2017年6月29日木曜日

2017.06.29 『フジ子・ヘミングⅠ 奇蹟のカンパネラ』

書名 フジ子・ヘミングⅠ 奇蹟のカンパネラ
発行所 ショパン
発行年月日 1999.10.15
価格(税別) 1,000円

● フジ子さんが世に知られる契機になった,NHKのドキュメント番組「ETV特集:フジコ あるピアニストの軌跡」が放送されたのは1999年2月11日。
 その後まもなく出版されたのが本書。

● ということもあってか,内容はフジ子礼賛で埋まっている。たとえば,次のごとくだ。
 ぼくの好きなバレリーナ,イヴリン・ハートは,「私は音と音の透き間の音を聴きながら踊るの」と語った。ぼくもまた詩を書くとき,紙に記す言葉より,言葉と言葉の透き間の行間の方を大切にする。まして,偉大な作曲家たちこそ,「鳴ってない音」の方を大切にしていたのではないかと疑う。不思議なことにフジ子さんのピアノを聴くと,その音と音の透き間の音が聴こえるのだ。(松本隆 p14)
 一般的に,リスト演奏では華麗な超絶技巧を前面に押し出したスタイルが多い中,彼女の演奏は虹のような多彩な音色で,極めて表情豊かにしかも格調高く,全ての音に因果関係を感じさせる。(中略)このようなマエストロだけが到達できる境地の演奏の中では技術的なミスは全く気にならない。(藤井身理 p20)
● 今でも同じ感想を持ちますかと訊ねてみたいという,意地悪な感想もきざすんだけど,錚々たる人たちが,フジ子さんのピアノを絶賛している。
 以後,18年間。現在まで彼女の人気は衰えない。つまり,聴衆を惹きつけ続けている。
 ぼくも二度ほど彼女のピアノを生で聴いている。正直なところ,ぼくの耳は馬の耳,では測りかねる。

● フジ子さんの発言からひとつだけ転載。
 私は,私のことをやりたい。本も読みたいし,掃除もしたい。座ってものを考えるのも好き。もちろん演奏会ではいつも最高のものを弾かなきゃいけないから,乗り切るのは大変ですよ。でもいろいろなことをやったほうが,ピアノもうまくなるんじゃない?(p42)

2017年6月28日水曜日

2017.06.28 齋藤敦子 『コクヨ式机まわりの「整え方」』

書名 コクヨ式机まわりの「整え方」
著者 齋藤敦子
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2014.05.30
価格(税別) 1,300円

● 机まわりを整頓しろ,片づけろ,というのではない。要は,楽しさオーラが出るような机にしろ,ということ。会社のデスクだけじゃなくて,個人の書斎についてもあてはまることだろう。
 発想術の指南書でもある。

● この本を読んだ人はたくさんいると思うんだけど,著者が説くようにやった人は,限りなくゼロに近いのではないか。
 まぁ,それはそういうもので,であればこそ,このジャンルの本が次から次へと登場できる。メシの種が残るわけだ。

● が,実際に役に立てるという視点を外して,読み物として読んでもこの本は面白い。著者自身の仕事は半ば研究職で,管理業務の煩わしさを別にすれば(それが8割を占めるのかもしれないけど),面白い仕事をしているように思える。
 それが文章に出ているような気がする。

● 次に少なくない転載。
 「片づけない」のも「片づけすぎる」のも良くないようです。どちらも仕事場として最適ではないし,何よりもワクワク感が生まれません。すると,会社に来てもワクワクしないし,つまらなく感じてしまうのです。(中略) これは,とても重要なポイントですが,いい仕事をしたいなら,「仕事場は楽しくなくてはならない」のです。(p14)
 人間はオフィスにいて座っているだけではありません。歩いたり移動したりすることで,人との交流が生まれるのです。(p23)
 考えてみてください。あなたが楽しそうにしていることは,会社にとってマイナスでしょうか? あなたが楽しそうなら周囲も楽しい気分になります。楽しければ,笑顔がこぼれるでしょう。これは結構重要なことですが,良い会社,成長する会社の共通点は,そこで働く社員の笑顔が素敵なことです。(p33)
 仕事におけるアイデアや,イノベーションは,“非連続”の状態から生まれるものです。日常の“延長線上”にはなかなか生まれません。(p37)
 あなたは,自分の机を通して,いろいろなことを周囲の人々に伝えることができます。逆に言えば,周囲の人々は,あなたの机を通して,あなたが想像している以上のものを読み取っています。(p48)
 自分の机まわりが乱れていたら,それは単に「片づけていない」とか「散らかっている」という問題だけではないのだと考えましょう。それは,その机に向かっている人の,心の乱れ,モチベーションの乱れなのかもしれません。日々の仕事に忙殺され,どうしたらいいのかわからないという,潜在意識からの重要なメッセージかもしれません。(p87)
 私たち人間は退屈に耐えられない生き物です。ワクワクすることや何か楽しいことに直面したとき,もともと持っている創造性が呼び覚まされるのです。(p90)
 私たちの遠い祖先が,創意工夫してさまざまな道具を発明していったのは,日々,命を脅かす危険と戦わなければならなかったから。(中略)「仕事も同じ」です。野性が必要とされない,安定しすぎた状態では,発展的なアイデアは浮かばない(p97)
 古くから哲学者の多くが「歩きながら考える」という手法をとっているのも,座りっぱなしではいいひらめきが得られないということを体験的に知っていたからでしょう。(p99)
 以前,コクヨが大学と共同研究したとき,ずっと同じ光の下にいるよりも,光の種類が変化するほうが効率性(スピードと正確さ)が向上することがわかりました。(中略)その色なら仕事の効率や創造性が高まる,という差はなく,浴びる光の種類を「変える」ことには意味があったのです。(p106)
 私たち人間の仕事には,適度なノイズが必要なのです。(中略)企画を練り上げるような創造的な仕事は,会社の自席でパソコンに向かう,という限定された環境では難しいのです。パソコンのモニターに見入っていると,その画面の中だけで解決しようとしてしまう。(p143)
 アイデア出しをするときは,ストップウォッチやアラームを使って,短く時間を区切って行うと効果的です。慣れないとつらいかもしれませんが,スピードとリズムが必要なのです。(中略)発散段階でたくさんのものを出せなければ,贅沢な「編集」もできません。時間に制約をつけて自分を追い詰め,本数を出していきましょう。(p146)
 書くことが決まっていれば,限られたフレームの中に収めることは容易なのですが,発散や練り上げのときは自由に描けるスペースが必要です。(p149)
 時間は規制をかけたほうがいいけれど,空間に関してはできるだけ自由に使える環境をつくる。これは,ひらめきを生む「整え方」の中でも重要なポイントです。(p150)
 何かを根本的に改善したり,方向転換をしたいときは,まず課題発見・探求が重要です。このとき,よい「問い」さえ見つかれば,「答え」は出たも同然とも言えるでしょう。これは,新しい商品やサービスをつくりだすときも同じです。(p163)
 アイデアを発散し,収束するには,他人の頭をうまく使うのです。(中略)他人を通して自分たちが陥っている狭い考え方に気づき,新しい切り口を見つけ出すことで,個人の生産性はまったく変わってきます。(p165)
 ブレストなどグループワークでありがちな失敗が,「このメンバーでなにかいいものを『1つ』まとめようじゃないか」と合意形成を図ることです。(中略)そうではなくて,あくまで1人ひとりが他の4人の頭を上手に利用して,自分のアイデアを醸成することができたら,もしかして面白いものが5つ生まれるかもしれません。(p166)
 ひらめきを逃さないために気を付けたいことは,「思いついたことをその場で書く」という習慣と,そのためのツールを持ち歩くことです。「アイデアの“急襲”に備えて」準備をしておくのです。(p169)
 この場合のツールには何が適しているか。ぼくはダイスキンを持ち歩いているんだけど,ダイスキンでは,たぶん,とっさのときに遅れを取るだろう。ロディアのようなメモブロックとノック式のボールペンを持っておくのがいいと思う。
 そのようにしたこともあったんだけど,結局,あまり役に立たなかった。ツールが悪いのではなくて,こちらが“ひらめき”を必要とするような生活をしていないからだ。
 ノンベンダラリとやっていてもすんでしまう人には,“ひらめき”など来るわけもないから,それに備える必要もないということ。
 オフィスがなぜ単調で無機質に見えてしまうのか。大勢の人たちが働いているのに,なぜ活気がないのか。それは,圧倒的に「直線」に支配されているからです。(p189)
 プロジェクトの遅延や,小さなトラブルの原因は,「コミュニケーション不足」が50%以上を占めます。(中略)とはいっても,コミュニケーションを密にしようと思っても,仕事環境がそういう雰囲気でなければ,なかなかうまくいかないものです。(p209)
 せめて,「同じ姿勢で仕事をし続ける」ということがないようにしましょう。それは,「アイデアが出ない姿勢」です。(p211)
 今はモノからコトの時代,といわれていますが,私たちの実体がなくなるわけではありません。頭の中=コンピューター上で考えるよりも,身体をつかって,モノを触りながら,何か新しいモノをつくりだしたいという欲求は変わりません。(p213)

