2017年7月5日水曜日

2017.07.05 渡辺和子 『どんな時でも人は笑顔になれる』

書名 どんな時でも人は笑顔になれる
著者 渡辺和子
発行所 PHP
発行年月日 2017.03.29
価格(税別) 1,000円

● 著者の最後の著作。

● 同じことを別の人が書いても,これほどの説得力は持たないのではないか。著者が言うから,そうなのかと納得する。
 問題は,納得したところで終わってしまうってことなんだけどね。

● 以下にいくつか転載。
 「神も仏もあるものか」と言いたくなるのは,こういう時です。ところが,実は,「求めること,捜すこと,戸を叩くこと」もたいせつですが,それに応えて与えられるものを謙虚に“いただく心”のほうがよりたいせつなのです。(p3)
 祈ることはたいせつなことです。しかしながら「願う前に,その必要とするものを知っておられる」天の父は,人間が願ったことをそのまま叶えることをもって,ご自分の,その人に対する愛の証しとはなさらないようなのです。なぜならば,私たちはいつも“欲しいもの”を願っているからであり,神様が私たちに叶えてくださるものは,“必要なもの”だからだと思います。(p71)
 他人にすぐれようと思うな 他人とちがった人間になれ(p20)
 苦しみについて評論家めいたことが言えたり,苦しみの正体をあれこれ詮索したりしているうちは,まだ自分に余裕がある証拠であって,苦しみのさなかに入ってしまうと,ただもう生きることで精一杯になってしまい,気がついた時には,苦しみはいつの間にか自分の後ろにあったように思います。(p33)
 履歴書を書かされる時,必ずといってよくほど学歴と職歴が要求されます。しかしながら,もっともたいせつなのは,書くに書けない「苦歴」とでもいったものではないでしょうか。(中略)苦歴は,その人だけのものであり,したがって,その人を語るもっとも雄弁なものではないかと思うのです。(p34)
 お金にならない時間,得にならない時間,その意味では無駄と思える時間の中にしか愛情は育たないということです。(p56)
 他人から受ける不当な扱い,誤解,不親切,意地悪等から全く自由になりたい,なれるはずだと思うことは,すでに人間としての「分際」を忘れた所業である(p59)
 人間はどんなに多くの言葉を費やして語り明かしたとしても,寝食を共にしたとしても,なお理解し合えず,理解し尽くせないものを持つのです。(中略)私たち一人ひとりには不可交信性という部分があって,また,それがあるゆえに「知り尽くしていない」相手に対しての尊敬が生まれ,「知り尽くされていない」自分についての淋しさと同時に誇りが残るのです。(p131)

2017年7月4日火曜日

2017.07.04 砂川しげひさ 『コテン氏のラストコンサート』

書名 コテン氏のラストコンサート
著者 砂川しげひさ
発行所 朝日新聞社
発行年月日 1990.11.30
価格(税別) 1,126円

● 砂川さんの音楽エッセイをもう1冊。

● 以下にいくつか転載。
 この間,念願のDATを買った。これがうわさどおりのいい音で,いまこれで昔録ったオープンテープからのコピーを楽しんでいる。また,BSからのPCM録音はすばらしく,またエアチェック病が再発する気配だ。(p2)
 また懐かしい用語が出てきた。DAT,マニアのものだったと思う。DATとはそもそも何か? Wikipediaの説明がわかりやすい。「音声をA/D変換してデジタルで記録,D/A変換して再生するテープレコーダーまたはそのテープ,また特にその標準化された規格のこと」。パンピーには関係ないものでしたね。
 パンピーはレンタルショップでCDを借りて,CDラジカセでカセットテープにダビングして,それだけで満足するものだった。それだって便利になったなぁと思っていたものだ。
 古代ギリシャ人は人間の裸像をたくさん彫った。人間の肉体こそ神がつくりたもうた最高の美,と彼らは考えた。(中略)この肉体賛美こそが,現代のバレエにも基本的なところで,つながっているのではないだろうか。(p28)
 やっぱり,消え去ったようなオペラを掘り出すなんて,油田を掘り出すのと同じくらいむつかしそう。時間は正しい審判をする。(p98)
 大編成の管弦楽を聴いて脳天をピカピカさせているクラシック・ファンがいるとすれば,そいつはガキである。(中略)ピアノの独奏会で花束をかかえて舞台の最前列ですわっているのは,雀の卵。弦楽四重奏曲にじっと耳を傾けながら,眉間に深いシワをよせて,否! などとほざいているのは,田舎イモ。(中略)やっぱりクラシックのいきつくところは室内楽ではないでしょうか。(p154)
 目の前の名人たちは,「おれたちは好きでやってんだ。君たちが聴こうが聴くまいがそんなことおいら知んないよ」といった純粋楽団なのだ。(p156)

