2017年4月30日日曜日

2017.04.30 番外:twin 2017.5月号-ご近所で,深呼吸。高根沢町

発行所 ツインズ
発行年月日 2017.04.25
価格(税別) 286円

● 飲食店を中心に紹介している。
 大森果樹園 下柏崎
 イタリア食堂 ヴェッキオ・トラム 石末
 ビストロ プラン デ プラ 宝石台
 ドッブラン プラス カフェ スロー 宝積寺
 そば ひかり 大谷
 和食 麻希 光陽台
 和食 穂づみ 光陽台

 シェ・オカヤマ(パン店) 光陽台
 ジョリー(洋菓子店) 宝石台
 ルナール洋菓子店 光陽台
 ママキッチン 宝積寺

 ふみきりそば 石末
 ミートショップ こしみず 宝積寺

● 以上の13店。この中で間違いなく食べたり買ったりしてるのは,「ジョリー」だけだ。「ビストロ プラン デ プラ」は二度行ってるかもしれない。かもしれないというのは,店名を確認しなかったからだ。
 「ふみきりそば」はその前を数え切れないほど通っているが,営業しているところに出くわしたことはまだない。
 あとは知らない。

● 逆に何度か行っているのに,この雑誌には紹介されていない店もある。店側が載りたくなかったのかもしれないから,その店名をあげるのはやめておく。

● 「グーフォ サイクルワークス」という“オーダーメイド自転車の製作・販売”をしている自転車店があったのも知らなかった。店主は中里聡史さん。場所は宝石台。
 そっち方面はあまり行かないからな。っていうか,オーダーメイドの自転車を誂えるほど,ヘビーな自転車乗りでもないし。
 太田には陶芸ギャラリーもあるらしい。これはぼくには無縁の分野。

● 要するに,ぼくが知らないのがたくさんあるということ。知らないと損をするかというと,たぶん,そんなこともないんだけどね。

2017.04.30 番外:AERA '17.5.1-8号

編者 井原圭子
発行所 朝日新聞出版社
発行年月日 2017.05.08
価格(税別) 380円

● この雑誌も表紙が木村(拓哉)君だったので手に取ってみた。「無限の住人」に関する木村君のインタビュー記事があって,そこだけを読んだ。

● 以下にいくつか転載。
 「無限の住人」に挑む木村は,主人公の万次という役を通して,自分の新しい可能性をつかみ取ろうと果敢に奮闘しているように見えた。(p9)
 役者として,どんなキャラクターを演じるかは「縁」でしかなく,その都度,与えられた役を全力で演じるしかありません。(p40)
 役者にとって映画は1カットずつの積み重ね。自分の「主観」で演じてきたものが,編集という作業を経て「映画」になる。試写で初めて,客観的に見ることができます。(p40)
 周囲のスタッフに万次に「してもらう」ことはできても,実際に魂を吹き込んで,自分が万次に「なる」ことはそう簡単ではない。 そのためには「感じる」しかないんです。まずは万次という役を「感じる」。彼は,過去の戦で片目を失っています。であるならば,まずは自分が片目で動いてみようと。撮影は,朝5時から深夜3時に及ぶのですが,その間,ずっと片方の目しか使いませんでした。(中略)僕は不器用なタチなので,そうやって自分を追い込み,体で感じるしかなかった。(p40)
 映画やドラマの前評判などでもいろいろ書かれることがありますが,これでいいやと中途半端な気持ちでやっている作品はひとつもない。そう思うなら思えばいいと,どこかで割り切ってします。テレビも同じです。視聴率というものだけでジャッジされてしまうことがあるけれども,そうしたいなら,そうしてもらっていいと思う。(p41)
 木村さんはビジュアルひとつとっても「気高い孤独」をまとっていて,余計な役作りをする必要がない。(三池崇史 p43)
 これまで出会ってきた役者の中で,木村拓哉ほど戦っている男はいない。断言できます。必要以上に人に媚びないし,全方位で真剣勝負を挑んでいる。監督って,役者を探すときに「真剣勝負をしていない人」には用はないんですよ。(三池崇史 p43)
 木村さんは,面倒くさい芝居から解放されたいんだと思う。本当は見えているのに,見えない芝居をするのが面倒くさいんじゃない?(三池崇史 p43)
 共演した福士蒼汰さんは,木村さんのそんな姿を見て変わりました。役者は,役者が育てるのだと,改めて思いましたね。(三池崇史 p43)

2017年4月29日土曜日

2017.04.29 柴田秋雄・瀧森古都 『日本でいちばん心温まるホテルであった奇跡の物語』

書名 日本でいちばん心温まるホテルであった奇跡の物語
著者 柴田秋雄・瀧森古都
発行所 SBクリエイティブ
発行年月日 2015.07.27
価格(税別) 1,300円

● 鎌田洋さんの『ディズニー ○○の神様が教えてくれたこと』シリーズを出している出版社から出ている,同様の寓話集。
 舞台は名古屋アソシア。今は名古屋マリオットアソシアになっている。名古屋を代表する高級ホテルなのじゃないか。
 この本に出てくる名古屋アソシアは,外資が入る前のホテルのことなのだと思うけど。

● 寓話集なんだけど,それでもホロッとしてしまう。これはいいことなのか幼稚で情けないことなのか。

● 以下にいくつか転載。
 「日本一お客様を幸せにする」ことが第一ではなく,「日本一幸せな従業員のいるホテル」をつくることが,ホテル再生への第一歩だ(p4)
 仲間を思う優しさ,仲間を許す優しさ,そしてお客様の心に寄り添う優しさ。僕は,この『優しさ』さえ持っていれば,人間として合格だと思うんだ。どんなに素晴らしい大学を出るよりも,人間的に優れていると思うよ(p80)
 正直になるということは,とても勇気のいることかもしれない。しかし,目の前のことと向き合う「覚悟」を持つことで,様々な奇跡を起こすことができる。(中略) もしかすると,今までホテルに起きた様々な試練は,神様からのプレゼントだったのかもしれない。(p199)