2017年6月25日日曜日

2017.06.25 外山滋比古 『ワイド版 思考の整理学』

書名 ワイド版 思考の整理学
著者 外山滋比古
発行所 筑摩書房
発行年月日 2017.01.25:元版 1983
価格(税別) 1,000円

● 有名なロングセラー。探せば文庫もあるんだけど,こちらで読んだ。理由は文庫を探すのが面倒だから。

● その文庫を買ったのは,もう30年近く前のこと(もっと前かもしれない)。結局,読まないままできてしまった。そういう本(積ん読っていうんでしょうか)がぼくの書庫の8割を占めている。
 そのほとんどは,ぼくが死ぬまで読まれることはないだろう。

● 以下に多すぎる転載。
 勉強したい,と思う。すると,まず,学校へ行くことを考える。学校の生徒のことではない。いい年をした大人が,である。(p10)
 今はこの傾向はずっと顕著になっている。社会人大学,社会人大学院が猖獗を極めている。まぁ,ひと頃の熱狂は過ぎたのかもしれないけれど。
 勉強好きと大学側の経営的視点が合致しての結果だろうけど,たぶん,大学院に行けばどうにかなるというのは幻想だよね。
 かつてのMBAブームも同じだったのではないか。大金を使ってアメリカの経営大学院でMBAを取った人たちには申しわけないけれども,元は取れたかい? と聞いてみたい。流行に乗せられただけだったのではないか。その流行の仕掛人って,それで儲かる人で,それにウマウマと乗ってしまった人たちは,しょせんは鴨にされるタイプ。
 学校の生徒は,先生と教科書にひっぱられて勉強する。自学自習ということばこそあるけれども,独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ。自力では飛び上がることはできない。(p11)
 一般に,学校教育を受けた期間が長ければ長いほど,自力飛翔の能力は低下する。グライダーでうまく飛べるのに,危ない飛行機になりたくないのは当り前であろう。(p12)
 寝て疲れをとったあと,腹になにも入っていない,朝のうちが最高の時間であることは容易に理解される。いかにして,朝飯前の時間を長くするか。(p27)
 文学研究ならば,まず,作品を読む。評論や批評から入って行くと,他人の先入主にとらわれてものを見るようになる。(p31)
 外国に,“見つめるナベは煮えない”ということわざがある。早く煮えないか,早く煮えないか,とたえずナベのフタをとっていては,いつまでたっても煮えない。あまり注意しすぎては,かえって,結果がよろしくない。しばらくは放っておく時間が必要だということを教えたものである。(p38)
 同じ問題について,AからDまでの説があるとする。自分が新しくX説を得たとして,これだけを尊しとして,他をすべてなで切りにしてしまっては,蛮勇に堕しやすい。(p46)
 ことばでも,流れと動きを感じるのは,ある速度で読んでいるときに限る。難解な文章,あるいは,辞書首っぴきの外国語などでは,部分がバラバラになって,意味がとりにくい。残像が消滅してしまい,切れ目が埋められないからである。そういうわかりにくところを,思い切って速く読んでみると,かえって,案外,よくわかったりする。(p63)
 何かを調べようと思っている人は,どうも欲張りになるようだ。大は小を兼ねるとばかり,なんでも自分のものにしようとする傾向がある。これでは集まった知識の利用価値を減じてしまう。対象範囲をはっきりさせて,やたらなものに目をくれないことである。これがはじめのうちなかなか実行できにくい。(p86)
 ものを考える頭を育てようとするならば,忘れることも勉強のうちだ。忘れるには,異質なことを接近してするのが有効である。学校の時間割はそれをやっている。(p119)
 二十年,三十年とひとつのことに打ち込んでいる人が,そのわりには目ざましい成果をあげないことがあるのは,収穫逓減を示している証拠である。(中略)知識ははじめのうちこそ,多々益々弁ず,であるけれども,飽和状態に達したら,逆の原理,削り落し,精選の原理を発動させなくてはならない。(中略)はじめはプラスに作用した原理が,ある点から逆効果になる。そういうことがいろいろなところでおこるが,これに気付かぬ人は,それだけで失敗する。(p129)
 頭の中で,あれこれ考えていても,いっこうに筋道が立たない。混沌としたままである。ことによく調べて,材料がありあまるほどあるというときほど,混乱がいちじるしい。いくらなんでもこのままで書き始めるわけには行かないから,もうすこし構想をしっかりしてというのが論文を書こうとする多くの人に共通の気持である。それがまずい。 気軽に書いてみればいい。あまり大論文を書こうと気負わないことである。(p135)
 書き進めば進むほど,頭がすっきりしてくる。先が見えてくる。もっとおもしろいのは,あらかじめ考えてもいなかったことが,書いているうちにふと頭に浮かんでくることである。そういうことが何度も起れば,それは自分にとってできのよい論文になると見当をつけてもよかろう。(p137)
 これはよく言われること。って,最初に言ったのは外山さんかもしれないけれど。書くという行為自体が,頭を刺激することがたしかにある。
 書き出したら,あまり,立ち止まらないで,どんどん先を急ぐ。こまかい表現上のことなどでいちいちこだわり,書き損じを出したりしていると,勢いが失われてしまう。(p137)
 森博嗣さんも同じことを言っていたな。小説家になりたければ,まず書いてみること。一作を仕上げることだ,と。
 考えごとをしていて,おもしろい方向へ向かい出したと思っていると,電話のベルがなる。その瞬間に,思考の糸がぷっつりと切れて,もう手がかりもなくなってしまうという経験もする。(中略)それくらい姿をかくしやすいのが考えごとである。(p147)
 お互いに自分の過去をふりかえって,とにかくここまでやってこられたのはだれのおかげかと考えてみると,たいていは,ほめてくれた人が頭に浮かぶのである。ある老俳人は,ほめられたからこそ,ここまで進歩したとしみじみ述懐している。ほめてくれた批評によって伸びた。けなされたことからはほどんど裨益されなかったというのである。(p148)
 調子に乗ってしゃべっていると,自分でもびっくりするようなことが口をついて出てくる。やはり声は考える力をもっている。われわれは頭だけで考えるのではなく,しゃべって,しゃべりながら,声にも考えさせるようにしなくてはならない。(p159)
 同じ専門の人間同士では話が批判的になっておもしろくない。めいめい違ったことをしているものが思ったことを何でも話し合うのがいい(p163)
 生物学的にインブリーディングがよろしくないとすれば,知的な分野でもよかろうはずがない。企業などが,同族で占められていると,弱体化しやすい。(中略)それなのに,近代の専門分化,知的分業は,似たもの同士を同じところに集めた。(p167)
 ブレイン・ストーミングはこうして,いろいろな考えを引き出すのだが,はじめのうちに出てくるものは,多く常識的で,さほどおもしろいものではない。もうあらかた出つくしたというところで,さらに頭をしぼっていて生まれるのが,本当に新しい,これまでは夢にも考えられなかったようなアイデアである。 よく,考える,という。すこし考えて,うまくいかないと,あきらめてしまう。これでは本当にいい考えは浮かんでこない。(p169)
 夜,床に入ってから眠りにつくまでよりも,朝,目をさまして起き上がるまでの時間の方がより効果的らしい。(p173)
 本に書いていない知識というものがある。ただ,すこし教育を受けた人間は,そのことを忘れて何でも本に書いてあると思いがちだ。(p178)
 よくしゃべる人の方が老化しにくいと,老人ホームの職員たちはいう。しゃべるには頭を使うからであろうか。それについて思い出されるのは,スウェーデンだったかの老人ホームの試みである。老人たちに,趣味のグループをつくらせた。その中に外国語学習グループを設けた。はじめは人気がなかったのに,やがて,もっとも人気のあるグループになった。メンバーがみんな元気で,なかなか死なないからであった。(p182)
 社会人も,ものを考えようとすると,たちまち,行動の世界から逃避して本の中へもぐり込む。読書をしないと,ものを考えるのが困難なのは事実だが,忙しい仕事をしている人間が,読書三昧になれる学生などのまねをしてみても本当の思索は生まれにくい。(p195)
 考えるのは面倒なことと思っている人が多いが,見方によってはこれほど,ぜいたくな楽しみはないのかもしれない。何かのために考える実利実用の思考のほかに,ただ考えることがおもしろくて考える純粋思考のあることを発見してよい時期になっているのではあるまいか。(p217)