2017年7月3日月曜日

2017.07.03 砂川しげひさ 『コテン氏の面白オペラ』

書名 コテン氏の面白オペラ
著者 砂川しげひさ
発行所 朝日新聞社
発行年月日 1989.01.10
価格(税別) 1,000円

● 約30年前のもの。砂川さん,本職は漫画家。本書の装丁も手がけているし,カットも描いている。
 一方で,クラシックマニア。

● アカデミックなところで勉強しちゃった人の評論は,ぼくのような素人には歯が立たないうえに,読んでてあまり面白くない。
 砂川さんのものは,面白い。向上心があって読んでいるわけではないから,面白ければいいし,面白くないものは読んでも仕方がない。
 ぼくがしているのは,消費としての読書だから。何かに役立てようと思って読んでいるわけではないから。

● 以下にいくつか転載。
 これは素人考えかもしれないが,オペラは出だしが勝負という気がする。序幕で「アッ」と思わせれば,その舞台は九九パーセント成功だ。(p30)
 ぼくは前々から,この譜めくり人にもっと脚光を当ててしかるべきと考えていた。(中略)われわれはこの任につく大半が女性である事実を忘れている。しかも美女が多い。(p44)
 ある有名なピアニストの演奏会で,突然,赤ん坊が泣き出した。あんまり泣くので,会場の係が外にでるように忠告した。すると若い母親は「子供にいい音楽を聴かせてなにが悪い」と逆に食ってかかった。そのとき偶然に隣の客席に居合わせた保母さんが赤ん坊を抱いて外に出た。そして演奏の間じゅう,そのコをあやし続けた。演奏が終わると,母親は赤ん坊を受け取って,彼女に礼もいわずに立ち去ったという。(p60)
 これ,本当に実話なんだろうか。
 今どきの小学校では運動会の徒競走で順位をつけない,ゴール前であとから来る人を待って,みんなで手をつないでゴールするのだ,という話がかつて流行った。
 しかし,その光景を実際に見たという人は一人もいない。自分が勤務している小学校ではそうしていたという教師もいなければ,自分が通っている小学校ではそうしていたという児童もいなければ,うちの子どもが通っている小学校の運動会ではそうしていたという保護者もいない。
 都市伝説的なものだろう。いかにもありそうだと誰かが作った話が燎原の火のごとく広まった。
 上の母親の話もそれと同じなのじゃないかと思うんだがね。いかにもいそうだという前提で,誰かが作った話が広まったのではないのかねぇ。
 安い,安い。こんな調子で十枚借りた。これらを,わが家の,PCMプロセッサーとビデオ・デッキを駆使して完全コピーをする。(p110)
 PCMプロセッサーかぁ。あったねぇ,そういうの。CDをビデオテープにコピーするやつ。当時は,とんでもなく高度な技術を駆使した器械なのだろうと思っていた。ぼくには高嶺の花でもあった。
 今は,パソコンに吸いあげることができる。装備も時間も格段に短縮された。しかも,コストが安くなった。うたた感慨にたえない。いい時代に生きていると思う。

2017年7月2日日曜日

2017.07.02 岡田光永 『20歳の「日本一周」』

書名 20歳の「日本一周」
著者 岡田光永
発行所 廣済堂出版
発行年月日 2011.02.10
価格(税別) 1,500円

● 副題は「元不登校児が走った列島縦断1万1667キロの旅」。

● 20歳でこれだけの文章を書けることに,まず驚いた。20歳でしか書けない文章だろう。若さが躍動している。
 キーワードは「絆」。「みんなの気持ちがひとつになった」「仲間と力を合わせれば,できないことはなにもない」という表現がわりと頻繁に出てくる。
 自身が中学生のとき不登校だった。その反動というわけではないのだろうが。