2017年4月27日木曜日

2017.04.25 松宮義仁 『A6ノートで仕事を超仕組み化しなさい』

書名 A6ノートで仕事を超仕組み化しなさい
著者 長谷川慶太郎
発行所 徳間書店
発行年月日 2009.09.30
価格(税別) 1,400円

● 巷間有名な(でもないのか)「PDCAサイクル」に替えて「LDSPサイクル」を提唱。PDCAは「Plan-Do-Check-Act」。それに対してLDSPは「Learn-Do-See-Plan」。
 PDCAというのは,ぼくも社会人になった初期に研修で聴いたことがあるけれども,最初にP(計画)があるのには違和感があった。その対象について知るところが皆無の状態で,どうして計画を作れるのかってこと。

● それに対して著者が出した解答がLDSPで,まずはL(学習)があり,実際にやってみて,その結果と過程を評価する。この場合の評価は二度目の学習だという。評価だからSeeなんだろうけど,二度目の学習という意味でStudyであるとも言っている。
 で,最後にP(計画)があり,以後はそのサイクルを回していく。

● が,こうしたサイクル論に惹かれないのはどうしてなんだろう。なるほどねとは思うんだけど,実際にやってみようとは思わない。めんどくさそうだからかね。

● ちなみに,本書にはA6ノートの話はほとんど出てこない。

● 以下にいくつか転載。いずれもサイクル論とは関係ないもの。
 「仕組み化」というと,一つの決まりきったやり方を作りあげて,後はそれを未来永劫,続けていけば良いといった印象があります。しかし,それは夢物語であり,一度つくったらおしまいなどということは,特に,ビジネスの世界ではまずありません。(p1)
 一言で言うなら,世代間ディスコミュニケーションが進み,同世代だけが集まり,世代が異なると,まったく情報が交換されないということです。(中略)勢い,つい本だから知識を得て,「知るだけで満足する」という傾向(勉強本ブーム)が進んだのも同じ背景があるかも知れないと思います。(p71)
 読書にもいろいろありますが,サイクルを回すための「学習」にとってもっとも効果的なのは「同ジャンル多読」です。(p121)
 行動することで成果を出す人,出せない人の違いは,完璧を求めるか,求めないかにあります。「完璧な計画」を立てようとする人よりも,「不明確な計画」,計画は完璧ではないけれども,まず行動に移している人,そういう人のほうが,結果的に成果を出していることが多いのです。(p133)
 タスクを整理するために,「ToDoリスト」もよく使われますが,(中略)これは行動の先延ばしでしかありません。スケジューリングができないからです。束の間の心理的な安心感が生まれるだけで,結果的には「できないことリスト」になりがちで,かえってストレスになってしまいます。(p138)
 個人の場合は,誰かに「教える」ことが,最高のフィードバックを得る方法です。教えることで自分の記憶にもしっかり刻まれ,内容も人に説明する機会が増えるほど,ブラッシュアップされていきます。(p152)

2017年4月23日日曜日

2017.04.22 番外:FLIX 2017年6月号

編者 松下元綱
発行所 ビジネス社
発売年月日 2017.06.01
価格(税別) 917円

● 映画雑誌。したがって,表紙は木村拓哉。で,これも購入。

● 読んだのは冒頭の木村君のインタビュー記事のみ。そこからいくつか転載。
 “一緒にやりませんか?”と言っていただき,本当に快諾させていただきました。監督ご本人の口からそういう言葉をいただけるのが,僕らのような仕事をしている人間にとっては一番恵まれた瞬間だと思うので。
 (三池監督からは)一度も演出はしていただかなかったんです。でも,何て言ったらいいんだろう? 現場では本当に,監督が作り込む作業,のめり込む作業が三池組を象徴している気がして。(中略)その情熱を全員が感じ取れる現場でしたね。
 安全第一で作業すればするほど,どうしても痛みって忘れがちなんです。実際は,痛くも何ともないので。けれど,やっぱりヴィジュアルから伝わるであろう痛みを伝えるのは自分の責任だ
 役としての痛みは自分の責任だけど,自分自身の痛みは撮影に関係ない。
 自分自身で万次を作り上げるというよりは,杉咲花ちゃんが演じてくれた町や凜のことを感じ,自分の中で解釈したり,飲み込んだりして,自分の表現に変換させていただく感覚でしたね。彼女が苦しめば苦しむほど,万次としてはアクセルの回転数が上がる。
 彼(市川海老蔵)の何がすごいって,動いても着物が全く着崩れないんです。
 (妹の町が殺されるシーンは)本編の中では冒頭にあたるんですが,実は僕のクランクアップのシーンで。(中略)あのシーンに限っては手を決めないでやろうとなりました。“とにかくこっちは殺しに行くので,それに対して反応してください”と言われて,“分かりました”と。(中略)非常にライブ感のある撮影でした。やるからにはという思いもどこかにありますし。しかも,肘から先しかフレームの中に映っていないんじゃない? という人まで,全力なんです。(中略)そういった出演者の方々に,出演者の方々の1カットにかける思いや情熱に,自分も触発された部分は大きいと思います。
● というわけで,今月29日の封切りが待ち遠しい。言うも愚かながら,この映画(「無限の住人」)は絶対に見る。