2017年6月24日土曜日

2017.06.24 帯津良一 『ピンピン,コロリ。』

書名 ピンピン,コロリ。
著者 帯津良一
発行所 青志社
発行年月日 2010.02.24
価格(税別) 1,300円

● 副題は「気持ちよく生き 愉しい死に方を するために」。ぼくも「死に方」が気になるお年頃。

● いわゆるアンチエイジングに対する警鐘(ほとんど非難)など,説得力のある内容。死ぬにもタイミングがあって,そのタイミングを逃すな,という言い方にも共感を覚えた。長く生きればいいというものではない,と。

● 以下に,いくつか転載。
 覚悟のできた人たちの言葉は,いつも祈りに満ちていて,周囲の万物を動かす力があります。(p5)
 私の追い求めているホリスティック医学では,人は誰でも生きているかぎり,日々「いのち」のエネルギーを高め続けていると考えます。(中略)なんのために「いのち」のエネルギーを高め続けるかというと,(中略)死後の世界へうまく飛び込んでいくためです。(p18)
 途中までどんなに感動的な映画でも,ラストがよくないとすべて台無しになってしまいます。人生も同じだと思うのです。長寿にしがみついて,死に方を間違えると人生がすべて台無しになってしまいます。(p22)
 なぜ亡くなるときに患者さんの顔が“いい顔”になるのかとても不思議でした。やがて何度も経験するうちに,これはふるさとへ帰る顔だと,ふと思いました。患者さんたちのおだやかな表情を見て,文部省唱歌の『故郷』という歌の三番の歌詞が頭に浮かんだのです。 志を果たして いつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷 今,患者さんはこの世での務めを果たしてほっとして,これからふるさとへ帰っていくに違いない。だから,誰もがおだやかでやすらぎに満ちた顔で旅立っていくのだろう,と思ったのです。(p26)
 本当の美しさは,意外と年相応の自然さの中にあると思うのです。(p34)
 自分たちの“老い”を恥じ,アンチエイジングと称して必死で若さにしがみつこうとしたり,若者文化にすり寄ったりしている姿は,決して美しいものではありません。とうてい尊敬の対象にはならないでしょう。(p41)
 自然の流れに逆らうとろくなことはありません。あるがままに身をまかせて,その中で少し配慮するくらいがちょうどいいのです。(p44)
 「いのち」のエネルギーは,日常生活の中でも高めることができます。決して難しいことではなく,こころときめく生活を心がければいいのです。(中略) ときめく対象はなんでもいいのです。私の場合でいいますと,大好きなカツ丼を食べると,そのたびに大いにときめきます。(中略)ときめかない食品を渋々食べるよりは,たとえからだには好ましくなくても,大いにときめきながらカツ丼を食べたほうがはるかにいいと,私は思うのです。(p63)
 長野県の伊那谷に居を構えている翻訳家で詩人の加島祥造さんは,御年八六歳。伊那谷の老子と呼ばれている人ですが,数年前に「加島さんはどんなときにときめきますか」と尋ねたとき,「そりゃ,女だよ」と,さらりとおっしゃっていました。その迷いのない即答は「あっぱれ」という感じでした。(p66)
 がん治療の現場で経験を重ねるうちに,人間はもともと明るく前向きにできていないことに気づきました。病気の最中に,明るさや前向きさを無理に求めると,患者さんにとって大きなストレスになります。(p67)
 生きることの本質は哀しみであり,表面的な明るさ,前向きさはもろく崩れやすいものなのです。反対に,哀しみの大地は盤石です。これ以上崩れ落ちることはないからです。(p68)
 好きなものをおなかいっぱい食べるのはよくないが,好きなものを少し食べていると養生になる,というわけです。これは真理だと思います。(p110)
 無関心がもっともよくありません。若い人でよく,食べること自体がめんどうくさくて,とりあえず“あるもの”を食べるという人がいます。こうした食生活を続けていると,必ずあとでツケが回ってきます。(p113)
 人間はもともと,自分のからだに必要なものはわかっていて,食べすぎないかぎりは結構うまく食べているものなのです。(p122)
 医者がスピリチュアルになれないいちばんの理由は,エリート意識です。(中略)それがすべての元凶だと私は思っています。(p170)
 ホリスティック医学のいちばんの肝は治療法ではなく,その治療法がどういう「場」で行われるか,その「場」づくりが大切なのですね。(p178)
 西洋医学しかやらない病院では,患者さんが代替療法を行うのを嫌がる医者が結構います。これはとてももったいないことです。患者さんの「やってみたい」「試してみたい」という気持ちは,がんを治すうえで欠かせないものだからです。(p224)
 医学はサイエンスでいいとしても,医療は生身の人間が営む「場」の働きです。医療者が科学ばかり重視して「こころ」の問題をないがしろにしていると,いい医療にはなりません。(p227)
 毎朝五時前に病院に入って,夕方六時まで目のまわるような忙しい日々ですが,それでも,診察や回診で患者さんとお話ししていると,私が患者さんに癒されている部分も多いのです。(p239)

2017年6月22日木曜日

2017.06.22 千田琢哉 『お金の9割は意欲とセンスだ』

書名 お金の9割は意欲とセンスだ
著者 千田琢哉
発行所 アイバス出版
発行年月日 2014.09.03
価格(税別) 1,200円

● 次のようなことが書かれている。
 これまで私は1万人以上のビジネスパーソンと対話してきた。その中で気づかされた衝撃的な事実を公開したい。 高所得者は,苦労から逃げていた。低所得者は,苦労に逃げていた。 シンプルだけど,それだけの違いだった。(p2)
 学校では苦労して磨き上げたことが才能だと思い込まされてきた。ところが,本当は,たいして苦労を感じなかったのに自然にできるようになったことが才能なのだ。苦労を感じていないから,自分で自分の才能には気づきにくい。(p16)
 人はどうでもいい相手と魅力的な仕事をするよりは,大好きな相手とまあまあの仕事をしたいのだ。(p86)
 口論に簡単に勝てるコツがある。それは口論が始まったら,どうやって負けてあげようかを考えることだ。これだけであなたは圧倒的に有利になる。口論における究極の勝利とは,口論にならずに終止符を打つことだ。(p91)
 弱者であることを認めている弱者を,強者は決してバカにしない。否,分をわきまえた弱者を,強者は心から応援したくなる。反対に弱者であることから目を背けた弱者を,強者は毛嫌いする。(p94)
 社会人になって,功成り名を遂げた人たちと仕事をさせてもらって驚いたことがある。成功者たちは揃いも揃って飽き性だったということだ。だが矛盾することに,彼ら彼女らの継続力は半端ではなかった。 これはどういうことか。成功者たちは忍耐強く無理に物事を続けていたのではなく,自分が自然に続くことだけをやっていたのだ。(p113)
 人というのは年収が上がると人間性も上がるよ。サラリーマンでも年収800万超えておかしなこと言う人は滅多にいないから。おかしなこと言うのは年収の低い人ばっかりだな。テレビでやっている犯罪は,例外中の例外をかき集めているからね。そうしないと視聴率取れないから(p174)

2017年6月21日水曜日

2017.06.21 こやまけいこ 『くるくる自転車ライフ』

書名 くるくる自転車ライフ
著者 こやまけいこ
発行所 イースト・プレス
発行年月日 2012.08.22
価格(税別) 1,048円

● 著者夫婦の自転車生活を漫画で。コミックエッセイというんですか。

● ともに,BD-1が1台目の自転車。折りたたみ式の小径車。この自転車で世界一周中の猛者もいたんじゃなかったかな。
 有名な製品だけれども,ぼくには高嶺の花。

● 夫の方はそれに飽き足らず,すぐにロードバイクを買う。妻はずっとBD-1で通している。ハードに関しては夫の方が突っ込みがきつく,妻(著者)は監視役という役回り。

● しかし,夫婦で輪行するとか,まぁ楽しそうにやっている。そういうところだけを素材にしているのかもしれないけどね。
 うちでは相方はまったく自転車に興味なし。っていうか,亭主がやっていることには興味がないらしい。
 じつはその方がありがたい。自転車でどこかに出かけようというとき,私も一緒に行くと言われては叶わないもの。ぼくは単独行でなければダメ。

● とはいえ,今年になってからはほとんど自転車に乗らなくなっている。特に4月以降はまったく乗っていない。

2017.06.21 ドロンジョーヌ恩田 『嗚呼 愛しき自転車乗り』

書名 嗚呼 愛しき自転車乗り
著者 ドロンジョーヌ恩田
発行所 枻出版社
発行年月日 2009.08.10
価格(税別) 1,500円

● 自転車と自転車乗り,それらを載せる場。それを素材にしたエッセイ。ユーモアエッセイという範疇に入るんだろうか。視点もユニークだし,文章も旨い。
 ちなみに,イラストも著者が書いている。

● けれども,最近,自転車雑誌でも見かけることは少なくなったような気がするんだが。どうしたんだろ。ネタ枯れ? それはなさそうなんだが。新しい女性書き手が登場しているんだろうか。
 あるいは,ぼくが知らないだけで,現在も活躍中なのかな。それとも,自転車ブームが一服している状況なんだろうか。