● しかし,いつまでも「絆」に頼っているわけにはいかないだろう。なぜなら,死ぬときは仲間と一緒にというわけにはいかないから。一人で死ななくてはならない。
 ただ,「個」に傾く人と,「絆」に行く人と,二項対立的には考えない方がいいのだろう。個がなくては仲間の一員にもなれないはずだからだ。

● 以下にいくつか転載。
 出発1日目の今日はものすごく疲れた。旅というのは,出発のときが一番疲れるのかもしれない。(p58)
 一歩は積み重ねなければいけないものではなくて,後になって振り返ってみたときに積み上がっているものなのだ。先に進もうとあせって進んだその道に,どんな意味が残るのか。(p65)
 旅ではふとしたことから,人と出会う。出会いは,ガソリンみたいなものだ。出会った人に力をもらうから旅を続けることができる。出会いがなきゃ,僕は走り続けることはできない。(p97)
 東京で過ごしていたときは持て余していた,僕のエネルギー。しかしそれを全力で注ぎ込むことでこんな感動を味わえるのかと思うと,東京でいかに自分を持て余していたのか,今さらながら実感する。(p102)
 荷物を取り外した自転車にまたがり,稚内の市内を猛スピードで駆け抜ける。今まで,自分がいかに重い荷物を積んで,旅をしていたかがわかった。まるで羽が生えたかのように自転車が軽い。どんどん前に進んでいく。(p105)
 人は,本当の優しさを受けたとき,心から誰かに優しくできるんじゃないかと思う。(p154)
 悪いことが立て続けい起きてモチベーションが下がりかけているときに,キャリアの全壊が重なるなんて,つらすぎる。(中略)今まで幾度となく苦しい思いや逆境を経験してきたが,ここまで心が折れそうになったことはなかった。手も足も出ない。(p160)
 自分って,こんなに強かったっけ?と思う。どうやら困難とは,乗り越えることができれば,成長に変わるものらしい。(p162)
 危うく泣きかけたが,どうにか耐える。昔から涙もろい僕は,明日確実に号泣することがわかっていたからだ。(p198)
 そうなのだよ。冷静でどんなときにも表情を変えないヤツより,涙もろかったり,感情家の方が,何事かを為す人なんだよ。
 選べないような選択を迫られたときは,楽しいほうを選択する。これは,昔から決めている自分の信条だった。(p261)
 日本は美しく,優しく,楽しい国だ。そして,世界は広く,まだまだ知らないことが溢れている。それを知らずに死ぬのは,いくらなんでももったいなさすぎる。(中略)どうして世界は,こうも広いのだろう。どうして人生は,こうも短いのだろう。好奇心が,爆発する。(p274)
● 同じ出版社から同じ著者の『15歳の「お遍路」』も出ている。図書館で探してみよう。

2017年7月1日土曜日

2017.07.01 pha 『ニートの歩き方』

書名 ニートの歩き方
著者 pha
発行所 技術評論社
発行年月日 2012.09.01
価格(税別) 1,580円

● 副題は「お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法」となっているが,インターネットの話は少ししか出てこない。
 主な話題は,なぜ会社を辞めてニートを選んだのかということ。多数の人たちのように,毎日電車に乗り,職場で同僚たちと世間話をすることに,極度の疲労と嫌悪を感じるということになれば,自分を守るために辞めるしかない。やむにやまれぬ大和魂ということだ。

● 辞めたあと,当面は貯金を取り崩すとしても,どうやって食いつなぐか。けど,どうにかなるものなんだね。
 生活は食うことだけでできているわけではない。それ以外のところでインターネットが著者を大いに助けてくれる。ネットがなかったら,ニートになる決心ができたかどうかわからないと言う。

● 現在の自分の暮らしぶりへの目線,自分の暮らしをめぐる社会との折り合いのつけ方,その社会をどう捉えるかという社会観。
 それらも存分に語られる。本書は学術書ではもちろんないんだけれども,現代社会論のテキストとして読んでもかまわない。