2017.04.22 番外:FRaU 2017年5月号

編者 岡田幸美
発行所 講談社
発売年月日 2017.05.01
価格(税別) 694円

● これも木村拓哉が表紙を飾っている。で,そういうものは一応見てみよう,と。

● 彼のインタビュー記事から転載。
 ずーっとやるべきことは詰まっていたので,やるべきことがしっかりあるという状況が自分を支えてくれたなって思います。
 (サンタクでは)さんまさんがあまりにも野性的なんで,自分がけこう常識的なポジションになるんです。
 初めてじゃないかな。20数年やってきて。“撮休”っていうスケジュールがあるんだっていう。 -作品のスケジュールが休みのときは,初めて共演者と同じように休めるようになったということですよね。 そうですね。今はいろいろ別の仕事も入ったりしてるけど。
 (ロングバケーションのこと)今思っても,これはほんとに,山口智子さんっていう共演者に恵まれたっていうひと言に尽きるんじゃないですか。アクトって,要は,カメラマン,音声さん,照明さんという傍観者がいる状況で,目の前にいる相手に対して,たとえば“好き”っていう気持ちをずっと抱いていられるかどうかっていうことじゃん。あの作品をやらせていただいたときには,(中略)その姿勢になり直す必要がないっていうか。山口さんに対して,自分は,そのまんま思っていればよかった。(中略)いちいち計算する必要がなくて。
 “あ? 待って,待って。ここまで全部自分でやってきて,その1カットだけ違う人?”って思って。結局,自分でやりました。朝イチで。顕微鏡の中のシーンだけ。 -指も映らないのに? はい。せっかくやるなら,ガッツリやったらないと。
 やっぱり周りの人たちがモチベーションを高めてくれるんだと思います。基本,すべてにおいて,自分がやらせてもらっていることって,相手がいて,初めて成立することだから。
 ふつうに(刀を)当てていたよ。(中略)監督も撮る前に“立ち回りではなく,殺し合いを今から撮影させていただくので,みなさん,よろしくお願いします”って言ってくださって。“あ,同じ感覚でいてくれる”と思えて,すごくうれしい気持ちをベースにして動けた。(中略)(市原)隼人なんかも,“撮影”という形で立ち合うのを嫌がっていたし。だからすごかったよ,ほんとに。最高ですよ。ああいう真面目で,ちゃんと熱意をもっている人が同じ現場に立っていてくれると・・・・・・。
 もうそれは,求められたら,動きます。自分は,そのためにちゃんとコンディションを整えていようと思っています。
 -以前のインタビューも,「楽しい,嬉しいといったポジティブな感情だけでなく,悲しい,寂しい,辛いといった感情もしっかり味わった方がいい」と言っていました。 うん,それが結局は,人生を豊かにしてくれると思うよ。

2017.04.22 番外:婦人公論4月25日号

編者 横山恵子
発行所 中央公論新社
発売年月日 2017.04.11
価格(税別) 528円

● これも表紙が木村拓哉。写真は篠山紀信が撮っている。

● 彼のインタビュー記事からいくつか転載。
 今の僕にしても,何のために命を燃焼させているかと問われたら,やっぱり自分のためではない気がする。作品のためであったり,誰かのためであったり・・・・・・。(p44)
 真冬の京都で,セリフを言うと,寒さで白い息が出てしまう。だから,カメラを回す直前まで口に氷を含んでおいて,「本番!」の合図と同時に氷を吐き出し,セリフを言うようにしていました。(中略)寒いとかつらいとかいう僕自身の感情は,万次には関係ない。(p44)
 僕自身,逃げない,それから,やるからには全力を尽くす。この二つは,ずっと自分に課してきたことです。(p45)
 思いを作品という形にして,たくさんの人たちに向けて放つというのは,ものすごいエネルギー。僕は,そこに一員として参加させてもらっているだけです。一人じゃ,なんっにもできないんですよ。「自分一人で」という感覚は,僕の中では皆無です。(p45)
 映画なら映画,ドラマならドラマ,何かひとつの仕事にフォーカスを合わせ続けられるようになったことは,すごく新鮮ですね。前は(中略),チャッチャッと,仕事ごとにチャンネルを切り替えないといけなかった。(中略)これまで,“無駄”ってわりと避けてきたんです。時間も限られていたし,最短ルートで結果を出そうとしていた。でも今は,役について,ああでもない,こうでもない,と考えることができる。あ,無駄,いいなぁって。(p45)
 志は高くありたいですけど,高い場所に行きたいわけではない。(p45)
● 作家の佐藤愛子さんのインタビューもある。90歳にして『晩鐘』を世にだした。創作意欲が衰えないこと,その質を維持していること,この二点においてこの作家は野上弥生子以来ではないか。っていうか,野上弥生子を凌ぐのかも。
 何もない平穏な状態はいいことだけれど,いざというときは,平穏なんて何の役にも立たないと思いますよ。(p14)
 93歳の作家の言葉だ。

2017.04.22 番外:キネマ旬報5月上旬号-開眼,覚醒,前進 木村拓哉は銀幕にいる

編者 青木眞弥
発行所 キネマ旬報社
発売年月日 2017.05.01
価格(税別) 850円

● 書店のエンタテインメント雑誌の棚を見ると,木村拓哉が表紙になっている雑誌が並んでいた。「無限の住人」の封切りが近づいているからね。
 「無限の住人」,もちろん見る。

● この雑誌も木村君のところだけを読んだ。以下にいくつか転載。
 木村拓哉は自分もことより,共演者のことより,スタッフのことを語る。彼にとって現場は,単に芝居をするだけの場ではないのだ。(p8)
 万次がいまも生きているとすれば,それは木村拓哉なんじゃないか。そういう一致の凄みを感じるんですよね。キャスティングをする上で迷いがなかった。(この原作を)やるんだったら,木村拓哉がいないと無理だよねと。根拠はないんですけど,なぜかそう思った。(三池崇史 p12)
 万次が,スーパーアイドルとしての役割を果たしながら生きていく木村拓哉という人とものすごくリンクするんです。誰も味わったことのない,木村拓哉にしか見えていない世界がある。わけですよ。明らかに。万次にしか見えていない世界があるように。(三池崇史 p14)

2017.04.22 番外:POPEYE5月号-もし東京に友達が来たら,君はどこに案内するか?