2017年6月18日日曜日

2017.06.18 牧 壮 『iPadで65歳からの毎日を10倍愉しくする私の方法』

書名 iPadで65歳からの毎日を10倍愉しくする私の方法
著者 牧 壮
発行所 明日香出版社
発行年月日 2014.11.23
価格(税別) 1,500円

● まず,2つほど転載。
 フルタイムジョブからリタイアした直後は,新しい自由時間とたくさんの友人もいて愉しい毎日を過ごすことができます。体力・気力とも充実しており,経済的にもゆとりがあるため,永年やりたくてもできなかったことをやれる感動に浸れます。しかし,これも歳とともに大きく変化していきます。(p72)
 103歳の日野原重明先生はフェイスブックの効用を「シニアにとってのコミュニケーション革命」「脳を活性化する新しい刺激」「日々の張り合いが人生の時間を伸ばす」と仰っており,自らフェイスブックを始められたのです。(p91)
● 内容は,iPadがどうこうというより,Facebookの勧め。EverNoteの使い方も解説されている。
 ただし,どちらも高齢者向けにわかりやすくという配慮は感じない。パソコン雑誌にあるようなごく普通の解説だ。
 難しいのかもしれないけどね。正確さとわかりやすさはなかなか両立しないから。

● 申しわけないけれども,ここに書かれていることは絵空事ではないかと思う。
 今までFacebookやEverNoteと無縁ですんでいたのなら,無理に始めることもあるまい。特に,Facebookはすでに旬を過ぎているかもしれない。

● この年代の人たちがFacebookについて抱いている漠然としたイメージには,2つの誤解があると思う。
 ひとつは,Facebookをやっているなんてすごい,時代の先端を走っている,自分にはとても無理だ,というもの。
 違う。こういうものははしりの時期には,若者の世界になる。まず,飛びつくのは彼らだ。中高年は様子見を決めこむ。
 が,今や,そういう時期はとっくに過ぎて,若者はFacebookから去っている。メインユーザーは中高年だ。メジャーになっている人たちが先端のはずがない。
 それに,実際にやってみればわかることだけれども,Facebookを始めるのに,難しいことは何もない。そうでなければ,中高年がメインユーザーになるわけがないのだ。

● Facebookをやらないと情報社会に取り残されるのではないか,という不安。
 ぜんぜん当たっていない。Facebookでやりとりされていることの大半(95%以上)は,およそどうでもいいことなのだ。
 晩飯に○○を食べた。今,誰それさんとスタバでお茶している。話題になっている○○というレストランに来てみた,評判どおりでとても美味しかった,感動。という具合だ。
 言葉を選ばすに言ってしまえば,バカ丸出しの投稿ばかりだ。もちろん,自分もそうなのだが。

● では,Facebookなんてやっても仕方がないか。さよう,然り。やっても仕方がないと思う。
 ただし,リアルのコミュニケーションもまた,どうでもいいことのやりとりでできている。どうでもよくないことをやりとりしなければならない局面は,多少なりとも緊張を強いられるものとなる。場合によっては胃が痛くなることもあるだろう。
 どうでもいいことのやりとりだから,コミュニケーションはコミュニケーションたり得ているのだ。

● 歳を取るということは,自分より年下の人たちが増えるということだ。若い人は年寄りと話などしたがらない。自分が若かった頃を思いだしてみればいい。
 若い人にしてみれば,年寄りと話してて楽しいことなどひとつもない。最初から対等の立場に立てることがない。対立すれば内容にかかわらず年寄りの意見が通ってしまう。
 年寄りの話は説教じみている。自慢話が多い。自分は正しいと信じて疑わない。どうにもタチが悪い。
 しかも,年寄りは言うだけですむが,若い人たちは現場で走り回らなければならない。汗を流すのは若い人たちだ。

● ゆえに,若い人たちと話をしたいのであれば,以上の諸点について,年寄りは自分の構えを変えなければいけない。が,それができる年寄りはまずもっていないだろう。
 ということは,歳を取るにつれて,どうでもいいことがらをやりとりする機会が減ることになる。そのことによって,フラストレーションを溜めることがあるかもしれない。

● それを解消する手段としてFacebookを使うのはありだと思う。もの言わぬは腹ふくるるわざ。ふくれた腹を元に戻すのにFacebookを利用する。これは賢いやり方であろうと思う。
 逆にいえば,腹がふくれていないのであれば,わざわざFacebookを始める理由に乏しい。

2017年6月17日土曜日

2017.06.17 舘神龍彦 『手帳の選び方・使い方』

書名 手帳の選び方・使い方
著者 舘神龍彦
発行所 枻出版社
発行年月日 2016.12.30
価格(税別) 1,500円

● タイトルのとおりの内容。手帳=ビジネス用,というのは思いこみだと思う。けれども,手帳術の本のほとんどは,その図式で内容を作っている。スケジュールの組み方(移動時間も入れろとか),メモのとり方,手帳を使ってのアイディアの出し方,付箋との併用。
 ぼくはすでに一線を退いているので,そういうのはもう半ばどうでもいい。いや,退く前もどうでもいいと思っていたかな。

● でも,この種の本が出ると,つい手に取ってしまう。おそらく,手帳をビジネスの道具というより,文具のひとつと捉えているんだと思う。あるいは,大人への梯子になるものだと考えていたのが尾を引いていたか。
 初めての手帳を買って使いだしたときのことは,正直,記憶にない。大学生のときは小さいスケジュール帳を持ち歩いていたと思うけど,それが初めてだったか。

● ともあれ。手に取って読んでみましたよ,と。が,参考になりそうなものがないかと思って読むということはなくなっている。
 と言いながら,以下にいくつか転載。
 手帳は“自己開発ブームと文具ブームに挟まれた肥沃な三角州”なのです。(p20)
 不確定な予定であっても,いったん記入することで,その予定をどこに入れるかを意識し,決められるようになります。(p68)
 ふせんを使うことでこなせるタスクは増えたように思います。予定を入れるのは前後の事情からすぐには決められないこともありますが,不確定な事柄としてふせんに書くのは,心理的な負担も少なくなったから,こなせることが増えたのではないかと思っています。(p84)

2017.06.17 伊藤まさこ 『京都てくてくちょっと大人のはんなり散歩』

書名 京都てくてくちょっと大人のはんなり散歩
著者 伊藤まさこ
発行所 文藝春秋
発行年月日 2013.11.15
価格(税別) 1,300円

● 『京都てくてくはんなり散歩』(文藝春秋 2008.10)の続編。つまりはガイドブックといっていいんだと思うんだけど,そこに伊藤さんの味付けがしてある。
 誰もが行くとか人気があるとか,そういう普通のガイドブックではないわけだ。

● Tipsをいくつか転載。
 きなこ,こし,つぶ,色の薄いものから,どうぞ(今西軒の今西正蔵さん p25)
 手をかけ皮をこすから「こしあん」(p27)
 庖丁は使う人が研ぐもん。心得て手入れすると道具は活きてくる(有次の寺久保進一朗さん p63)
 おいしいコーヒーってなんだろう。(中略)よくコツを聞かれるんですけどね,もちろん言い出せばキリないけど,「たっぷりの粉でちょっぴりのコーヒーを淹れること」って答えるようにしてるんです(p74)
 面倒な時は,コーヒーとお湯を入れたマグカップをガーッと混ぜて3分おいといて,あとでフィルターで漉したら味がととのいますよ。(p75)
 山にあるものは無理矢理育てられたわけではない。だから嘘がないんです(美山荘の中東久人さん p133)

2017年6月15日木曜日

2017.06.15 野口悠紀雄 『知の進化論 百科全書・グーグル・人口知能』

書名 知の進化論 百科全書・グーグル・人口知能
著者 野口悠紀雄
発行所 朝日新書
発行年月日 2016.11.30
価格(税別) 780円

● グーテンベルクが活版印刷を確立したことは,中学か高校の歴史で習った。しかし,それが社会を揺らすほどの画期的なものだったことを知ったのは,もっとずっと後だった。
 グーテンベルク以前,知識は少数者の独占物であり,支配の資源になっていた。そういうことを本書であらためて認識した。

● 今は,書店にも図書館にも書籍が溢れていて,誰でも安価または無料で読むことができる。読み書きは義務教育で教えてくれる。
 ありがたいことです。それがなかったら,ぼくのような者は間違いなく社会の落ちこぼれになっていたはずだもの。

● 本書では百科全書の革新性,Googleの検索エンジンの画期性も説かれる。百科全書が採用したアルファベット順。もし,Googleの検索エンジンがなかったら,インターネットは行き詰まっていたかもしれない。