● 著者には賢者の趣がある。損得計算をすれば明らかに損なのだけれども,自分を守るためにニートになった。その損得を超える部分についてのアレやコレを読んでいると,賢という言葉が浮かんでくるわけだ。
 断行の人でもある。断行というと重すぎるか。足腰が軽い人なんだと思える。与えられた人間関係での付き合いには耐え難いストレスを感じるけれども,一ヶ所にじっと佇んでいる人ではないようだ。大事なところだろう。

● 本を出すくらいだから,読書家でもある。自分を納得させるための読書もあったろう。
 本書では以下のものが引用または紹介されている。
 坂口恭平『TOKYO 0円ハウス 0円生活』
 中島らも『バンド・オブ・ザ・ナイト』
 保坂和志『プレーンソング』
 『よつばと!』(電撃コミックス)
 よしながふみ『きのう何食べた?』
 うえやまとち『クッキングパパ』
 真鍋昌平『闇金ウシジマ君』
 西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』
 工藤 啓『「ニート」支援マニュアル』
 中島義道『働くことがイヤな人のための本』
 橋本 治『青空人生相談所』
 山田風太郎『人間臨終図巻』
 高村友也『Bライフ 10万円で家を建てて生活する』
 松本 哉『貧乏人の逆襲 増補版』
 津田大介『情報の呼吸法』
 見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』
 池上 彰『そうだったのか! 日本現代史』
 稲葉振一郎『増補 経済学という教養』
 長谷川英祐『働かないアリに意義がある』
 真木悠介『自我の起源』
 エリック・レイモンド『伽藍とバザール』

