です。すなわち,それでもなお自分の“基準”を貫きとおしている強い意志を持っている人たちなのです。(p43)
 センスを磨くためには,まずは一般に正しいとされているルールや基準を疑ってみるというところから始めなければなりません。(p47)
 岸見(一郎)さんいわく,『ソクラテスの弁明』をギリシャ語で読むと,いままで白黒の世界にいたのが一気にカラーの世界になる,それくらいの強烈な違いがあるとおっしゃっていたのがとても印象的です。著書が翻訳出版されている中国,タイ,ブラジルやポルトガル,そしてスペインといった国の言語をこれから勉強して,現地で講演をする際には現地の言葉で話をしたい,と仰るのです。(p49)
 「決める係」の自分をつくるときに,何かしらの根拠を求めてしまいがちですが,根拠など求めなくてもいいのです。ここで肝心なのは,決める係の自分は直感に従って物事を決めていけばいいということ。だからこそ,普段でも小さなことから決断をするという訓練をしてみてください。その繰り返しによって,自分の直感による決断がゆくゆくは根拠を生み出すようになっていきます。(p66)
 理想のワーキングメモリをつくるためのとっておきの秘訣をご紹介しましょう。それは,脳のワーキングメモリに蓄えている情報をリスト化するのではなく,まるで一枚の絵のように描いてみるということです。(p68)
 これは,私自身のやり方でもあるのですが,手帳やスマホなどで管理するToDoリストはなく,常に頭のなかでダイナミックに内容を更新できるToDoリストをつくって,優先的にやるべきことをそのつど決めて行うようにしています。(p80)
 私たち人間の脳というのは,自分の限界に挑戦した瞬間から,変わり始めているのです。(中略)仕事でも勉強でもなんでもそうですが,「自分が変わる」ということ以上に,脳が感動することはありません。(p98)
 自分にリミットを設けてしまっている人というのは,予測能力が高い人でもあります。たしかに,予測する能力というのは大事な脳の働きですが,自分勝手なリミットに関しては外した方がいいということ。そこで,「自分はこの程度だ」という脳の予測回路をオフにしてみてください。それに尽きると思います。そのためには,次のような心がまえを持ってみてはいかがでしょうか。「とりあえず,目の前のことを刹那的にがんばってみよう!」(p107)
 なぜ脳が筋肉と似ているのかといえば,確実にできることをやっているだけでは成長しないからです。(中略)「レベルが高すぎて自分にはついていくのはムリだ」といっている子というのは,私の経験上,そのあとグングン伸びていくことが多いものです。その理由は,成長が止まったのではなく,その子の脳がいままでに経験したことがないようなレベルの負荷をかんじているだけだからです。(p115)
 私たちの脳というのは,何歳になっても成長し続ける性質があります。つまり,脳はいつまで経っても完成を迎えることのない,まさに「青天井の構造」をしているといえます。他人との比較ではなく,自分自身の脳の中で少しでも進歩があれば,それは脳にとって大きな喜びになります。そして喜びを感じると,脳の回路がつなぎ変わってさらに強化されていくのです。(p116)
 「努力賞ではダメ。狙うは場外ホームラン」 私は,そんあことをいつも思いながら,自分に無茶ぶりをするようにしています。(中略)現在の事情などはいっさい無視して,自分に無茶ぶりをすることで脳が強化され,やがてはガラスの天井を突き破ることができるようになるからです。(p123)
 私たち人間の脳とうのは,さぼっていると次第に「落ちていく喜び」に目覚めてしまうものです。(p137)
 よく誤解されるのですが,脳というのは疲れないのです。脳が疲労を感じるときというのは,ずっと同じことに没入して脳が退屈しているというだけに過ぎません。(中略)裏を返せば,「文脈」を変えて違うことをやれば,脳は常に高いパフォーマンスで仕事や勉強に向き合えるということです。(p170)
 現代における創造性に関する科学的理論は一貫して,「創造性とは組み合わせの探索である」と考えられています。つまり,人はゼロから何かをつくれるわけではなく,その人のなかにある何かと,その人のまわりにいる人のなかにある何かが組み合わさったり,並べ替えが起こって,新しいものが生まれるという考え方です。(p175)
 常識が通用しない世界でこそ,脳は強化されていくということがあるからです。つまり,不確実性こそが順応性を生み出し,どんなときでも冷静沈着に高いパフォーマンスを発揮することができるようになっていくというわけです。(p189)