● 以下にいくつか転載。
 大学もまた,1つのギルドであると見なすことができます。(p27)
 16世紀の宗教改革に続いて,17世紀のピューリタン革命,18世紀末のフランス革命などが起こりました。これらは,活版印刷が生み出す活字媒体なしには起こりえなかったことです。(p36)
 知識の拡散について,印刷術の発明や俗語で書くことは重要な変化だったが,百科事典というのはそれほど大きなことではないように思われるかもしれません。しかし重要なイノベーションがあったのです。それは事項をアルファベット順に並べることです。(中略)各項目の配列を,編集者の価値観に秩序づけられる概念の関係によるのではなく,機械的で一律なアルファベット順に並べたことです(p56)
 「学問は,基礎から順に学ばなければならない」 いまでも学者や専門家の間には,こうした考えが強く残っています。例えば大学ゼミにおける研究発表で,「何を参考資料に使ったか?」と教授に問われたとしましょう。そのとき「経済学事典で調べました」と(正直に)白状する学生がいます。この答を聞いて黙っている教授はいません。(中略)教授がこのように反応する理由は,既得権益を侵されるからです。百科事典を用いれば,素人が簡単に専門知識を入手できます。そのため,専門家の役割が低下し,専門家は専門家としての優位性を主張できなくなってしまうのです。(p68)
 知識が必要だと考える第1の理由は,新しいアイディアを発想するためには,知識が不可欠だからです。既存の知識と問題意識のぶつかり合いでアイディアが生まれるのです。(中略)その場合,知識が内部メモリ,つまり自分の頭の中に引き出せていない限り,それを発想に有効に使うことはできません。(p104)
 知識が必要だと私が考える第2の理由は,質問をする能力を知識が高めるからです。何かを知りたいと思うのは,知識があるからです。知識が乏しい人は,疑問を抱くこともなく,したがって,探求をすることもなく,昔からの状態に留まるでしょう。(p104)
 あるIT関連事業者は,「グーグルは全能で,インターネットのすべてを支配している。それが,IT企業の繁栄や破滅を決めてしまう」と言っていますが,そのとおりです。「検索ランキングの下位では生き延びられない」のが事実なのです。(p129)
 検索機能の重要性は,情報に対する態度が受動的か能動的かで,大きく異なります。日本では,「プッシュ」された情報を受けるだけの人が多くいます。それは,テレビの視聴時間が長いことに現れています。(p136)
 情報技術の進歩によって情報や知識の価値が低下していますが,それは複製が容易にできるからです。これに対して,リアルな公演そのものは,複製することができません。したがって,インターネット時代になってから,その相対的価値が著しく上昇したということができます。(p160)
 豊かになるにつれて,「それまでは資本財であったものが消費財になる」ということがしばしば起こります。何かのための手段ではなく,それ自体が目的になることが多くなるのです。同じことが,知識についても言えます。というより,知識は,最も価値が高い消費財になりうると思います。(p241)
 知識が増えれば増えるほど,体験の意味と価値は増します。それによって,生活は豊かなものになるのです。(p242)
 シュテファン・ツヴァイクは,『マゼラン』の中で,次のように言っています。 「歴史上,実用性が或る業績の倫理的価値を決定するようなことは決してない。人類の自分自身に関する知識をふやし,その創造的意識を高揚する者のみが,人類を永続的に富ませる」(p244)

2017年6月13日火曜日

2017.06.13 茂木健一郎 『ヤセないのは脳のせい』

書名 ヤセないのは脳のせい
著者 茂木健一郎
発行所 新潮新書
発行年月日 2017.04.20
価格(税別) 780円

● ダイエットしろとか,ダイエットなんかしなくていいとか,ダイエットの是非が論じられているわけではない。
 この本で茂木さんが何を言いたかったのかは判然としない。巷間はびこっているダイエット法に悪態をつきたかったのか。脳は保守的だからダイエットは難しいんだよ,ってことか。

● ただ,部分々々が面白くて,ほぼ一気通貫で読了した。

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 この頃,精神的にもちょっとやさぐれていた時期でもあります。人間関係や日本社会をめぐるいろいろな状況に絶望的な気分になっていて・・・・・・。人や社会は絶望的でも「おいしい」は俺を裏切らない---そんなことを考えていたのです。(p33)
 いかにメンタルのコンディションがダイエットの成功を左右するか(p33)
 体重変化で大切なのは,そのような「ゆらぎ」を超えた長期傾向です。ところが,その変化がゆっくりなので,なかなかその意味に気づきにくいというわけです。人間の脳は,ゆっくりとした変化を認識するのが苦手です。(p35)
 マシン・トレーニングは、その動き自体が,ためにするトレーニングというか不自然に思えてしまう。(p44)
 ぼくも同意。正しいか間違っているかの話ではなくて,共感を覚える。体を動かすことを目的にしている時点で,そもそもおかしい。体を動かすのは何か目的があって,そのための手段であるはず。
 散歩だって,散歩のための散歩ならおかしい。気持ちがいいから,というならわかる。ジムに通うのも,楽しいからというなら,それはわかる。
 勉強のための勉強,運動のための運動。いずれもあって悪いとは思わないんだけど,形として美しくないというか。
 生きる指針があり,それを遂行した結果,必然的に身体も鍛えられるというのが理想です。(p81)
 二十歳くらいの女性と話していた時,彼女が「夜にお腹を空かせたまま寝るのが快感だ」と言っていたのが印象的でした。ダイエット落伍者は,酒を飲んでさらにラーメンを食べてお腹いっぱいになって寝る。むしろ,それが快感。しかし,これは年を取って前頭葉の抑制作用が緩んで,どんどん我慢ができなくなってきている証拠かもしれません。(p62)
 猫も杓子もダイエットに勤しみ,アンチエイジングをはかろうという社会は,若さを無条件に称揚して,老化を全力で否定しているようにも見えるのです。(中略)若さのモノカルチャーが支配する社会は,全体として幼いと言えるのかもしれません(p69)
 ダイエットして若さを取り戻したいと言いつつ,その方法論があまりにも小賢しくてちまちましている。それ自体が若さとはほど遠い。そもそも子供や若者は好きなだけ食べるものですから。(p70)
 ある種のダイエットというのは,結局,今生きている自分という存在自体を手段として扱ってしまっている。一年後にヤセている自分を実現するために,糖質制限をして炭水化物を食べないというのは,(中略)「未来のあるべき自分」という目的のために,「今ここにいる自分」を道具にしてしまっているわけです。(p71)
 小学生の頃から私は,勉強法は自分で見つけなければ意味がないと思っていました。それはダイエットでも同じことです。(p76)
 一生をかけて挑むような目標を決め,それに向かって精進するためには,自分で自分をスパルタ教育する必要があると思っています。他人に与えられた課題を解いていくだけでは,東大ぐらいは入れるかもしれませんが,それ以上のことができるかどうか。(中略)大事なのは,「大学までの人」になるのか,「大学からの人」になるのかということです。(p85)
 楽して英語が上達する方法なんてありません。CDだけを聴き流して英語が身につくはずがないのです。これは勉強でもスポーツでも同じことです。(p99)
 人生って,本来は臨機応変なものだと思うのです。何かひとつの方法だけを正しいと思い込んで,他を排除して攻撃する--というのは,どのジャンルにも言えることですが,不毛なことだと思います。(p103)
 他人や社会に「認めてもらいたい」という承認欲求が強いということは,裏を返せば,現時点での自己評価が低いということなのです。(中略)そのように生きることは,いわば自分という存在の価値を他人の評価に委ねる,「永遠の悪循環」に陥ることを意味します。(p112)
 体重を毎日計測するといういわば数字に裏付けられた「メタ認知」があったからこそ,このような取り組みも可能になったわけです。ヤセたような気がする,太ったような感じがする,といった「印象批評」では,強化学習の基礎となるデータが得られません。やはり,厳しいようでも自分の客観的な数値を把握することが大切なのです。(p125)
 マインドというのは身体と密接につながっていて,それは行動や習慣を通して変化していくものです。つまり,何か行動する前にマインドだけが変わるということはなかなかあり得ません。(p141)
 「行動するためのやる気を起こすにはどうしたらいいか?」ということを,みなさん知りたいのだと思います。それに対する私の答えをズバリ申し上げましょう。やる気は必要ない。以上です。(中略)「やる気というのは,それがあるから行動できるものではなくて,むしろ行動しないことの言い訳として使われがちです。(中略)一時の「熱意」や「やる気」ではなく,「習慣」こそが必要なのです。やる気はある意味で「贅沢品」なのです。(p147)
 仕事でもエクササイズでも,必要なことは自分と「やるべき事」の間に壁をつくらないことです。「やる気」は,自分が「やるべき事」をするために背中を押してくれるというよりは,むしろ自分と「やるべき事」の間に壁を作ってしまうのです。(p151)
 人間の脳というのはふしぎなもので,何か行動を起こしたとの理由というのは,すべて後付けだということが,これまでも研究でもわかっています。一見,合理的に思える理由でも,それは行動した後に付与されたものなのです。(p165)
 いくら「自分を変えよう,変えたい」と心に決めたとしても,本当に変わるのは難しいものです。脳というのは基本的に保守的な傾向があり,ホメオスタシスを重視するのが基本でもあります。(p166)
 創造性を発揮するためには,思い切って新しいことにチャレンジしなくてはいけません。(中略)そのために邪魔になるものがあります。その最たるものが間違ったプライドです。(p167)
 創造は変化からしか生まれません。(p169)
 文脈を過剰に意識したものは,文脈自体を越えていく力がない(中略)時代を越えて普遍性を持つものというのは大体においてシンプルです。その時代,その場所の文脈に過剰に適応させてしまったものは,一時的なブームは起きるかもしれないけど,文脈を飛び越えていくことがなかなかありません。(p179)
 英語学習の近道は,とにかく原書を読むに限ると思うのですが,そう言うと「どの本を読めばいいですか?」と聞いてくる人が必ずいます。(中略)「Just do it!」,それだけです。(中略)「形から入る」タイプは,わざわざ文脈を太く,そして蜘蛛の巣のごとく細かく張り巡らせて,本来の目標からどんどん遠ざかってしまいがちです。むしろ,文脈それ自体を消費することに快楽を感じているのかもしれません。(p186)
 自由意思とうものが幻想だとしたら,「私」という存在が曖昧なものだとしたら・・・・・・。そもそも誰が「自分」を支配しているのでしょうか?(中略)それは“外”からやってくるのです。“外”というのは,つまり“社会”のことです。(p208)