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 学校に行くのも会社に行くのもだるいし,人と会ったり話したりするのは面倒臭いし,毎日満員電車になんか乗りたくない。人生ってそんなどうしようもないクソゲーなんだろうか。(p3)
 人生は有限だから全てを選ぶことはできない。自分に本当に大切なこと以外は諦めるのが大事だ。いろんなことを諦めると人生はわりと楽になる。(p6)
 じゃあなぜ,日本に生きる若者がこんなに生きづらさや閉塞感を感じているんだろう。それは多分,日本の経済がまだ成長している頃に作られたルールや価値観が生き残っていて,それがみんなを縛っているせいなんじゃないかと思う。(p8)
 ちゃんと働かなきゃいけない,真っ当に生きなきゃいけない,他人に迷惑をかけてはいけない,といった強迫観念がみんなを縛り付けているせいで,日本の自殺者は年間三万人もいるんじゃないだろうか。(p10)
 世間体なんでいう誰の評価か分からないものを気にするのはやめて,(中略)ゆるく生きていけばいい。お金とか地位とか名誉とかやりがいとかそんな大層なものがなくても,そりあえずの食べる物と,寝る場所と,暇を潰す手段と,あと友達さえいれば,人生なんてそれで十分だ。(p11)
 あんまり先のことを考えすぎても仕方ない。(中略)人間いつ何が起こって死ぬか分からないし,いつかは絶対に死ぬ。人生なんて死ぬまでの間をなんとかやり過ごせればそれでいい。(p11)
 「仕事をせずにいるとすぐに自分から働きたくなる」という俗説は嘘だと思う。それは多分,本当は働きたくないのに嫌々働いている人が自分を納得させるための言い訳なんだろう。(p24)
 僕がニートでありながらいろんな人とつながったり,なんとか楽しく生活を送れているのは9割くらいインターネットのおかげだ。(中略)この現代で会社やお金にできるだけ頼らず生きていくにはインターネットは必修科目だ。(p31)
 京大に入ったまでは傍目にはエリートコースに見えるかもしれないけれど,机の上の勉強ができるだけでレールの上を進んで来られるのは大学入学までだ。(中略)社交性もないし労働意欲もないし技術もない僕には,大学を出たあとに行くあてはなかった。(p35)
 計画どおりにその職場はかなり暇だった。一日二時間か三時間もあれば仕事は終わるし,あとはパソコンに向かって仕事をするふりをしながらインターネットでもしていればいい。いわゆる社内ニートというやつだ。嘘みたいに恵まれた職場だったと思うんだけど,それでも僕には苦痛だった。(p37)
 それ(ツイッター)はブログ時代にはないコミュニケーションだった。ブログを書くとなるとある程度の長文を書かないといけないけど,ツイッターではブログよりももっと日常の生活に近い何気ない会話ができたし,知らない面白そうな人に声をかけて仲良くなるのも気軽にできた。(p43)
 ツイッターが登場したときに思ったのは「これはオンラインとオフラインの区別がなくなる」ということだった。それくらいツイッターは他人の生の日常をそのまま伝えてくれる。(p63)
 都会で無料で時間を潰せる場所の代表格は公園と図書館とブックオフだと思う。(p70)
 もっと適当に,お金なんてなくても全ての人間は安楽に幸せに生きられるべきなんじゃないのか。それが文明ってもんなないのだろうか。(中略)だから,労働以外のよく分からない理由でもっとお金が適当に動けばいい。(p86)
 インターネットは現実ではなかなか口に出しにくいような人間の濃い部分が出ていることが多いから面白いのだ。(p102)
 選択肢が多いほどそこから漏れてしまう人間は減る。選択肢が多いということは絶対的な善だし,この世の不幸の大部分は選べる選択肢が少ないせいだと僕は思っている。学校でのいじめなんかは選択肢が少ないから起こる不幸の典型的なものだ。(p104)
 僕は特定の個人の能力や熱意によって実現されるものよりも,凡庸な人間でもやる気のない人間でも,その中に入ればそこそこ面白く楽しくなれるような仕組みに興味がある。(中略)中心となる人物の存在に依存するのではなく,中心人物が急に死んでも組み上げられたシステムは変わらず回り続けるようなのがいい。(p120)
 人間のすることなんて所詮やってもやらなくてもいいようなことばっかりだ。ほとんどのことは自分がやらなくても他の誰かがやるし、ほとんどのしたことは数ヵ月か数年も経てば消えてしまう。(p142)
 「努力教」を,向いていない人間にまで強いようとするのが日本の悪いところだと思う。 そもそも,頑張ったり我慢したりしないと良い仕事ができないという考えが間違っていると思う。(中略)世の中にある本当に良いものっていうのは,努力とか頑張りとかそういうゴリゴリした感じでつくられたのではなく,もっと軽やかに自然な形で作られたものじゃないだろうか。(p144)
 僕なんかひたすらウィキペディアを読んでいるだけで何時間も過ぎていることがよくある。(p158)
 何かちょっと物を作ったりすることを楽しみにできる人は貧乏に強い。創作は消費ほどお金がかからないし,作ったものがお金に変わることもときどきあったりする。(p159)
 故・中島らもは「『教養』とは学歴のことではなく,『一人で時間を潰せる技術』のことである」と言っていた。(p160)
 時間や体力の余裕があれば安く済むところを,仕事をしていると余裕がないので余分にお金を出して解決してしまうことも多かった。(中略)それは,会社に自分の時間を売ってお金を得たけれど,その得たお金でまた時間を買い戻しているだけのような気がした。(p161)
 ニートにはできるだけ本を読むことを勧めたい。本を読むのって大事だ。一つは,それはいろんなことを考える力を付ける基礎になるから。本の中にはいろんな人間のいろんな思考が渦巻いていて,しかもインターネットよりも密度が濃い。(中略)あと,暇潰しとしても本は最適だ。(p202)
 自己責任論を言う人たちは,そもそもある程度恵まれた環境で育って,たまたま予想外のアクシデントにも合わずにこれまでの人生を送ってこられたせいで,そうじゃない人生のことが想像できていないんじゃないだろうか。(p210)
 頑張るとか能力があるとかそんなこと以前に,頑張れなくても能力がなくても人間は生きていていいと思うんだよね。人間ってそれくらい幅の広いものだし,そうでないとたくさんの人間がいる意味がない。(p217)
 個人の行動の結果をその人が全て負わなければいけないのなら,社会や国家などの共同体がある意味はないだろうと思う。(p220)
 人間なんてみんないろんな要素をランダムに並べた順列組み合わせにすぎなくて,自分の意志で変えられることなんてあんまりないし,自分でなければならないことなんてないような気がしてくる。(p222)
 人間は自分が若かった頃の常識を当たり前と考えて,そのまま生きていくものだというだけだ。(中略)若い人間は抱えている過去が少ないから自由に動けるというだけにすぎない。ただ大事なのは,上の世代が抱えている固定観念に若い人間が縛られる必要は全くないということだ。(p225)
 お金持ちの人ほど「一生懸命働くこととお金を得られるかどうかの関係はそんなにない」「ニートでもいいんじゃないの」って思っていて,そんなにお金がないから嫌々仕事をやっている人ほど「働かざる者食うべからず」「ニート死ね」って批判していたりする。(p232)
 労働なんてもっと適当でいいし,日本人は店に過剰なサービスを求めすぎだ。それは自分の首を絞めるだけなのに。(p235)
 世の中が実用的なものばっかりだと息が詰まるし,無駄に見えるようなものがたくさんあるからこそ,社会に余裕ができたり,世界の多様性が保たれたり,混沌の中から今までにないような新しいものが生まれたりするのだ。ふらふらしてわけ分かんないことをしている人間がたくさんいれば,世界はもっと豊かになるはずだ。(p241)
 ニートが全くいない世界は,人間に労働を強制する圧力がキツくて社会から逃げ場がなくて,自殺者が今よりもっと多いディストピアだと思う。(p246)
 ニートもサラリーマンも,警察官も犯罪者も,起業家も自殺者も,右翼も左翼も,同性愛者も異性愛者も,農家も漁師も,ホームレスもサッカー選手も,みんな現在の社会のある一面を引き受けている。それは全体として一つのものであって,そのうち一部分だけを切り捨てることなんてできない。社会の一部を切り捨てようとすることは,一つの個体が自分を手足を切り落とそうとするのと同じだと思う。(p256)