編者 木下孝浩
発行所 マガジンハウス
発売年月日 2017.04.10
価格(税別) 722円

● 主には食堂やレストランの紹介。が,それ以外のものもあって,たとえば最初に出てくる「カストリ書房」。台東区千束にある。遊郭・赤線・歓楽街に関する古書と新刊を扱っている。けっこうエロいのもあるらしい。
 浮世絵は性交場面をデフォルメして描いているものが多いわけだけども,その伝統って江戸時代で絶えてしまったわけではなく,現在まで連綿と続いている? ひょっとして,その中から後世の人たちが驚くような作品もあるのかもしれない。と,妄想してみた。

● 銀座にも「蔦屋書店」ができるらしい。

● 山口瞳さんのエッセイにしばしば登場していた,国立の「ロジーナ茶房」は現在も健在。
 行ってみたいと思ったのは,中目黒の「おにやんま」。立食いうどんの店だ。ここなら一人でも入れる。旨そうだ。

● 昨年大晦日に泊まった「トレインホステル北斗星」も紹介されていた。清潔だし,3千円未満で泊まれるし,イートイン・スペースはあるし,コンビニがすぐ近いところにあるし,何より馬喰町駅に隣接しているという立地が移動者を助けてくれる。

2017年4月20日木曜日

2017.04.20 森 博嗣 『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』

書名 人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか
著者 森 博嗣
発行所 新潮新書
発行年月日 2013.03.20
価格(税別) 700円

● 頭が強い人が書いたものを読む快楽の今月2冊目。

● 著者が折にふれて言っていた“抽象的に考える”というテーマについて展開している。あちらからこちらから,説いて説いてという感じ。

● ところで。読了してから,これ一度読んでいたことに気がついた。
 これって,昔からわりとある。まったく新鮮な気分で二度目を読めたのだから,お得かなと思う。バカか,おまえは,という意見もあると思うんだけどね。