2017年6月12日月曜日

2017.06.12 佐藤ねじ 『超ノート術 成果を10倍にするメモの書き方』

書名 超ノート術 成果を10倍にするメモの書き方
著者 佐藤ねじ
発行所 日経BP社
発行年月日 2016.10.18
価格(税別) 1,400円

● ノート術というよりは発想術の本。ノート術に関しては,著者が言いたいことは次の一点に尽きていると思う。
 選りすぐりのメモだけを特別なノート(1軍ノート)に書き写す(p22)
 これは,嶋浩一郎さんに学んだことだという。古くは,外山滋比古さんも説いていた。

● 以下にいくつか転載。
 打ち合わせがいいのは,それがライブだからだと思います。自分の発言から相手が何かを発想し,また相手の発言から自分も何かを考えるという繰り返しのなかで,意外な発見が生まれます。(p50)
 紙のノートが持つ最大のメリットは,やはり「モノとしての存在感」だと思います。(中略)デジタルで作成したメモとうのは,あとから何度も読みかえそうとはなかなか思わないものです。(p82)
 「○○はこういうもの」という思い込みが覆されると,人は驚き,感心します。そして,ほかの人にそれを伝えたくなるのです。(p85)
 直感的な言い方をすると,1軍ノートに入れるかどうかは「自分がときめくかどうか」です。(p91)
 自分が何をアウトプットしたいのか,そしてどうすれば何度も見返したくなるノートになるか,という2つのポイントから,1軍ノートの形式がおのずと決まってきます。重要なのは,必ず「同じフォーマット」の繰り返しにするということです。(p93)
 アウトプットの回数を増やすことの重要性は,いくら強調してもしすぎることはないと思っています。なぜなら,人間は失敗から学ぶ生き物だからです。(p105)
 「もっとアウトプットしよう。打席に立つ回数を増やそう」というアドバイスに素直に従える人というのは,意外と少ないかもしれません。能動的に動ける人,自分から行動を起こせる人というのは,そんなに多くないからです。(p130)
 要素の組み合わせが意外だと驚きが生まれるのではなく,組み合わせの接着点にひねりがあることで,アイデアとしてぐんと面白さが増すのです。(p149)
 アナログとデジタルとでどのように使い分けるのがよいのかは,人によって変わってきます。ポイントは,アウトプットのためにどんなプロセスがキモとなるのかでしょう。僕の場合,メモをそのまま使うことがなく,アイデアとして「転がす」ことで面白い企画に成長させていきます。そのプロセスは紙のノートでしかできないので,紙が中心となるような運用になります。(p174)
 デジタルのメモだけでは,72dpiの荒い情報解像度でしか保存できません。きれいなフォントで,ある程度整理された情報にまとまってしまいます。でも,紙のノートにはたくさんの余分な情報が残ります。その余分な情報こそ,あとで見返すと最高に面白いのです。(p196)

2017年6月9日金曜日

2017.06.09 pha 『しないことリスト』

書名 しないことリスト
著者 pha
発行所 大和書房
発行年月日 2016.01.01
価格(税別) 1,200円

● やりたいことだけやって,寝たいだけ寝て,食べたいときに食べて,やりたくないことはやらないですます,という生活をやっていこうと,会社を辞めた。
 その会社というのは某国立大学法人だそうだから,仕事がきつくて,残業につぐ残業,家に帰ったら寝るだけ,というはずがない。仕事だけでいえば,楽勝の職場だったはず。
 電通にいた故高橋まつりさんと同じ状況だったわけではない。っていうか,対照的な職場だったと思う。

● それでも毎日決まった時間に出勤するのがイヤ,混んでいる電車に乗るのがイヤ,職場の人と顔を合わせるのがイヤ,話をするのがイヤ。
 とにかく,わがままなのだ。そこまで言うか,というくらいの。しかし,著者に言わせれば,そういうことが苦にならない,あるいは苦にはなっても忍耐の範囲内,という人はそのまま仕事を続ければいいが,自分はそれができない少数派だったのだ,と。

● 結婚とか家庭を持つとか,そういうことにも向かないと悟っていたようだ。そういうことは諦める。自分ひとりを何とかすればいい。
 たとえ自分ひとりの問題ですむとしても,若い身空で会社を辞めて無職になることに対しては,経済的なことを含めて,不安がなかったはずはない。
 しかし,断行したのだ。というくらいだから,本書から感じたのは痛快さだ。こういう生き方もあって,実際にやっている人がいるのだという新鮮な発見も。

● 著者は京都大学を出ているのだ。世間的な見方をすれば,もったいないってことになるだろう。
 が,著者に言わせればそうではないのだ。そんなことはどうでもいいのだ。