2017.07.01 番外:PRESIDENT 2017.7.17号-「スマホ&ネット」すごい活用術

編者 鈴木勝彦
発行所 プレジデント社
発行年月日 2017.06.26
価格(税別) 639円

● 特集記事は読んでも仕方がない。切り口は,“PRESIDENTのひとつ覚え”の“高年収vs低年収”。
 「低年収層はLINE,高年収層はFacebookとTwitterを愛用」なんぞとある。「40代以上の低年収層では4割に届かない。20~30代はさらに下がり,17%だ」とある。

● これ,年収の多寡とは関係ないやね。作る方もそんなことは百も承知で作っているんだろうけどね。
 若者はFacebookを見限っている。20~30代より中高年が収入は多いんだろうから,当然,高年収層にFacebook利用者が多いことになる。

● この雑誌で読む価値があるのは,成毛眞さんのインタビュー記事のみ。そこからいくつか転載しておく。
 伝達手段を電話に頼っている人は,相手の都合を考えない,仕事の“デキナイ人”といえる。
 次にダメな人は「ライン」や「メール」で連絡を取ろうとする人たちだ。ホワイトカラーの大半は日常業務でパソコンを用いている。しかし,ラインはパソコンからアクセスができない。
 ん? できるんじゃなかったっけ? あんまりやっている人はいないだろうけど。
 フェイスブックに関していうと,友達の数が多ければ多いほどいいと考え,なかには5000人を超える人と友達になっていることを自慢げに話す人もいる。しかし,データが重くなるだけで,メリットよりもデメリットのほうが大きくなるだけではないか。
 「今日はこの店でこんな料理を食した」「家族でここへ出かけた」などと,個人的な日記のような情報を流している人がよくいる。でも,他人の日記ほど退屈なものはないし,そうした人は「半径50センチメートルにしか興味を持たない人」と私は考えており,もしもフェイスブックで友達になっていたら,アンフレンドしてフォロワーに回っていただいている。
 堀江貴文氏のような真のクリエーターが発信するコンテンツは本当に面白い。しかし,それはもともとの才能の部分が大きく,テクニックでどうにかなるものではないと思う。
 20代,30代の世代は,50代,60代の感性を「古くさい」「お仕着せ」といって受け入れない。一方,潜在意識の中で「いつまでも若くありたい」と願う50代,60代は,若者の感性を喜んで受け入れるものである。つまり,マーケットの中心軸は若い世代の感性によって形成されているわけで,それを掴めるようになると,有望な市場を獲得できる可能性も自ずと高まってくる。そのためには,とりあえず若い世代の近くに身を置くことが大切なのだ。