● 以下に多すぎる転載。
 世間一般の多くの人たちの考え方は,極めて主観的であり,大多数は具体的だ。それを自分で意識しているならば問題はないが,無意識にそれがスタンダードだと思っているから,ときとして「狭いものの見方」になりがちで,また,主観的で具体的すぎるがゆえに感情的になってしまい,結果として損をすることになる。(p5)
 (現代アートでは)芸術として描かれる絵は,それが何を描いたものかを伝えるためにあるのではなく,作者がどう感じたのか,ということを訴えるものになった。(中略)「凄い!」という感動を絵にするのである。これが抽象画だ。(p25)
 客観的に考える場合には,自分の経験や知識や立場を忘れる必要があるし,抽象的に考える場合には,表面的なもの,目の前に見えているものに囚われないことが大切である。これはたしかに難しい。でも,できないわけではない。人間にはそれだけの能力がある。それができるから人間だ,といっても良い。(p27)
 僕の友人には,自殺してしまった人が数人いる。周囲の誰も,彼らを救うことができなかった。たぶん,彼ら自身しか,救えなかっただろう。多くの場合,自殺する人の思考は,主観的であり,具体的すぎる,と僕は感じている。(p30)
 だんだん文章が速く読めるようになる。これは,読む能力が増したように錯覚する人が多いが,そうではない。言葉が表していたはずの元のイメージを頭の中で展開せず,ただ言葉を鵜呑みにして処理するようになっただけだ。こういった状態で読んだものは,次第にインパクトが薄くなるし,すぐに忘れてしまうようになる。本を沢山読む人,読むのが速い人ほど,この傾向があるように観察される。(p35)
 社会では,沢山の人がそれぞれの分野の専門となって仕事を分担している。なんでもみんなで多数決を取る,というのは考えもので,それぞれその専門家が考える方が間違いがない。原発反対の人が多いから原発は廃止すべきだ,という数の理論は成り立たない。(p57)
 「どうしてこんな馬鹿なことをするんだ?」と怒ってしまう人は多いが,少なくても「どうしてか」が理解できないから腹が立つのだ。(中略)冷静さに必要なのは,この「理解」なのである。(p62)
 重要なのは,決めつけないこと。これは,「型」を決めてしまって,そのあとは考えない,では駄目だという意味だ。抽象的に,ぼんやりと捉えることで,決めつけない,限定しない,という基本的な姿勢を忘れないように。(p65)
 自分に都合の良い主張をするのは簡単だが,それを聞いた相手がどう感じるのかを予測しておくことは,一つには「思いやり」であり,また逆に考えれば,相手の反応を見越して,より有効な表現を選択するという戦術が取れるわけで,自分にとっても非常に有利となる。(p67)
 歳を取ると,自分に無縁なものが増えてくるし,割り切れるようになる。そんなことに金をかけても,なんの足しにもならない(ならなかった),と処理する。こうして欲求はすべて小さな具体的なものばかりになり,予感や願望だけの「美しさ」は無益なものとして排除される。(中略) こうなってしまった年寄りは,ぼんやりと悩んでいる若者に対して,つい「はっきりしろ」「もっと具体的に」と言いたくなるはずだ。しかし,若者の「はっきりしない思考」というのは,それも価値があるものであって,それを失ったのが「年寄り」なのである。(p83)
 悩むことはけっして悪いことではない。とにかく,考えないよりは考えた方が良い。この法則は例外が少ない。(p92)
 抽象的思考を身につける方法というものは,具体的にはない。こうすれば間違いなくできるようになる,という方法は存在しない。したがって,教えることなんてできない(p98)
 教育というのは,結局のところ,具体的な知識を詰め込むことしかできていない。「才能を育てる」というのは,もともとあった才能が活かされる場を用意するだけのことだ。(p99)
 僕が見たところ,現在の若者は常識に縛られ,具体的な大量の情報によって抑制されている。できるのに,できないと思い込まされている人が大勢いる。(中略)教育という行為は,少なからず,具体的情報を押しつける行為であり,ぼんやりと存在していた個人のイメージに対し,みんなで共有するために意味を限定(すなわち,定義)する作業の集積でもある。結果として,皮肉なことに,教育が抽象的思考を阻害する可能性があることを,まず自覚しなければならない。(p103)
 知識を得ることは,抽象的思考とは方向性がまったく異なる。もしも,知識の多さが「理解」であり,知識によって物事がすべて解決できると思い込めば,もうなにも考える必要がなくなってしまう。(p103)
 自分が知ってしまった情報に対して,「もしも自分がこれを知らなかったら」と仮定して考えることが,抽象的思考の基本なのである。(p115)
 なにか具体的な例を挙げようと思ったのだが,多くの読者は,僕がたまたま挙げた具体的な例に囚われるだろう。その具体例だけ覚えてしまい,逆に抽象的な本質を意識できなくなる。言葉で説明したり,人を納得させるときに,難しいのはまさにこの点なのだ。(p118)
 注意したいのは,芸術を評価する目というのは,裏データを知る必要がないことである。(中略)頼りになるのは,自分の感性だけだ。これをしなければ,芸術に触れる意味がないとさえ思われる。(中略)芸術の本質とは,貴方の目の前にある作品と貴方の関係なのである。(p122)
 言葉で表されていても,それを言葉で理解することは,僕は間違っていると思う。しかし,いわゆる評論家というのは,これを無理にしている人たちである。(p123)
 感想文を書くことが上手になれば,きっとその分,芸術家になれなくなるだろう。解釈という単純化が,芸術をたんなる技術にしてしまうからだ。(中略) 創作を自分で行うには,「感動できるけれど言葉にならないもの」,そんな「わからないもの」を自分の中に持っていなければならない。(P124)
 抽象化する力が不足している人は,創作するものが,人真似になるだろう。自然にそうなってしまう。それは,まだ具体的なものに囚われている証拠で,自分が目指すものが,充分に抽象化されていないことを示唆している。(p125)
 抽象的なものには,論理が完全には適用できない。また,論理的思考とうのは,発想があったあとに,それを吟味する役目のものである。論理的にいくら考えても,新しいことを思いつくことはできない。(p126)
 いつだったか,(たしか新聞の投稿で)子供が満天の星を見て,「蕁麻疹みたい」と言ったことに対して,「近頃の子供は夢がない」と嘆く論調のものがあったが,とんでもない話である。その子供の発想は素晴らしい,と褒めなければならない。星空は綺麗なものという固定観念に囚われている方が,明らかに「不自由」な頭の持ち主であろう。(p129)