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 でね,こうして転載してみると,著者はやはり頭のいい人なんだなと思うんですよね。ここまでの文章が書けるんだもんね。ニートの代表にするわけにはいかない人ですよね。ニートという多様性の真ん中にいる人ではない。
 今の世の中には無数の,「しなきゃいけないこと」があふれている。テレビを見ても,ネットを見ても,本屋に入っても,そこらじゅう,「これをしないとヤバい」というメッセージだらけだ。なぜ,こんなにも「しなきゃいけないこと」に追われるのだろうか。 その理由の一つは「情報が多すぎるから」だ。(中略)そして,もう一つの理由は,「そのほうが儲かるから」だ。(p1)
 「モノをたくさん持っているのが豊かだ」という考えは,もうだいぶ古くなってきているんじゃないかと思う。モノというのは,持っていると管理コストがかかるものだ。(中略)持っているものは少ないほうが,身軽に生きられる。(p16)
 世の中は広いから,大抵のものはどこかで余っていて捨てられようとしているものだ。だからうまく捨てたい人を見つけられれば,結構タダでもらえる。自転車や家電など,捨てるのにお金がかかるものは特にもらいやすい。(p18)
 昔,インドで物乞いをやっていたという知人がこんなことを言っていた。「乞食のコツは,『何かください』という曖昧な要求じゃなくて『5ルピーください』とか『食べ物をください』みたいに要求をはっきりさせることだ」(p19)
 「注意資源」という概念がある。これは人間が何かに注意を払うエネルギーのことなんだけど,大事なのは「人間の注意資源は有限」ということだ。たくさんのモノを持つほど,一つ一つの扱いはおろそかになってしまう。(中略)知人や友人の数や記憶や体験の数でも同じことが言える。たくさん持てば持つほど,一つ一つに対する思い入れや感動は少なくなっていく。(p21)
 他の人からどう見られるかとう問題についても,自分が気にするほど他人はこっちを見ていない,と思うようになってからは気にならなくなった。(p23)
 お金を稼ぐために働いて,そのことでストレスを溜めて,そのストレスを解消するためにお金を使ってしまう,ということがないだろうか。(中略)それだったら,あまり働かずに毎日時間に余裕のある生活をしたほうが,お金がなくても健康で幸せになるんじゃないだろうか。(p26)
 知識というのはモノよりも共有しやすいもので,ネットは低コストで知識をシェアするのにすごく向いている空間だ。(p37)
 何かを知っているだけということにあまり意味はない。その知っていることをいかに自分の血肉にして,生きた情報として活用できるかが大事だ。そして,単なる情報を血肉にするには,他人の目を意識して文章をアウトプットしてみるのが有効な手段だ。(p49)
 紙の本のほうが記憶に定着しやすいのは,それが「本を持つ」とか「ページをめくる」とか「ページの手触り」といったような,非言語的な刺激を伴うからでもあるだろう。(p50)
 文章を書くときは最終的にはパソコンで書くのだけど,最初のアイデア出しや大まかなイメージをまとめる段階では紙とペンを使う。最初はとりあえず断片的に思いついたことをひたすら大きな紙に書き出すところから始めていく。(p53)
 「がんばるのは無条件でいいことだ」という精神論をまず捨てよう。がんばることもいいけど,それよりも一番いいのは「がんばらないでなんとかする」ということだ。(p67)
 他人から期待されないほうが自分の好きなように行動がしやすい。(p78)
 人に下に見られることを恐れる必要はない。僕は他人に下に見られることは,まあ当たり前のことなんじゃないかと思っている。例えば,Aさんから見ると世界の中心はAさんなんだから,僕の存在なんて取るに足らないものだ。誰にとってもその人自身が世界の中心だし,自分自身の価値観が絶対的な基準であるのは当然のことだ。(p81)
 睡眠というのはすごくよくできた娯楽だと思う。(p85)
 最も大事な点は,人は結構何かを頼まれたがっている,という点だ。大体みんな,よっぽど余裕がないとき以外は,誰かに声をかけてもらいたかったり,頼りにされたがっていたりするものだ。人は本質的に孤独だからなんだろう。(p87)
 決断が早い人よりも決断が遅い人のほうが,優しさがある気がする。優柔不断でためらいがちな性格というのは,「自分は間違っているかもしれない」という謙虚さにも繋がっているからだ。そうした柔らかさがあったほうが,人間関係がスムーズにいくことは多い。(p93)
 仕事で成功を収めている人というのは,大体の場合,自分の適性を見つけて自分に向いていることをひたすらやり続けた人だ。「イヤなことでも歯を食いしばってやれ」という人もそうで,それは彼が「イヤなことでもがんばる」というのに向いていたというだけだ。(p94)
 どんな場所でも長期的に生き残るのは,「自分のイヤじゃないことを自分に無理のないペースでやっている人」だ。(p96)
 「人間は環境に左右される」という視点を持つと,何かに失敗した人,もしくは何かに成功した人が,すべてその人自身の責任でそうなっている,というのを単純に信じられなくなってくる。個人の努力ではどうしようもないことが人生には多い。(p109)
 人の発言はすべてポジショントークに過ぎないんじゃないか,ということをよく考える。(p112)
 世の中にはいろんな人がいて,それぞれのポジションにいないと見えないものがたくさんある。だから,いろんなポジションのいろんな考え方の人が存在してそれぞれが意見を交換できるように,人間はこんなにたくさんいるのだ,と考えよう。(p113)
 ジョン・ロールズという哲学者は,「『努力できる』という能力も恵まれた環境の産物だ」と言う。(p117)
 世の中には,毎日ハードに働きながら平日の夜や週末も精力的に趣味の活動をこなすような人もいるけれど,そういう「体力オバケ」みたいな人は例外だと思う。人それぞれ持っているエネルギーの量は違うので,自分に合ったやり方を探すしかない。(p120)
 僕が実家にいた頃や会社員をしていた頃,すごく孤独で閉塞感を持っていた理由は,まわりに自分と同じようなダメ人間を見つけられなかったからだ。(中略)結局,僕がダメ人間の知り合いを作れるようになったのは,インターネットと都会のおかげだった。(P124)
 人間が持っている人間関係の処理能力には限界があるから,SNSで何千人とつながったとしても,一人一人とちゃんと有益な付き合いができるわけがないのだ。(p127)
 予定というのは守らないほうが楽しい。(p130)
 そうした「あいつらとは違う」という意識の「俺たち」の中だって,一枚岩ではなくて,その中を細かく見てみると「隣の県の奴らはなんか違う」とか「隣の町の奴らはなんか違う」とかバラバラだらけの集団だ。(p136)
 弱音や愚痴は,人に直接聞いてもらうのもいいけど,相手にも負担をかける。その点,ネットなら気軽にグチれる。(p147)
 リアルの会話とネットのコミュニケーションとの一番の違いは,「複数のやりとりを同時進行できるかどうか」という点だ。会話だと,一つのやりとりに100%集中しないといけない。(p160)
 閉じた人間関係はおかしくなりやすい。閉じた空間というのはコミュニケーションのチャンネルが一通りしかなくて,そこで一番力のある人が主導権を握ることになる。そして,閉じた空間で外部の人の目がないと,「暴力を振るう」とか「誰かの悪口をみんなで言い続ける」とか,外の人から見ると明らかにおかしい行為がその中で普通に行われるようになったりする。(p161)
 何かをするときは,「それが何の役に立つか」を考えるよりも,そのこと自体を楽しむのが健全だ。(中略)そもそも人の人生は,何か大きな意義のために生きるというものではなく,その「生そのもの」を充実させるためにあるのだ。(p165)
 世界には一生が何百回あっても経験し尽くせないくらいの面白いものがある。(p175)
 他人というのは,自分の都合で好き勝手なことを言うものだ。人の話を真に受けて自分が失敗したとしても,その人が責任を取ってくれるわけじゃない。(p178)
 否定の言葉ばかりをぶつけられるとへこむかもしれないけど,大抵の場合,反論しても大して得るものはない。(p179)
 議論が得意は人は優れているというよりも,単に議論というスポーツに勝つことが好きなだけだ(p181)
 新幹線や飛行機で速く移動するよりも,移動時間が長いほうが僕にとっては贅沢な旅だ。(p185)
 「自分はもっと早く死んでいてもおかしくなかった。今の人生は余生とうかオマケみたいなものだ」と思えば,どんな厄介な出来事が起こっても「人生はいろいろあるなあ」と思って楽しむ余裕が出てくる。そんな感じで生きていくのがいいんじゃないだろうか。(p191)
 生きるにあたって何か思想や信念を持つのはいいのだけど,あまりにもその思想や信念を完璧に実行しようとすると大体破綻する。どんな素晴らしい思想でも,原理主義は行き詰まりやすい。(p193)

2017年6月8日木曜日

2017.06.08 和田秀樹 『なぜか「安心して話せる人」の共通点』

書名 なぜか「安心して話せる人」の共通点
著者 和田秀樹
発行所 新講社
発行年月日 2013.06.25
価格(税別) 1,300円

● 取っつきやすい人とそうでない人,話かけやすい人とそうでない人。たしかにいるんだけど,いついかなる場合でも取っつきにくいという人はいないのじゃないかと思う。普段は取っつきにくい人でも,ある場面,ある状況では,話しかけやすい人になったりする。
 自分を顧みて,そういうものだと思う。ぼくは職場では取っつきにくい人だと思われていると思う。が,いつでも誰にとってもそうなのではない(たぶん)。

● 取っつきにくいとか話しかけづらいと思われるのは,基本的に損だ。それはわかっている。ではそこを直そうとすれば直せるものなのか。
 すべてを性格の問題に還元するのは間違いのようだ。そこのところを本書で教えてもらった気がする。

● 以下にいくつか転載。
 人間関係はかんたんに考えたほうがいいのです。それは自分が気安く話しかけられる人になるということです。(p3)
 参加者の多い競争ほど,負けてしまったことへの劣等感を持つ人も多いのです。(p32)
 これはとても基本的なことですが,人と話すのは元気になるためです。(中略)「この人と話しても落ち込むだけだ」と思ったら,会話どころか会うのも避けてしまうはずです。(p44)
 あなたが安心して話せる人を思い浮かべてください。その人にどんなことでも話せるのは,否定されないからですね。(p49)
 わたしたちが安心して話せる人は,自分が話すことより,まず相手の表情や気持ちに関心を持ってくれる人なのです。(p57)
 夫婦のやり取りだって,口にしたあとで「いまのはまずい!」と思うことがいくらでもあります。それを「冗談だよ」と笑ってごまかせるかというと,むずかしいのです。失言にはしばしば,というよりほとんどのケースで本音が含まれているからです。(p80)
 失言したときに「これくらいで怒るなんて」と考えて,フォローすら試みないというのはちょっと傲慢すぎます。(p83)
 相手が学生だろうが年下だろうが,あるいは年若い編集者であっても取材記者であっても,とにかくどういう人間にも低姿勢で向き合うと決めてしまえば楽です。相手によって態度を変えたり,そのときの状況によって態度を変えることのほうがはるかに面倒です。(p95)
 わたしの経験では,こちらがどんなに低姿勢に出ても無理難題を押しつけられたり,いいなりになってしまうことはありません。なぜなら,ほんとうに大切な人や,長くつき合いたいと思うような人は,わたし以上に低姿勢だからです。(p95)
 こちらから質問すると,「そんなことない!」と否定される場合があります。「先生まで疑っているんですか?」と硬い表情をされると,「いまのは失言だったかな」と後悔することだってあります。聞くことに専念するほうが,時間はかかるようでも精神科医としては患者に受け入れてもらえるというメリットがあります。対人関係も同じではないでしょうか。(p100)
 太鼓持ちで何が悪いのですか? 軽く見られて何が困るのですか? (中略)そこに,なめられたくないとか,自分の優位性だけは示したいという気持ちがあると,相手に合わせたら「負け」という感覚を持ってしまいます。周囲の人間関係に,いつもそういう「勝ち負け」の感覚を持ってしまったら,何より本人がつらいはずです。(中略)相手に対しても息苦しさを与えてしまいます。(p113)
 アドバイスの上手な人は平凡な答えでも相手を納得させる力をもっています。(中略)じつはアドバイスというのは平凡な言い方になることがほとんどなのです。(p142)
 お世辞とわかっても嬉しい気持ちにさせる人は,ふだんから「温かみ」が感じられるということです。(中略)それを感じさせるのが小さな約束をきちんと実行している人なのです。(p157)
 相手に尽くす気持ちというのはとても大事だと思っています。小さな約束を守ることだって,自分には何の得もなく,「軽々しく引き受けるんじゃなかった」と後悔するときがあります。(中略)では,なぜ約束したのでしょうか? 「喜んでもらいたい」という気持ちがあったからですね。(中略)「わたしに任せて」と約束したあたなは,とてもすてきでした!(p160)
 相手を安心させる話し方ができる人は、他人にひどいことをいわれない人でしょうか? そんなことはありませんね。職場にもいろいろな人がいるのですから,あなたをいつも安心させる人だって,上司に傷つけられたり,取引先に落ち込むようなことをいわれます。でも,ケロリとしています。すぐに気を取り直して,「やれやれ,今日はついてない」と自分に言い聞かせます。(p179)