 誰もが自殺について考えたことがあるだろう。それをしないで生きているのは何故なのか? この問いは,非常に重要なものである。(中略)しかし,この答を具体的に語れる人も少ない。少なくとも,僕にはできない。ただ,なんとなく,生きていた方が良いような気がする。ここでも大切なことは,「ような気がする」という極めて抽象的な方向性なのである。 すなわち,そもそも人が生きている,人を活かしているものは,抽象的な,ぼんやりとした理由でしかない。探求すれば,もっと深く考えることも可能だろうけれど,しかし,けっして具体的になるものではないだろう。(p132)
 世間の人がよく誤解をしていることがある。研究とは,「調査:だと思われがちだ。(中略)しかし,僕の認識では,これは研究ではない。研究のための準備か,あるいは確認作業だ。(中略) では,研究というのは,どんな行為なのか,といえば,考えて考えて,思いついて,そして,それを確かめる,もし確かめられなかったら,また考えて考えて,思いつく,という繰り返しである。(中略)なくてはならないのは,やはり思いつくこと。すべては,発想に起点がある。それは,時間にすれば,ほんの一瞬のことだ。(p137)
 僕は,メモというのは一切取らない。これは,研究でもそうだった。メモを取ろうと思った瞬間に,つまり,言葉にしようとすることで失われることが多すぎる。どうせ最後は言葉にするのだ。メモよりは,本文を書く方が言葉の数が多いので,失われるものは最小限になる。発想したときメモを取るくらいなら,発想しながら本文を書いた方が効率的だ,と考えている。(p144)
 作りたい気持ちはあるけれど,作りたいものがあるとはかぎらない。これが抽象的な指向である。そうではなく,作りたい気持ちは大してないけれど,作りたい(できれば,誰かに作ってほしい)ものがある,というのが具体的な指向になる。前者の方が良い状態だと思う。(p148)
 楽しいものを求めるときに,楽しくない手法では元も子もないという場合もある。(p150)
 世の中は,具体的な方法に関する情報で溢れ返っている。こんなに沢山の情報が存在できる理由は,結局それらの方法では上手くいかないからである。(p151)
 人生なんて,長生きしてもたかだか百年ではないか。さらにもっと未来を見れば,いつかは地球は太陽に呑み込まれて消滅してしまうだろう。自分がどう生きようが,最後はすべてが無に帰すのである。それは確実なことなのだ。(中略) このように,抽象的に見るために客観性を増して遠望すると,「すべてが虚しくなる」という人もいる。(中略)しかし,「虚しくなるから考えない」というのも理由として変だ。おそらく,「虚しいことは悪いことだ」と思い込んでいるのだろう。 日本には古来,虚しさを楽しむ文化があるではないか。(p154)
 思考は,自由で常にダイナミックだ。しかし,具体的な(肉体の)生活は,質素で無変化であってもかまわない。むしろ,その方が健康を維持しやすい。健康は,思考を支えるためにある,と僕は思っている。(p160)
 究極的には,その人の考え方なのだと思う。考え方がすべての基本なのだ。だから,現実がどんな状況にあっても,肉体がどんな状態であっても,思考は自由であり,いつでも楽しさを生み出すことができるはずである。ただ,現実や肉体といった具体的なものに囚われ,不自由を強いられているのである。(p161)
 論理的な思考というのは,それに集中し,「脇目もふらず」突き進む感じのものだが,発想するときの思考は,「どれだけ脇目をふるか」が重要になる。(p168)
 人間の頭脳が考えるものは,そういう「人工的」なものである。実は,「論理」というものも人工的なもので,計算も推論も人工だ。(中略) しかし,その当の人間の頭脳は,まちがいなく自然なのだ。頭は,人工物ではない。したがって,自分の思うとおりにはならない部分がどうしてもある。(中略) 優れた発想とは自然から生まれるものなのだ。思うようにならないのは,人間の頭が作り出した人工の論理から生じるのではなく,人間の頭という自然の中から育ってくるものだからである。したがって,まさにガーデニングや農業と同じで,抽象的思考の畑のようなものを耕し,そこに種を蒔くしかない。発想とは,そうやって収穫するものなのである。(p179)
 学び方,考え方といった具体的な手法を数々取り入れたところで,それはその場限りの,つまりお金を払って庭師さんに作ってもらった庭園であって,自分が作り上げたものではないため,やはり次第にアイデアは枯れ,土地は痩せてくる。毎日こつこつと雑草を取っている(抽象的な思考を続ける)人の庭には,どう頑張ってもかなわない。(p181)
 この頃は,「楽しく学ぼう」というような幻想を追い求めすぎていないだろうか。はっきり言って,勉強は楽しいものではない。考えることだって,どちらかといえば苦しいことだ。のんびりとリラックスしているときにアイデアが浮かぶよりも,忙しくて必死になって考えているときの方が,断然発想することが多い。(p184)
 大事なことは,「もうちょっと考えよう」という一言に尽きる。(中略)なにに対しても,もうちょっと考えてほしいのである。なにしろ,全然考えていない人が多すぎるからだ。(p186)
 知らないから不安になるという人が多いけれど,誰も本当のところは知らないということくらいは,知っておいた方が良い。専門家は,比較的詳しいというだけだ。(中略)自分で少し考えるだけで,かなり理解が深まるのに,それをせず,ただ知ろう知ろうとするから,疑心暗鬼になって「ちゃんとすべてデータを見せてほしい」「なにか隠しているんじゃないか」と疑ってしまう。(p190)
 情報は,それを発信した人の主観が基本になっている。自分に有利になることを書いている場合がほとんどだ。(p191)
 僕の場合は,引用を極力しないことにしている。誰かの意見を直接参考にして考えたわけではないし,具体的な事実にも無関係な,抽象的なことを話題にするように心がけているからだ。(p192)
 将来の方向性といった問題については,できるかぎり判断を保留した方が良い。この保留することも,抽象的思考から導かれるものの一つである。 慌ててどちらかに決める必要などない。ぼんやりとしたままで良いではないか。(p195)
 〇か一かを決めないといけない,と考えるのは,「もう考えたくない」という生理的な欲求によるものだと思われる。(p195)
 好きか嫌いかを決めて,好きなものからは情報を入れ,嫌いなものからは情報を入れない,ということは,あまりにも理由がない。(中略)そんな「好き」や「嫌い」は,僕は嫌いである。馬鹿馬鹿しいとさえ感じるし,明らかに理不尽だとも思う。(p203)
 僕は,人の意見を聞くときや,人が書いた本を読むときには,それで自分が影響を受けようという気持ちでいる。そうでなければ,意見を聞いたり本を読む意味がない。(p206)

2017年4月17日月曜日

2017.04.17 森 博嗣 『正直に語る100の講義』

書名 正直に語る100の講義
著者 森 博嗣
発行所 大和書房
発行年月日 2016.08.15
価格(税別) 1,300円

● 頭のすこぶる強い人が書いた文章を読む幸せ。

● 以下に,多すぎるかもしれない転載。
 成功者に学ぶ,成功例を参考にする,というのは間違いではない。ただ,一つ気づいてほしいことがある。売れているものが既にあるなら,同じものはもう売れない,ということだ。(p14)
 多くの人は,自分がどう考えるかよりも,みんながどう思っているのかを想像する方を優先する。(中略)ようするに,自分の考えを持たないように努力している。(p16)
 人間の思考というものは,もう少し高等であって,論理を組み立て,未来を予測し,自分が進むべき道を選択することができる。現在見ている範囲の状況だけで判断する動物とは,ここが違う。(p17)
 才能を褒め称えられる側の成功者も勝者も,自分に才能があったなんて感じているだろうか? おそらく,感じているとしたら,「努力をする才能」程度では? 「運」も同じである。「運がなかった」と諦めるためにある言葉のように感じる。(p19)
 「意欲」を測ろうということが,そもそも雲を掴むような話で,口で言うのは簡単だが,実現は本当に難しい。(中略)幻想のようなものを見ようとするから,見せる方は幻想を演じることになる。ようするに演技力の勝負になってしまう。たぶん,社会においても,この演技力がものを言うわけだから,まんざら間違った評価でもない。でも,本質ではないのは明らかである。(p24)
 「褒めて育てよう」という子育て法が広まったのも,褒めることが親にとって簡単であり,できそうな手法だったからだろう。(p27)
 一部の人は,自分の「将来」というものを他者が作ると認識している。たとえば,「政府になんとかしてもらわないと困る」と本気で考えている。これは,既に,動物園の檻の中にいるような状態だといえる。(p33)
 「気がする」というのは,ツイッタなでも非常に多い表現で,大勢の人が毎日,いろいろなことで呟いている。(中略)僕に言わせると,そういう呟きばかりする人は,既に負けな気がする。(p35)
 作ることは苦労を伴う。消費にはそれがない。この対比は絶対的だろう。多くの人は長時間働くことで,僅かな楽しみの時間を得ている。(中略)この絶対的比率があるかぎり,快楽の何倍もの苦労を伴うのが人生ということになってしまう。(p42)
 時間をかけることに本当の価値,楽しさがあるものは多い。お金を出して買えば,一瞬で楽しさが得られるけれど,コストパフォーマンス的には低い,ということである。(p43)
 自分を観測するには,周囲が自分をどう扱うのか,自分がなしたもの,自分が作ったものを他者がどう評価するのか,という視点をもたなければならないだろう。(中略)この他者の評価を自分の視点で再評価することが大事で,そうしないと,ただ周囲に流され,人を気にしてばかりの人間になってしまう。(p47)
 「もうこの歳になったら,新しいものはわからない」と諦めて,ただ毎日TVを見て新聞を読んで出てきたものを食べる。関心は自分の子供や孫にしかない。せいぜい,たまに旅行をして,名所,自然を愛でて,昔を懐かしむ程度。まるで死の待合室で大人しく座っているような存在ではないか。(p49)
 どうせ自分には無理だから,時間がないから,面倒だし,あまり興味が湧かないし,と新しさを拒絶する。エネルギィを使いたがらない。「生きる」ためには少なからず「障害」がある。しかし,それらに抵抗し続けることが,「生きる」「生き続ける」という意味なのである(p49)
 自分の好きなこと,興味のあることで小説を書くという発想が,僕にはありえないものだ。(中略)自分の経験から出すものは安物だと思ってもらっても良い。(p53)
 難しいことを少しでも易しくしよう,という工夫が準備なのだ。もし,その準備が難しいと思うのなら,準備の準備をすれば良い。「意欲」を持つよりは,実現確率は高い,と思われる。(p57)
 小説を書くときなら,タイトルを決めて,プロローグを書いたくらいで,もう厭きてしまう。その作品についてはあまり考えたくなくなって,しかたなくあとは労働者のように執筆するだけになる。(中略)とにかく,自分を騙し騙し書いている感じだ。 逆に言えば,厭き厭きしているから,さっさと終わらせようという気持ちが強く働いて,執筆は短期間で終了する。(p58)
 アナウンサなどは,所定の時間でぴったり収めてしゃべるそうだ。訓練というほどのものは必要なく,人間は,それくらいのことは自然に覚える,というだけのことだろう。(p61)
 良いなと感じた作品には近づかない方が良い,と考えている。何故なら,その良さはすでに世に出ているからだ。違う方向のものを書かないと,作品の価値が出ない。(p65)
 本質は,むしろ端っこに隠れている場合の方が多い。(p82)
 「自分の目で見ないと信じられない」という人ほど,見て騙される。(p84)
 僕は,本を読むことの価値の八十パーセントくらいは,どの本を手に取るか,ということにかかっていると感じている。つまり,自分が何を読みたいのか,ということに自分で答えることが,読書をする価値のほとんどだと思うのだ。したがって,それがわからないなら,読んでも大半の価値を得られない,無駄が多すぎる,ということ。(p86)
 なにかをするときの価値の大半は,目標を捉える初動の判断にある。どこに目を向けるのか,という「着眼」だ。ここに,人の思考,発想,能力といったものの大半がある。これを人に委ねる行為は,人間性を半分失っているのに等しい。(p87)
 良い子は,悪い子が先生に叱られるのを見て,もっと良い子になろうとする。だから,悪い子を叱ることは,実は良い子のためでもある。(p93)
 細かく分類する意味は既になくなっている。(中略)むしろ,分類することで固定化される概念に気をつけた方が良い。(p95)
 現代において,ノーベル賞候補となるような科学的研究上の大発見は,才能だけでなく,努力だけでもなく,まして内助の功でもなく,大部分は研究に費やされた金額によっている。(中略)発展途上国では受賞者が出にくい理由がここにある。(p99)
 平和の作り方というのは,「平和を!」「戦争反対!」と絶叫し大勢で行進するのではうまくいかないように思う。むしろ,こういった風景はファシズムに近い雰囲気に感じられる。 そうではない。平和がいかに楽しいものかを,大勢の個人が示すことだ。(p122)
 反体制派あるいは野党などは,いろいろ国の方針にケチをつけるのが仕事である。しかし,他国を相手にして非難するこては少ない。おそらく,能力的にできないのではないか。なにしろ,感情的な言葉で濁った主張しか日頃していない。「冷静さ」に欠ける発言の限界だ。(p125)
 もし相手がなにかを知らずに言っているのなら,それを知らせてあげて,知ったうえで再びどういう意見を主張してくるのかを待つのが筋である。議論というものは,そういうスタンスで行うのが正しい。(p128)
 仕事ができる人,理性的な人になるほど,指摘を喜ぶようになる。まったく無関係な人からの批判的なものでさえ,聞いただけで嬉しくなるだろう。それが役に立つ方向性を持っていたり,ヒントになることが少なくないと知っているから,自分の利益になると直感できる。相手がどんな感情を持って言ったのかは,どうだって良い,と感じているだろう。(p131)
 日本人はブログが大好きだ。世界でもこんなにブログを書く民族はいない。世界的に見て,けっしておしゃべりではないのに,この形式の自己発信にはなってしまったわけである。まるで,なにかの国民的・国家的鬱憤があったかのようにも見えてしまう。(p155)
 傷ついたり,悲しみを経験したりすると,むしろ人は優しくなるものだ。周囲に対しても,傷ついたことや悲しみに関することを見せないほうに気を遣う。それが自分の責任だという使命感を持つ。こうして,人は立ち直るのだ。(p165)
 「優しさ」というのは,結局のところ,自分の時間をどれだけ相手に差し出せるか,ということ。測り方はさまざまあるけれど,結局はここに表れる。金や一時の労力などは誤魔化せるけれど,時間は誤魔化しにくいので,最も測りやすい指標となる。(p167)
 子供を観察しているとよくわかる。なんでも真似をしたがるし,運転手さんとか正義の味方とかに自分を擦り寄らせる。この子供の素直さが,人をどれだけ成長させるかわからない。(p168)
 貧乏人は金と言い,金持ちはお金と言う。つまりは,この差なのか。(p178)
 社会で役に立たないことは教えるな」という主張が正しいかどうかである。(中略)そもそも,「役に立つ」というのは何なのかも定かではない。(中略)その人自身,本当に社会の役に立っているのだろうか。その人がいなくても代わりになる人はいるのではないか。だったら,その人はいらないということにならないか。(p182)

2017年4月1日土曜日

2017.04.01 永江 朗 『小さな出版社のつくり方』

書名 小さな出版社のつくり方
著者 永江 朗
発行所 猿江商會
発行年月日 2016.09.26
価格(税別) 1,600円

● 出版界(出版社,取次,書店)の問題点を整理して,どこをどう直せばいいか,どうすれば出版界が活気づくのか,を検討している。
 背景には本が売れなくなったという事情がある。が,売れないのと読まれないのは違う。

● そういったところを,しつこく,いろんな観点から深掘りしている。その方法論として永江さんが採用したのが,小出版社を現に運営している人たちに取材して探ってみるというやり方。
 実際には,小出版社を取材するという仕事が先にあって,では何を訊けばいいかというのが後からついてきたのかもしれないけれども。