2017年6月4日日曜日

2017.06.04 和田秀樹 『人をほめると「いいことが起こる」心理学』

書名 人をほめると「いいことが起こる」心理学
著者 和田秀樹
発行所 新講社
発行年月日 2010.05.06
価格(税別) 1,300円

● その人の幸不幸を決めるもの。それは学歴でもなければ,職業や収入の多寡でもない。いつにかかって人間関係による。
 これで人は苦労する。したがって,人生論とはつまるところ人間関係論だといっても過言ではない。

● ぼくなんぞは,何はともあれ人と直接係わるのは避けたい方だ。そのかわり,3日間誰とも口をきかなくてもぜんぜん平気だ。こういうのを「人間失格」という。
 そうした人間失格者でも,生きていれば人と係わらないわけにはいかない。

● どうやれば上手くいくか。多くの人が多くのことを述べているが,その中の代表的なものが,人をほめるということだろう。
 本書もそのひとつ。

● 以下にいくつか転載。
 「ほめブーム」をご存じですか。西日本の職場を中心に起こっている現象です。ほめることで社員て店員にいままで以上の「やる気」が起こり,結果として会社なりお店なりの業績が目に見えて向上していくのです。(p3)
 大阪商人は,小さいころから人をほめることを徹底的にたたきこまれるので,ちょっとしたお世辞をいって人を喜ばせるのに抵抗感がありません。関西の人間がおもしろいというのは,話がおもしろいということだけでなく,人に調子のいいことをいうのがうまいし,慣れているという要素もあるのでしょう。(p4)
 「ほめる」のが苦手な人の気持ちが何となくわかってきませんか? ひと言でいうと,堅苦しく考えているのです。あるいは狭い意味でしか考えていないのです。他人をほめるとは,その人を評価することだというコチコチの頭があります。(p24)
 ありのままの自分をほめてもらったときほど人間は嬉しいのです。結果を出したときに大げさにほめてもらうより,いまの自分や,自分の行動の中に「ほめてもらいたいな」と思うことがたくさんあるからです。(p28)
 わたしたちには,他人に認めてもらいたいとか,受け入れてもらいたいというごく自然な欲求があります。その自然な欲求が満たされない状態というのは 心にとってはつらいことなのです。結果を出さないかぎり認めてもらえない人間関係は,ホッとする時間がありません。(p29)
 人をほめるには,その人をちゃんと見ていることが前提になります。自分は見てもらってたと思えば,仕事にも意欲が湧いてきます。(p38)
 人をほめることを特別なご褒美と考える人は,それだけでほめるチャンスが少なくなります。(中略)年に一度の大賛辞よりも小さなほめ言葉を毎日,かけてもらったほうがわたしたちは嬉しいのです。(p53)
 人をほめるのが苦手というのは,ただのケチかもしれません。(p56)
 うまくいったかどうかではなく,一歩踏み出した人をほめてあげる気持ちがあれば,ほめる場面はどんどん増えます。変化をほめることも,その一つです。(p78)
 一人の社員が「こうしてみたい」とか「やればおもしろそうだ」と考えるときは,仕事に対して意欲的になっています。(中略)結果はどうなるかわかりませんが,とにかく挑戦してみようという気持ちなのですから,リーダーや周囲の人間が「やってみなさい」と後押しするだけでいいのです。それになんといっても,試してみることは楽しいです。(p81)
 迷わず「やってみよう!」でいいはずです。なぜならすべて,失敗してもどうってことないからです。「やっぱり壁は厚かったなぁ」でおしまいです。けれどもわずかな可能性はあります。(p84)
 小さな思いつきでも,まずほめてもらうとそこからアイデアがふくらんでいきます。(p86)
 従業員に活気があるかどうかで料理やサービスに対する満足度はまったく違ってきます。不思議なことに,「ここ,いいな」と思う店はすべて,味も雰囲気も満足できます。味はいいけど雰囲気が悪いとか,雰囲気はいいけど味が悪いという店はまずありません。(p88)
 ここは大きな気持ちになって考えてください。祝福してくれる人,喜んでくれる人がいたら,どんなときでも「みなさんのおかげです」とはっきり口に出してみてください。決して白々しい気持ちにはなりません。そこからしか,チームの一体感は生まれてこないからです。(p93)
 ほめることはもともと,「人を立てる」ことです。それでいいはずです。ほめてもらえばお世辞とわかっていても嬉しくなるのがわたしたちです。(中略)そして,嬉しくなればこんどはほめ返したくなります。(p105)
 どんな職場でもチームワークのしっかりしているところには,かならずこの「ありがとう」の言葉があります。(中略)逆にいえば,こんなかんたんなほめ言葉すら口にできない職場は,チームワークの保ちようがないということなのです。(p108)
 若々しい職場とうのは,社員の年齢が若いのではなく,どんな人でも自分の考えや意見を自由に発表できる雰囲気があります。キャリアの浅い社員が萎縮している職場はそういう意味では古めかしいのです。(p120)
 上司にとって好感の持てる部下でなければいけません。嫌われたら欠点探しをされるだけです。(p132)
 上司に媚びなくても上司から注目される記述を身につけましょう。ポイントは,アドバイスを求めることです。(p133)
 会社の中には,能力もあり努力も怠らないのに,なぜか上司に認められないタイプというのがいるものです。その人たちに共通する真理として,「他人に頼るのは甘え」という考え方があります。そこを,少しだけ見直してもらえば,ずいぶん違ってくるはずです。(p134)
 教えることを仕事としている人間でも「教えてください」といわれると嬉しいのです。自分が初めて,教える人間として認めてもらったような気がするからです。これは,実感の問題です。(p136)
 自分より目上の人に「教えて」といわれるのも嬉しいものです。(中略)と同時に,その上司の態度を尊敬する気持ちになります。「立場にこだわらない人なんだな」と思うからです。(p137)
 その人に自分から近寄って声をかけてあげるのは,とても大事なことになってきます。(p166)
 どんなに厳しくても,何か起こったときには部下や相手を案じてくれるような人なら,わたちたちは信頼感を失うことはありません。(p170)
 人をほめることは「みんなでよくなろう」という気持ちがあれば実行できます。「自分だけよくなろう」と思うと,なかなか実行できません。人をほめも自分の得にならないと考えるからです。(188)
 ほめ言葉はかならず「こだま」になって返ってきます。(p189)

2017年6月1日木曜日

2017.06.01 石原壮一郎 『大人のホメ力』

書名 大人のホメ力
著者 石原壮一郎
発行所 世界文化社
発行年月日 2005.11.01
価格(税別) 1,200円

● 洒落た大人の読みもの。一休さんじゃないけれど,捻りが利いているというか。ホロッと思わせるところがあるし,時に反省のよすがになったりもする。
 が,この本を読んで反省するのはよろしくないだろう。主には,アハハ,わかる,わかる,と読み捨てればいいものだ。著者としてもそうしてもらうのが本望だろう。

● 明石家さんまのトークよろしく,その場で笑わせてあとに何も残さないというのは,かなり高度な芸だ。
 著者は頭のいい人なのだろう。それといわゆる人間通。けっこう,ストレスを溜めるタイプの人なのかもしれない。

● 「人をホメるとは,自分を慰めることでもある」(p195)というような,教訓めいたフレーズも登場する。実用書として使おうと思えば使えないこともない。
 ただし,そうした読み方はかなり野暮な読み方になるんでしょうね。