● 以下にいくつか転載。
 新聞広告を出したことは何度かあるが,書評ほどの効果はないというのが実感だ。(p22)
 返品削減はじめコストカットは,短期的には利益を増やしても,長期的には市場を収縮させ,自分たちの首を絞めることになる。(p40)
 一人ひとりの給料が高いので,経営側は人件費を抑えるために従業員を減らそうとする。従業員が減ると,ひとりあたりの労働量は増える。余裕がなくなり,アイデアも生まれにくくなる。(中略)給料を下げて人を増やしたほうが,長期的には出版界活性化につながるのではないだろうか。(p41)
 取次の社員はリスクを恐れる。自分が口座開設をOKした出版社が倒産したら,責任を問われるからだ。だが,出版というビジネスは,うまくいくこともあれば失敗することもある。(中略)できるだけリスクを回避しようと石橋を叩いてばかりいるので,誰も橋を渡らなくなり,出版界は活力を失ってしまった。(p55)
 読者にとっては,出版社が大手か零細かなんて関係ないし,本の内容だけで買うとは限らない。たとえ1000円でも2000円でも,ふつうの人は本を買うときシビアになる。チープな造本では購入意欲が失せる。こうした感覚は出版業界に長くいると鈍くなってしまう。(p57)
 出版社には企画会議があるでしょう? あれでだいたいつまんない企画になってくる(p62)
 ある大手書店チェーンの幹部は(酒の席での発言ではあったけれども),出版社が淘汰再編されたほうが書店の仕事は楽になるといっていた。売上は落ちているのに仕事量が増え続けている書店現場の悲鳴とも聞こえる。(p75)
 近年,美術館の展覧会は進化していて,60年代や70年代のようにただ泰西名画を集めただけ,あるいは個人の作品を年代順に並べただけという展覧会は少なくなった。明確な,しかも斬新なコンセプトで,展覧会そのものが表現であるかのような企画が増えたし,個人の回顧展にしても切り口が重視される。(p84)
 アートというものが時代のひとつ先のイシューをとらえるものだから,『BIOCITY』をつくりながら,このテーマは何年か前にアートで取り上げられていたものと感じることはよくあります。3.11以降,アートは変わったと思います。9.11以降にアメリカで起きたようなことが,日本でも起きている。たとえば,参加型の作品など関係性のアートが増えている。(p90)
 「(著者が)無名でさえなければ」という言葉は身も蓋もないように聞こえるけれども,これも重要なポイントだ。無名で,後ろ盾もなく,なんの実績もない出版社が最初に出す本で,著者も無名というのでは,売る自信がなかった。(p102)
 「風」だ。なんとなくの「風」を感じられるかどうか。人が書店でワクワクしている感じが減っている(p117)
 AKB48など秋元康氏のアイドル・ビジネスは漫画雑誌のつくり方に似ている。アイドルグループを運用するためにメンバーを新陳代謝させていく。 「一方,手塚プロとか藤子プロなど個人事務所のあるコンテンツは寿命が長いんです。コンテンツ側で管理する人間がいないと,コンテンツの寿命は短くなる」 佐渡島さんの感覚では,作品の80%は運用によって寿命を長くできるという。ところが出版社のしくみでは,長期的に運用できるのは5%程度にとどまる。(p119)
 作家に限らず,クリエイターにとって自己模倣は危険な罠だ。スタイルを確立したなどといえば聞こえはいいが,同じことの反復である。(p127)
 本を世に送り出すためにつくった出版社が,いつのまにか出版社を存続させるために本をつくるようになる。書店も取次も同様。存続することが自己目的化して,手段と目的が逆立ちしてしまう。「本が売れない」という状況は,その帰結だ。しかし「本が売れない」のは「新刊書が新刊書店で売れない」のであって,「本が読まれていない」のとは違う。(p133)
 店舗をつくるにあたって,ほかの書店は参考にしなかった。ヒントになったのはニューヨーク滞在中に通ってインデペンデント系の書店だった。日本の書店はビジネスモデルとして終わっている世界だから,参考にしても意味はない。(p143)
 セレクトした本がハマりすぎないこと。完璧すぎると図書館のような,博物館のような棚になってしまうのだ。鑑賞するにはいいけれども,購入意欲は刺激されない。人が買う気になるには,隙間というか,ノイズが必要だ。(p144)
 SNS全盛の時代になって,ふつうの人が共感するものがリツィートされたり拡散していくようになった。とくに消費の現場ではいい意味での“ふつう”“等身大感”みたいなものが重要になってきたと思う。(中略)出版界にはいまだに「80年代リブロ池袋店神話」みたいなものが生きているが,そんな化石にしがみついていては滅びるだけだ。(p150)
 そこの客層と向き合わずに自分のスタイルだけ貫くほうがよほどかっこ悪いと思ったんですね。お客さんを無視するのはどうなのか。お客さんに合わせるべきだと思った。(p152)
 ここ数年,本を置くカフェや生活雑貨店,洋服店などが増えた。だが,そうした店で本が売れているのを見たことがない。装飾品以上の役割を果たしていない。(p154)
 自宅を仕事場にすると際限なく仕事をしてしまうか,逆に怠けて遊んでばかりになるかになってしまい,ほどよく仕事と休息のバランスを保つのは難しい。(中略)曜日に関係なく朝の5時半に起きてパソコンに向かい,晩ごはんを食べたあとの夜の10時までダラダラと仕事を続けるのは我ながらよくないと思う。つい仕事をしてしまうのは,私が働き者だからではなく,仕事をしていないことに漠然とした後ろめたさを感じるからだ。よくないことだと思う。(p181)
 体力は歳とともに落ちていく。とくに回復力が落ちる。(中略)内面のほうはどうか。時代の変化についていけないということはないけれども,新しいことへの好奇心が感動が薄れる人もいるだろう。感性が鈍るというよりも,「新しい」ともてはやされることに既視感を抱くのだ。(p184)
 予算がないと,どうしても料金の安い業者を選んでしまいがちだが,料金にかかわらず信頼できる担当者のいる会社と取引するほうがいいと下平尾さんはいう。とくに小規模な出版社にとっては,印刷所やデザイナーも巻き込んで,いっしょに一冊の本づくりに参加するチームになってもらえるかどうかが大きい。(p206)
 さまざまなアンケートでも読者の購入動機のいちばんは「書店店頭で見て」という衝動買いである。(p226)